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劉備は諸葛亮に「劉禅に才能がなければ君が国を奪え」と言ったのか?

三国志好きにはおなじみの、劉備が死の床で諸葛亮に告げた言葉の解釈について面白いツイートがありましたのでまとめました。 後半は後世、劉備と諸葛亮ののやり取りがどう評価されたのかなどを紹介しています。
歴史 諸葛亮 三国志 劉備 遺言
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発端は偏見で語るbotのツイートから。

偏見で語る三国志bot @biased3594
劉備:死に際に諸葛亮に「息子の才能がなかったら国を乗っ取ってくれよな」と遺言した。陳寿はこれを永遠の手本にしろと褒めるが明代の王夫之という学者は「こんな守れない命令は絶対出しちゃいけねえ『乱命』なんだよ」と謗っている。劉備が諸葛亮を本当には信頼していないことがここからわかると言う

劉備が死に際に諸葛亮に釘を刺した、とする説は、三国志関連の書籍を多く出版している「名士論」でおなじみの渡邉義浩教授が強く推す説。渡辺教授の「名士論」では、三国どこであろうが君主と名士は対立するものとして定義されており、劉備は法正や李厳を重用して諸葛亮に対抗させたとしている。

※ただし「名士論」を蜀漢に当てはめることへの反論は少なくない。また、ネットで法正や李厳の話題において言われることのある「益州閥」「(諸葛亮の)荊州閥」という概念も誤認がある。法正は司隷扶風郡から190年代に益州入りし、李厳は208年以降に荊州から益州に入った。ともに益州人ではなくよそ者。

松浦 桀 @HAMLABI3594
これは読み間違いだろう。「劉禅と2人で国政を運営してほしい。もし劉禅に才能がなかったならば、1人で国政を運営しなさい。」と解釈すべきで、皇帝の位うんぬんは問題にしていない。 twitter.com/biased3594/sta…

原文:「君才十倍曹丕、必能安国、終定大事。若嗣子可輔、輔之。如其不才、君可自取」
 
ちくま訳では「君の才能は曹丕の十倍はあり、きっと国家を安んじ、最後には、大事業を成し遂げることができよう。もし後継ぎが補佐するに足る人物ならば、これを補佐してやってほしい。もしも、才能がないならば、君が国を奪うがよい」とする。

対して諸葛亮は、
原文:亮涕泣曰「臣敢竭股肱之力、効忠貞之節、継之以死」
ちくま訳:「私は心から股肱としての力を尽くし、忠誠の操を捧げましょう。最期には命を捨てる所存です」となる。

