生と死は絶対的な状態差なのか?

阿蘇の史(さかん)さんと植村恒一郎さんの哲学的対話をまとめました。 生死の差をめぐる対話ですが、(念のために言えば)争点はスピリチュアルなものではありません。生と死は絶対的な違いなのか、連続性が保たれているのかというような、存在論や認識論に関わる話題です。
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Jimmy Aames @asonosakan

何年か前、田沼靖一さんの『死の起源』という本を読んだ。かなり面白かったけれど、「なぜ生物は死ぬのか」という問いに焦点が当てられていて、死のメカニズムについてはあまり詳しく書かれていなかった。私が興味あるのは、生と死は絶対的な状態差なのか、それともあくまで程度の差なのかという問題。

2017-01-23 15:03:54
植村恒一郎 @charis1756

「生の過程の終り」という意味での「死」は、「生の一番端にある境界」つまり「生の限界」だから、生と連続していますね。しかし、「死後」という意味での「死」なら、それは絶対無ですから、絶対的に断絶しています。しかし本当は、「死後」は「存在」ではないので「始まる」こともできないのですね。 twitter.com/asonosakan/sta…

2017-01-23 15:15:10
Jimmy Aames @asonosakan

@charis1756 死後は本当に絶対無でしょうか。もちろん身体は動かなくなりますが、生前行った行為や執筆した文章などを通して、死後も他人の振る舞いに影響を与え続けることができますし、そういう意味で生物的に死んだ後もある程度は「生きている」と言えると思うのですが、どうでしょう。

2017-01-23 15:45:37
植村恒一郎 @charis1756

バクテリア等はともかく「人間の死」は、その「死」の定義の中に、当人の体験すなわち意識が入るべきでしょう。哲学者たちの「死」の議論は、この一点を巡っています。プラトンを読む我々にとって「彼は我々の心の中で生きている」としても、個体としてのプラトンの死と混同はできないと思います。 twitter.com/asonosakan/sta…

2017-01-23 16:03:21
植村恒一郎 @charis1756

人間が「生きている」とは、見たり、考えたり、記憶したり等々の意識の働きが含まれています。だから人間の「死」とは、意識の死、「魂の死」を意味します。ただ、絶対無は「永遠に続く暗闇」ではないのですが、それを概念的に捉えるのはなかなか難しく、パスカルのような人がそこへ付け込むわけです。

2017-01-23 16:14:39
Jimmy Aames @asonosakan

死んだ人間が未だに生きていると言えるのは、単に「我々の心の中で」ではなく、もっとリアルな意味でそうだと思っています。例えば私はパースの著作を読んで、彼の哲学を研究するためにアメリカに渡航することを決意しました。パースの思考が、私の身体を動かしたわけです。@charis1756

2017-01-23 16:50:08
Jimmy Aames @asonosakan

パースが生物的個体として生きていた当時の意識体験が、その個体の機能停止とともに完全に消滅したと言えるのか、私には疑問です。彼の思考が彼自身の身体を動かす場合と、時間を隔てて私の身体を動かす場合との間に、本質的な違いがあるとは思えないのです。@charis1756

2017-01-23 16:50:55
植村恒一郎 @charis1756

生きているパースの活動が他者に与える因果的影響は、長い時間の中に継続し、パースの声を直接聴く人にも、書いた文字を読む同時代の人にも、パースの死後にそれを読む阿蘇の史さんにも、因果的影響を与えます。でも、そうした影響が存在するからといって、パースの生と死の区別はなくなりません。 twitter.com/asonosakan/sta…

2017-01-23 17:16:17
植村恒一郎 @charis1756

脳の活動の停止と、意識の消滅とは、同時かどうかはともかく、前者に引き続いて後者はいずれ必ず起きるでしょう。これには反証例がないと思います。こうしたことと、人間の活動の因果的影響が死後にも残ることは、別の話であり、因果的影響があるから死んでいない、ということにはならないでしょう。 twitter.com/asonosakan/sta…

2017-01-23 17:21:10
Jimmy Aames @asonosakan

私は別の話ではないと思います。「因果的影響」という言い方をされましたが、私の言いたい影響は、紙に印刷された字が光の反射を受けて、その光が私の網膜を刺激して…といったような因果連鎖のことではなく、複数の現象が同一のパターンに従うようになる影響です。@charis1756

2017-01-23 19:22:58
Jimmy Aames @asonosakan

これらは全く異なるタイプの因果だと思っています。伝統的な用語を借りれば、前者は作用的因果、後者は形相的因果です。そして形相というのは、思考の本性を持つものだと思っています。つまり複数の現象が同一のパターンを示し得るのは、それらが同一の思考の顕現だからです。@charis1756

2017-01-23 19:25:33
Jimmy Aames @asonosakan

脳の活動が停止すれば、見たり聞いたりといった感覚体験が無くなるだろうことは認めます。しかし「意識」という言葉をそのような一回的な感覚体験だけに制限するのは、意識の捉え方として不十分であるように思います。なぜなら、思考も私たちの意識体験の重要な要素だからです。@charis1756

