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君たち、デカルトの原父語りを念仏にするのは侘しいよ、せめて世界内存在=愛を語ってよ。

隠者君のいう私的言語とは何か。それはデカルトの格律語り、汝語り、つまり現代では原父語りでしかない。挙句に彼は念仏を唱えたがるのだが、そういうアフォリズムや念仏は勘弁してくれ、世界内存在=愛を語ればいいじゃない、ったく生活感が全く感じられない。そういう年末年始ツイート(かなり多岐にわたる)の切り抜きです。 知的誠意がないと言われた隠者くんから見れば、ツイッターで愛人受けするツイートをしている中嶋さんのほうが知的でないのだろう。ところが隠者君は、私的言語論(デカルトの語り方)だと言い出す始末。 こうした日本人独特の、リスペクトを欠く会話と言うものを分析するべく、彼らのツイートを切り取っておいた。さもないと、私的言語論なんてものを一蹴できなくなってしまう。
人文 ハイデガー ウィトゲンシュタイン 隠者君 デカルト
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中嶋 哲史 @J_J_Kant
誠意とは何か。それは畢竟相手の前に自己を差し出し、生殺与奪を委ねるということではないか。しかるに彼には差し出す自己がない。あるのはいつも虚しい言葉だけだ。だからこちらも生殺を与えることができない。
隠者(阿羅漢 周利槃特) @inja650rr
自身の生殺与奪を相手に完全に委ねるという事は「忠誠」というものでしょう。 ちなみに、僕は何者に対しても等しく「誠意」を持ちたいと思います。 @J_J_Kant
中嶋 哲史 @J_J_Kant
@inja650rr まあ、そうすぐに言い返すのではなく、人の言ったことを舌頭千転、拳拳服膺してみよ。
中嶋 哲史 @J_J_Kant
@inja650rr 言葉を言葉で考えていても君に成長はない。言葉は必ずある事実を示していなければならない。言葉は事実と貼り合わせて用いるのでなければただの音や模様に過ぎない。言葉の重みとはそこに貼り付いた事実の重みなのだ。君の言葉が常に軽いのは事実が貼り付いていないからだ。
中嶋 哲史 @J_J_Kant
女の子を口説くときにぼくは誠実な男ですなんて言葉で言うやつがいるだろうか。誠実というのは言葉ではなく行為であって、女の子が誠実な男だと思うような行動をしなければ落とせないと思うがね。よしんば本心に誠意はなかったとしても。
隠者(阿羅漢 周利槃特) @inja650rr
@J_J_Kant 手先口先のテクニックで女の子を落としたところで、 どうせ心なき関係は、すぐに破綻しますよ。 それ程脆いものだと僕は思います。
中嶋 哲史 @J_J_Kant
これだけ多くの人間が彼に関心を寄せ、彼を論じ、彼をどうにかしようとするのだから、ある意味で彼には妙な魅力があるのだろう。まあそれでまた思い上がると困ったことになるのだが。いつまでも相手をしてもらえるとは思うなよとは釘を刺しておきたい。
中嶋 哲史 @J_J_Kant
どういう思想・価値観を持とうと自由だが、超越論的視点ぐらい持てよ。