松浦 桀 @HAMLABI3594
@HAMLABI3594 そして諸葛亮が判断するまでもなく、北伐に際して227年に劉禅は全権を諸葛亮に委任している。これは劉禅の判断。
松浦 桀 @HAMLABI3594
@HAMLABI3594 これが劉禅が蔣琬死後に国政を回収した記載に繋がる。 「魏略曰:琬卒,禪乃自攝國事」
松浦 桀 @HAMLABI3594
@HAMLABI3594 これが諸葛亮の後継者として一括りにされがちな蔣琬と費禕に対しての劉禅の決定的な対応の違い。蔣琬には諸葛亮と同じく全権を任せたが、費禕に対しては違った。費禕の娘は劉禅の皇太子の妻なのに。
松浦 桀 @HAMLABI3594
@HAMLABI3594 このことからも諸葛亮が後継者として指名したのは蔣琬ただ一人であることが伺える。諸葛亮とは別に李福が主張した件については「それ本当?本当に丞相が蔣琬の次は費禕と言ったの?作り話じゃないの?」と思ったことだろう。
伍子胥 @nyantarou0714
@HAMLABI3594 私も、[君自ら取る可し]は警戒しての言葉ではないと思うのですが。 劉禅と共に国政を任せ、それに削ぐわない場合は諸葛亮が一人で国政をとなると 何故李厳も後事を託されたのかが… 松浦さんのお考えもうかがいたいです。基本的な質問で失礼します。
松浦 桀 @HAMLABI3594
@nyantarou0714 李厳伝「嚴與諸葛亮並受遺詔輔少主」は定型文で、具体的内容が書いてあるのが先主伝「託孤於丞相亮尚書令李嚴為副」。劉備は「李厳は諸葛亮を補佐しろ」と言っている。李厳が諸葛亮を補佐することは劉禅を補佐することに繋がるため、李厳伝の定型文は誤りではない。
Jominian @Jominian
これは面白い解釈。「自取」の三国志における用例を見ても、取る対象が何なのかは「自取」だけでは決まらない。劉備の「君可自取」も、何を取るのか明言していない。国を乗っ取れという意図は深読みか。劉備自身が、己の否定した曹操になれとは言えないはず。これは、霍光になれということだろう。 twitter.com/HAMLABI3594/st…
四式戦闘機 @ki84type4
@Jominian 「国政を取る」ということでしょうか。確かにそう言われればそう読んだほうが自然に思えます。
あわぬこ(趣味垢) @awanuko2019
@Jominian これは目からウロコですわ。原文調べてみようっとΣ(゚ロ゚;)
Jominian @Jominian
@awanuko2017 当たり前のように流布している解釈については、改めて考えようとはなりにくいですからね。私もそういうのは疑うようにしてますが、この件は考えていませんでした。
Jominian @Jominian
@nyantarou0714 @awanuko2017 渡邉先生が流布したのは、諸葛亮と劉備が対立していて、劉備の言葉を牽制の意味で捉えるべき、という考え方ですね。確かに、少なくとも日本の三国志ファンの間では、それは名士先生が流布したように思えます。
Jominian @Jominian
鶡冠子に「取政」という表現があった。「君可自取」の後に「政」と続けても問題はなさそうだな。 twitter.com/Jominian/statu…
Jominian @Jominian
「臣敢竭股肱之力、效忠貞之節、継之以死」という、「君可自取」に続く諸葛亮の言葉も検討しないとな。「臣、敢えて股肱の力を尽くし、忠貞の節を尽くし、これを継ぐに死を以てす」なので、劉禅を支えることを誓った内容。「継之」が気になるところであるが、これは中原回復という大業のことだろう。
ネットインコ @Golden_hamster
@Jominian 確か検討に値する。ただ、「若嗣子可輔,輔之」の「輔」っていうのは漢代には領尚書事を「輔政」と呼んでいたりしたので、「嗣子=劉禅がまともなら摂政として輔政せよ」と読むべきにも思う。そうなると後段の「取」は輔政とは別の何かになるかもしれん。
伍子胥 @nyantarou0714
@Golden_hamster @Jominian 諸葛亮が録尚書事として〜と読むと確かに納得してしまいます… 漢文の一文字、一文字に重点を置く意義…改めて気付かされます。
Jominian @Jominian
@Golden_hamster @nyantarou0714 なるほど、「輔政」か。漢書を見ると確かにそういう意味で使われてそうな箇所も散見されるな。三国志だと曹丕が外戚を輔政の任に就けるのを禁じた詔勅や、曹芳の時の曹爽と司馬懿、烈祖様の時の陳羣と司馬懿、後は霊帝死後の何進とかか

※烈祖様=曹叡

Jominian @Jominian
@Golden_hamster @nyantarou0714 改めて見ると、蜀書に「輔政」という表現は使われてないんだな。
紫電P @sidenp
はー、これは面白い新説。なるほどなあ。