2017-01-23 19:26:49
Jimmy Aames @asonosakan

そして思考が個体の機能停止後も依然として存在し、影響を及ぼし続けることは、私の挙げたパースの例が示していると思います。そうであれば、個体の機能停止後も意識が完全に消滅するとは言えないでしょう。@charis1756

2017-01-23 19:28:03
植村恒一郎 @charis1756

「因果的影響」をどう理解するか、貴兄の言われる意味はよく分りませんが、いずれにしても、因果的影響があることと、原因の存在非存在とは別のことではないでしょうか。夜空に見えるアンドロメダ星雲は、200万年前のものですが、星雲自体は現在は無いかもしれない。でも因果的影響はあるわけです。 twitter.com/asonosakan/sta…

2017-01-23 19:29:38
植村恒一郎 @charis1756

そこで言われる「思考」は、スピノザの言うような意味で、個人を越えた客観的意味のようなものでしょう。パースの脳の活動が停止した後も、彼の生前の脳の活動の成果である「思考」は当然残ります。でも、パースの死後、パースの脳はもはや新しい思考を生みださない。これが死ではないでしょうか。 twitter.com/asonosakan/sta…

2017-01-23 19:33:41
Jimmy Aames @asonosakan

パースの脳が新しい思考を生み出すことはもうないですが、彼の思考がなお新しい思考を生み出し続けているでしょう。脳の有無は、生死の分け目にするほど重要な事柄ではないと思います。脳がなくなれば、思考は新しい乗り物を見つけ出すからです。@charis1756

2017-01-23 20:06:35
植村恒一郎 @charis1756

「パースの思想はなお新しい思考を生み出し続けて」いるし、パースの思想は、パース以外の多数の「新しい乗り物」に受け継がれる。でもそれはパースの脳の死後にも彼の意識がある、ということではありません。彼の脳の死と共に彼の意識も失われることと、彼の思想が死後も発展することは、両立します。 twitter.com/asonosakan/sta…

2017-01-23 20:50:27
植村恒一郎 @charis1756

「脳の有無」あるいは「身体の有無」以外に、「生死の分け目」を決めるものが何か他にあるのでしょうか?「生死の区別は存在しない」というなら別ですが、「生死の分け目」があるならば、「身体の有無」しかないと私は思うのですが。

2017-01-23 21:08:14
諒大 @p_poem_ryo

@asonosakan @charis1756 哲学者ではなくいわゆる見物好きな人間ですが失礼します。 パースの意識や意志、思考は現代に伝わっているのでしょうか。それは本当にパースの意志でその意志の通り解釈できている方はいるでしょうか。 思考とはやはり個人のものだ思います。

2017-01-23 21:43:31
Jimmy Aames @asonosakan

@charis1756 それが一般的な考え方でしょうが、私がその考え方に抵抗があるのは、脳だけが意識を持ち、それ以外のものが意識を持たないと考えると、意識の存在を一種のオカルトにしてしまうからです。なので私は汎心論の立場に立っています(ここで説得しようとは思っていません)。

2017-01-23 21:51:22
Jimmy Aames @asonosakan

@charis1756 生死の区分を否定するつもりはないですが、はっきりとした境界があるとは思っていないです。むしろ熱拡散のようなものなのではないかと想像しています。拡散が一通り終了して、それ以上環境に影響を及ぼさなくなることが「死」に相当すると言えると思います。

2017-01-23 21:52:45
Jimmy Aames @asonosakan

@ryo_phyro_dai @charis1756 ではどうして私の書いていることをあなたは理解している(あるいはそのように見える)のでしょう?もし思考が個人間で伝達可能であると認めるのであれば、思考は個人のものではないことになるでしょうし、もし認めないのであれば、

2017-01-23 22:33:13
Jimmy Aames @asonosakan

@ryo_phyro_dai @charis1756 伝達可能であるように見える理由を説明する必要があるでしょう。思考の生まれた経緯や起源が個人にあるのはその通りだと思いますが、それは論旨とは関係ないでしょう。それは発生論の誤謬に当たると思います。

2017-01-23 22:36:11
諒大 @p_poem_ryo

@asonosakan @charis1756 次の返信に書いている通りです。私はあなたの書いた文字を読んで理論を理解したに過ぎません。 理論を理解されることが意識や意志を継いだことにはならないと思います。 この点においての考え方の相違は私も考え直さざるを得ませんが...。

2017-01-23 22:41:59
Jimmy Aames @asonosakan

@ryo_phyro_dai @charis1756 うーん…私が「思考」と呼んでいるものをそちらは「理論」と呼んでいるようなので、同じ論点を「思考」を「理論」に言い換えて繰り返すことができるのではないでしょうか。

2017-01-23 23:01:43