諸隈元シュタイン @moroQma
言語の限界に逆らうということ、我々の獄舎の壁に向かって走るということは全く、そして絶対に望みのない試みです。しかし、それは人間精神に潜む尊き傾向であり、個人的に私はこの傾向に深く敬意を払わざるを得ないし、生涯それを嘲るようなことはしないでしょう。1929年11月『倫理学講話』より
諸隈元シュタイン @moroQma
「言語と論理が純粋に支配する厳格な建築」=論考の世界=言語の(沈黙せねばならない)限界に逆らうということ、それは絶対に望みのない試みです。――まさにその限界に逆らうハイデガーへの共感は、ほぼ同時期(1929年12月)に吐露されている。twitter.com/moroQma/status…
諸隈元シュタイン @moroQma
@sunamajiri ゲーデルの面白い所は、彼の定理によって人間の限界が示されたと皆が嘆く中、いや「人間は機械を超える事が示された」じゃないかと考えた点ですね。停止問題のように機械も不完全性定理からは逃れられないわけですが、機械と違って人間はその事を認識できるじゃないか!と。
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
それを分かりやすく説明しているのが、この諸隈元シュタイン氏の説明であり、いや実に現存在的だ、という話をしていたのだ。twitter.com/moroQma/status… @BeTakada
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
ところで、私の発問は、これほど単純なことが紛糾しているのはなぜかということだ。とくに通俗的ゲーデル解釈としての柄谷を批判した東をも、フロイトに回帰してしまう。これは無意識の問題なのか、というのをハイデガー的に批判しようとしている、というところだろう。@BeTakada
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
ここに引き寄せ、もう一度だけコメントアウトしておくと、隠者君は中嶋先生の生兵法だと大怪我しかねないし、そうしたネットの無意識はあまりに空気が悪くてタカ基地さんが不機嫌になるが、それを空気清浄機に喩えるのは、もはや確信犯的。twitter.com/sunamajiri/sta…
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
空気が悪すぎて空気清浄機がフル回転してるのだけれど、全然効き目がないらしい。それにしても仏教用語の紋切型というのは、一見脱構築的に見えて人々が躓くのだけれど、全く効果なしなんだよね。それにしてもタカ基地さんもきついなww twitter.com/BeTakada/statu…
諸隈元シュタイン @moroQma
@sunamajiri @BeTakada 言語の限界で沈黙を選んだのがヴィトゲンシュタインで、その限界を越えて突き進んだのがハイデガーと言えるかもしれません。そしてヴィトゲンシュタインも結局は沈黙を破り、死ぬまで語り続けたのです。twitter.com/moroQma/status…
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
1929年は濃密ですね。ハイデガーのカント書とダヴォーす討論がある。そこでは従来のカントの被制作性という議論からの転回が起こる。それが今日、米で言われるフリードマン史観だが、まさにその年の暮に、ウィトゲンシュタインがその応答をするわけです。@moroQma @BeTakada pic.twitter.com/ABOpsYeMqk
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大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
昨日の話していたのは、その1929年に、メタ存在論への転回が起るとは、公共性というハイデガーの言う曖昧からは退屈の極意である閑暇(スコラゼイン)という、ギリシャ人の本来の根本気分に達したという話です。twitter.com/sunamajiri/sta… @moroQma
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
つまり、話を正確に方向づけるとすると(方向づけることが現象学なもので)、スコラゼインという本来の気分(根本気分)によって、存在の声に呼び止められるということは、従来の被制作性など、どうでもよい話題だ、という問題であるわけです。@moroQma
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
だからこそ、先程こうツイート twitter.com/sunamajiri/sta… したのです。従来は1929年問題が有耶無耶に解釈されていたが、現在はフリードマン史観以後であるので、そこに何らかな無意識、たとえば被制作性という非本来の問題が入り込む余地がないわけです。@moroQma
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
それはとりもなおさず、twitter.com/moroQma/status… と仰るような、ゲーデル解釈のことだ、というのが先程のツイートなわけです。ここを踏み謝ると、非常に事態が紛糾する。フォロワーさんたちの紛糾ぶりを眺めていても、ほとんどこの問題に見えるほどです。@moroQma
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
このスレッド前半から何度か指摘したとおり、旧来の問題枠では会話が成立しない。それを問題性と躓いてはいけない。まさにその1929年以後、いわば被制作性という宗教的な問題は完全に終結しているのだから、存在の声に呼び止められるしかない。そういう問題です。@moroQma
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri
これはこういう当たり前のことです。「機械も不完全性定理を免れないが、人間はそれを認識できる」。これは自明性なのだが、これを問題にするのが存在論なのです。人間は機械を認識する存在者であり、認識できない存在者ではない。twitter.com/moroQma/status… @moroQma
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コメント

大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri 2017年1月11日
隠者君の年越しツイート、いかに私的言語論だったのか、ツイッターでは埋もれて、あまりに見えづらいので、ちらっとまとめといたよ。
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