話題はそれぞれの劉備観にも関する方向へ

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コメント

Cooler @CoolerNobunyaga 2017年2月12日
まとめ有り難うございます。「君可自取」の意味は陳寿にとって自明のことでも、孫盛以降は魏晋という例があるだけに違って受け止めるようになったんですかねえ。禅譲と聞いて思い出すのが王莽の事例か、魏晋以降の例かで禅譲に対する意識がまた違うでしょうし、「漢の復興」の重みもまた違うような。 ……司馬炎の諸葛亮に対する評価は、陳寿の表すところをちゃんと汲み取っての評価だったんですかね?
ゴイスー @goisup 2017年2月12日
劉備ってホント、分からない人物っすね。宮城谷さんは「道教的人物」と書いてた。無為自然とまでは言わないけど、王朝の連続的権威基盤である世襲にはあんまり拘りなかったのかも。ふさわしいやつが国を回せばええやん?くらいの。
文伯倫 @bunnsyo 2017年2月12日
「諸葛亮が帝になるか否か」って言うより、どういう立場であれ諸葛亮に国政を執って欲しかったんじゃないかな。原文の目的語がはっきりしてない以上、これは読み手がそれぞれ解釈をするしかないと思う。
Yoshiteru Kawai @yoshikun2009 2017年2月12日
当時の中国語ではどうだったのか、言語学者の意見も聞きたい
こんたん @kontan8823 2017年2月12日
徐州時代、陶謙が自分に領主を譲ってくれたことに倣ったのでは? それと荊州時代、劉表の死後による混乱がいかに民草を苦しめたか間近で見てきた劉備としては、自分が築いた王朝で同じ轍を踏みたくなかったのだろう。
Shun Fukuzawa @yukichi 2017年2月12日
〇川「スゥ... 劉備です。あの発言はですね」
小野阿久斗 @504timeout 2017年2月12日
取るというのはやはり国を取ると考えたほうがいいような気がする。 君主がいるのに軍事から内政まで全権を一手に握るのは君主と臣下の相当な信頼関係が無ければできない。そうでなければ君主派と丞相派の派閥争いで国が分裂する。 それを防ぐには君主(劉禅)を追い出し臣下(諸葛亮)が新たな君主となることが最良。その時に先帝のお墨付きがあるのだから禅譲という形とも言える。
小野阿久斗 @504timeout 2017年2月12日
そして儒教(ここでは孟子除く)では武力による王朝交代ははっきりと否定していない。孔子が理想とした周王朝が殷を武力で放伐したのだから、民にとって害しか無い君主に取って代わることはタブーではない。 当然平和裏に禅譲するのが理想ではあるし、批判も少なくなるが。
吉川卓見@制作ですらなくなった! @nondarasinu 2017年2月12日
嘗て荊州を奪うように勧めた男から、逆に益州簒奪を提案される。だが、劉備は荊州を奪ってないのだから(例え彼が変心したとしても)諸葛亮が実際に簒奪する事はない。また、国を譲るとまでいわれたのだ。先帝の幼子を引き連れて魏へ帰順する道は、これによって完全に絶たれた。華やかな中原へ戻りたがっていた者達も心を決めざるを得なかった。
伍長 @gotyou_H 2017年2月12日
公然とこういうことを言うのが牽制である、っていう人の意見もわかるんだけど、「君はかつて劉表、劉章から荊州・蜀を我が物にするように言った。君ならできるだろう」という、本心からの言葉だったと踏んでいる。 劉禅は劉禅で超ノンポリ坊やだったことが伺えるので、信じていたとかいなかったというより、常に「今の状況がよくわかっていなかった」が正解なんじゃないかな。
こざくらちひろ @C_Kozakura 2017年2月13日
劉備は食客として苦労を重ねた人なので、関羽と張飛に対してを除けば、諸葛孔明よりも冷静に人を見ている気がするんだよ。日本でいえば、徳川家康に近いタイプの人。劉禅に中原を取り戻す大志がないのをしっていたからこそ、諸葛孔明にこういったんだろうと思う。当時の魏呉蜀の国力比率が6:3:1と言われているから、蜀の存在意義は中原の奪還とでも言わないと、長くはないと判断してのことだろう。
遊佐飛鳥@漢晋春秋 @asukayusa3594 2017年2月18日
考えて見れば、曹操父子の漢朝簒奪を否定していた劉備が、自らの後継者(劉禅)もいるのに諸葛亮に禅譲を匂わすような事を言う必要性も必然性もないんだよ。天命は「天から降る」もので、天命を承けている身が次の天命の降る先を指定出来るはずもないしな。そういう意味で、松浦さんの考察がこの件を解釈するに一番しっくり来る。
aaa @aaa62003841 2017年3月23日
これを李厳と諸葛亮が一緒に聞いてて二人が違う解釈をしたから、諸葛亮はJominian氏の解釈をしていて李厳はGolden_hamster氏の解釈をしていたから李厳の九錫を受けろという発言に対して中原支配したら十錫でも受けると返したという話に繋がったのではないかと思った
ソフトヒッター99(ネトゲでは17歳JK設定) @softhitter99 2018年9月16日
歴代の知識人であるはずの中国人が「皇帝になれということで、乱命だ」「いや劉備らし」という議論になっているのだから、そう読めるものなんだろうとしかw ただ正史の記述であっても、物語としては「劉性の王朝の再興に自分の政治的正当性を見出していたはずの男が、最後に最愛の同志に、いざとなれば思うままにしていいと言い残したんだよ、面白くてかっこいいじゃねえか」の方がいいよな。
佐野まさみ @gameperson_sano 2018年10月19日
さすがに劉備の遺言を「息子お飾りにしていいよ」ってとるのはやりすぎのような……
tetsuri @e_tetsuri 2019年9月18日
国を奪いづらくさせるための牽制であるという解釈は間違いですね 理由は簡単 蜀の国力です。 もし、あなたに明日にでも攻め滅ぼされそうな国を奪っていいよと言われたらどうします? 返事はノーサンキューでしょう。 劉備は諸葛亮になりふり構わずやって欲しかった。 そうでもしないと国が亡んでしまうから。ただそれだけです
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