多摩川:筏士の中継地点?——筏道の屈曲と宇奈根

墨染桜氏の書き込みが個人的に興味深かったので備忘にまとめました。
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【参考】筏道を歩く : 続・U設計室web diary
《筏道とは、奥多摩の材木を売りに山の人たちが木材を筏にして多摩川を下り、六郷で材木を売った後徒歩で二日がかりで奥多摩まで帰った多摩川沿いの道のことだそうです。》

墨染桜 @sumizome_sakura

多摩川の筏道古道の話。 明治期の筏道は実際に往還していた人の証言もあって、ルートはわかっているのだが、それ以外にも「筏道」と呼ばれていた道がある。(a)六郷用水の護摩堂橋(大田区鵜の木一丁目)から観蔵院前を北上して御嶽神社脇(北嶺町)にでる道。

2017-01-06 02:59:45
墨染桜 @sumizome_sakura

さらに、(b)砧公園の東側沿いを北上して世田谷通りに合流する道と、(c)喜多見のなかにもある。で、(a)と(b)から、三田義春さんが筏道の古道を推定している。

2017-01-06 03:00:57
墨染桜 @sumizome_sakura

平野順治さんの「消えゆく筏道」『史誌』12号(大田区史編纂委員会編)参照。地図の細い赤線が推定古道、太い赤線が明治期の筏道。太い赤線はほぼ六郷用水沿いである。 pic.twitter.com/q1zhe9eIbX

2017-01-06 03:02:35
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墨染桜 @sumizome_sakura

このうち、ひっかかっていたのは、実は六郷用水の護摩堂橋以南の部分。(a)の見南側延長として、下丸子の道標の手前、藤森神社までの六郷用水ぞいを「古道」だと推定しているのだけど、このルートをとると谷をほぼ斜めに縦断することになる。

2017-01-06 03:03:21
墨染桜 @sumizome_sakura

例えば、こんな感じ。谷は最短距離で横断するという中世古道の常識からすると、この場所で六郷用水沿いに古道があったと考えるのは、やはり不自然な気がする。 pic.twitter.com/a7nki6jOMK

2017-01-06 03:05:20
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墨染桜 @sumizome_sakura

で明治期の地図を見直すと、下丸子駅北の道標(=光明寺石標)からは藤森神社の南ではなく、神社の北を回る道がのっている。御嶽神社脇まではほぼ等距離、こちらの方は段丘崖の上をいく尾根道で、低湿地には入らない。さっきの地図の黄色の「崖上の道」がそちら。

2017-01-06 03:07:12
墨染桜 @sumizome_sakura

本来の古道はこちらではないかなあ、と思っているのだけど……。 だとすると(a)は実は(a1)「筏道にあがる道」か、あるいは(a2)六郷用水ができた後にしばらく「筏道」になっていたかもしれない。

2017-01-06 03:08:12
墨染桜 @sumizome_sakura

(a2)だとすると、さらに面白い。筏道の推定古道が江戸時代以降も主要交通路でありつづけたことになるので。実際、このルートは現代も環8になっていて、多摩川北岸の主要交通路なのだが、そうなるとあらためて(b)のルートが気になる。

2017-01-06 03:09:20
墨染桜 @sumizome_sakura

(b)の砧公園東側の道はわざわざ遠回りになるからだ。 で思い当ったのが、(b)の世田谷通りとの合流地点の地名。「宇山」で、これは「宇奈根山谷」の略称。ここ、喜多見の「宇奈根村」の飛び地なのである。

