
劉備は諸葛亮に「劉禅に才能がなければ君が国を奪え」と言ったのか?
発端は偏見で語るbotのツイートから。

劉備:死に際に諸葛亮に「息子の才能がなかったら国を乗っ取ってくれよな」と遺言した。陳寿はこれを永遠の手本にしろと褒めるが明代の王夫之という学者は「こんな守れない命令は絶対出しちゃいけねえ『乱命』なんだよ」と謗っている。劉備が諸葛亮を本当には信頼していないことがここからわかると言う
2017-01-22 12:10:40劉備が死に際に諸葛亮に釘を刺した、とする説は、三国志関連の書籍を多く出版している「名士論」でおなじみの渡邉義浩教授が強く推す説。渡辺教授の「名士論」では、三国どこであろうが君主と名士は対立するものとして定義されており、劉備は法正や李厳を重用して諸葛亮に対抗させたとしている。
※ただし「名士論」を蜀漢に当てはめることへの反論は少なくない。また、ネットで法正や李厳の話題において言われることのある「益州閥」「(諸葛亮の)荊州閥」という概念も誤認がある。法正は司隷扶風郡から190年代に益州入りし、李厳は208年以降に荊州から益州に入った。ともに益州人ではなくよそ者。

これは読み間違いだろう。「劉禅と2人で国政を運営してほしい。もし劉禅に才能がなかったならば、1人で国政を運営しなさい。」と解釈すべきで、皇帝の位うんぬんは問題にしていない。 twitter.com/biased3594/sta…
2017-01-22 12:38:55原文:「君才十倍曹丕、必能安国、終定大事。若嗣子可輔、輔之。如其不才、君可自取」
ちくま訳では「君の才能は曹丕の十倍はあり、きっと国家を安んじ、最後には、大事業を成し遂げることができよう。もし後継ぎが補佐するに足る人物ならば、これを補佐してやってほしい。もしも、才能がないならば、君が国を奪うがよい」とする。
対して諸葛亮は、
原文:亮涕泣曰「臣敢竭股肱之力、効忠貞之節、継之以死」
ちくま訳:「私は心から股肱としての力を尽くし、忠誠の操を捧げましょう。最期には命を捨てる所存です」となる。

@HAMLABI3594 そして諸葛亮が判断するまでもなく、北伐に際して227年に劉禅は全権を諸葛亮に委任している。これは劉禅の判断。
2017-01-22 12:40:10
@HAMLABI3594 これが諸葛亮の後継者として一括りにされがちな蔣琬と費禕に対しての劉禅の決定的な対応の違い。蔣琬には諸葛亮と同じく全権を任せたが、費禕に対しては違った。費禕の娘は劉禅の皇太子の妻なのに。
2017-01-22 13:02:51
@HAMLABI3594 このことからも諸葛亮が後継者として指名したのは蔣琬ただ一人であることが伺える。諸葛亮とは別に李福が主張した件については「それ本当?本当に丞相が蔣琬の次は費禕と言ったの?作り話じゃないの?」と思ったことだろう。
2017-01-22 13:11:54
@HAMLABI3594 私も、[君自ら取る可し]は警戒しての言葉ではないと思うのですが。 劉禅と共に国政を任せ、それに削ぐわない場合は諸葛亮が一人で国政をとなると 何故李厳も後事を託されたのかが… 松浦さんのお考えもうかがいたいです。基本的な質問で失礼します。
2017-01-23 21:50:31
@nyantarou0714 李厳伝「嚴與諸葛亮並受遺詔輔少主」は定型文で、具体的内容が書いてあるのが先主伝「託孤於丞相亮尚書令李嚴為副」。劉備は「李厳は諸葛亮を補佐しろ」と言っている。李厳が諸葛亮を補佐することは劉禅を補佐することに繋がるため、李厳伝の定型文は誤りではない。
2017-01-24 15:22:50
これは面白い解釈。「自取」の三国志における用例を見ても、取る対象が何なのかは「自取」だけでは決まらない。劉備の「君可自取」も、何を取るのか明言していない。国を乗っ取れという意図は深読みか。劉備自身が、己の否定した曹操になれとは言えないはず。これは、霍光になれということだろう。 twitter.com/HAMLABI3594/st…
2017-01-23 11:28:16
@awanuko2017 当たり前のように流布している解釈については、改めて考えようとはなりにくいですからね。私もそういうのは疑うようにしてますが、この件は考えていませんでした。
2017-01-23 13:15:36
@nyantarou0714 @awanuko2017 渡邉先生が流布したのは、諸葛亮と劉備が対立していて、劉備の言葉を牽制の意味で捉えるべき、という考え方ですね。確かに、少なくとも日本の三国志ファンの間では、それは名士先生が流布したように思えます。
2017-01-23 13:18:10
鶡冠子に「取政」という表現があった。「君可自取」の後に「政」と続けても問題はなさそうだな。 twitter.com/Jominian/statu…
2017-01-23 12:54:13
「臣敢竭股肱之力、效忠貞之節、継之以死」という、「君可自取」に続く諸葛亮の言葉も検討しないとな。「臣、敢えて股肱の力を尽くし、忠貞の節を尽くし、これを継ぐに死を以てす」なので、劉禅を支えることを誓った内容。「継之」が気になるところであるが、これは中原回復という大業のことだろう。
2017-01-23 20:25:44
@Jominian 確か検討に値する。ただ、「若嗣子可輔,輔之」の「輔」っていうのは漢代には領尚書事を「輔政」と呼んでいたりしたので、「嗣子=劉禅がまともなら摂政として輔政せよ」と読むべきにも思う。そうなると後段の「取」は輔政とは別の何かになるかもしれん。
2017-01-23 22:23:55
@Golden_hamster @Jominian 諸葛亮が録尚書事として〜と読むと確かに納得してしまいます… 漢文の一文字、一文字に重点を置く意義…改めて気付かされます。
2017-01-23 22:32:11
@Golden_hamster @nyantarou0714 なるほど、「輔政」か。漢書を見ると確かにそういう意味で使われてそうな箇所も散見されるな。三国志だと曹丕が外戚を輔政の任に就けるのを禁じた詔勅や、曹芳の時の曹爽と司馬懿、烈祖様の時の陳羣と司馬懿、後は霊帝死後の何進とかか
2017-01-23 22:56:42※烈祖様=曹叡

@Golden_hamster @nyantarou0714 改めて見ると、蜀書に「輔政」という表現は使われてないんだな。
2017-01-23 22:58:11話題はそれぞれの劉備観にも関する方向へ