2017-01-06 03:10:39

東京世田谷区の歴史 宇山稲荷神社
《新編武蔵風土記稿の荏原郡の部に宇奈根山■村の西の隅にあり」と記されて要るので、今の宇山の名はそれが縮まったものと思ふ》

リンク Wikipedia 宇奈根 日本 > 東京都 > 世田谷区 > 砧地域 > 宇奈根 日本 > 神奈川県 > 川崎市 > 高津区 > 宇奈根宇奈根(うなね)世田谷区も参照のこと。この地域に存在する宇奈根一丁目、同二丁目、三丁目の各町域の通称的な総称でもある。1971年に住居表示の実施が完了した。駒澤大学玉川キャンパスが所在する。北に野川、南に多摩川が流れ、西に東名高速道路、中心を東西に水道道路が通る。地区全域が至近の鉄道駅から2km以上(徒歩およそ30分以上)離れている鉄道空白地帯に属する為、 狛12(小田急)、玉04(東急)、玉05
墨染桜 @sumizome_sakura

とすれば、筏道古道の(b)と(c)は喜多見の宇奈根に深く関わる道だということになる。で、以下は完全に憶測になるのだが、多摩川の筏流しは、中世~江戸時代初期までは、宇奈根から上流部と、宇奈根から下流部に分かれていたのではないか。

2017-01-06 03:12:04
墨染桜 @sumizome_sakura

「ウナネ」は本州各地に残る地名で、現在では「川の屈曲部」を指す言葉だと考えられている。幾筋にもわかれて、ぐにゃぐにゃ曲がっていたのではないだろうか。いわゆる「蜘蛛手」ですね(^^。興味のある方は、牛山佳幸さんの『【小さき社】の列島史』平凡社選書などをご参照。

2017-01-06 03:14:49
リンク www.heibonsha.co.jp <小さき社>の列島史 - 平凡社 <小さき社>の列島史詳細をご覧いただけます。
墨染桜 @sumizome_sakura

だとすると、筏流しには難所。下流部までさらに流していくとしても、いったん陸地にあげるか、あるいは水路に詳しい地元の人間たちに引き渡していたか。どちらにしてもここが中継地点で、下流部は喜多見の「宇奈根」の人々の領分だったと考えると、いろいろ辻褄があう気がするのです。

2017-01-06 03:16:14
墨染桜 @sumizome_sakura

でも、そうだとすると、この推定古道、明らかに瀬田を避けていることになる。瀬田は「瀬多郷」までさかのぼる地名で、古代から人が住んでいた場所の一つ。九品仏川流域や用賀よりも先に開けていた土地なので、わざわざ通らなかったと考えられ……いろいろ妄想ばかりがふくらみますww。

2017-01-06 03:34:18
リンク Wikipedia 瀬田 (世田谷区・川崎市) 瀬田(せた)は、東京都世田谷区及び神奈川県川崎市高津区の地名。両地域は多摩川を挟んだ両岸に位置する。昭和30年代の住居表示実施前の玉川瀬田町にあたる地域がほぼ含まれている。南部は、街として二子玉川と呼称される地域の一部にあたる。北部は環八通りに面す。国分寺崖線沿いにあり、崖線の上からは多摩川や富士山まで見渡せる場所がある。丸子川沿いなどに自然が程よく残されている閑静な地域である。戦前より多摩川や富士山を見晴らす景勝地のひとつとして知られ、玉川遊園などの園地が設けられていた。財界人・政界人等が暮らす。住宅地
墨染桜 @sumizome_sakura

筏流しは最も旧い専門職業の一つで。淀川水系だと奈良時代から記録がある。 関東でも鎌倉時代にはすでにやっていて。盛本昌広さんの『軍需物資から見た戦国合戦』(洋泉社新書)によると、鎌倉の円覚寺の建材は、鳥屋山などから相模川水系で運ばれた、とのこと。

2017-01-07 04:33:36
墨染桜 @sumizome_sakura

(あ、盛本さんのこの本は、戦国時代の土木や交通に興味がある人には特にお奨めで。木材の用途だけでなく、舟橋などに関しても詳しく解説してあります。) で、やはりこの本によると、後北条氏の小田原でも、材木は丹沢山地から相模川水系で運んでいて、

2017-01-07 04:34:52
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