劉備は諸葛亮に「劉禅に才能がなければ君が国を奪え」と言ったのか?

三国志好きにはおなじみの、劉備が死の床で諸葛亮に告げた言葉の解釈について面白いツイートがありましたのでまとめました。 後半は後世、劉備と諸葛亮ののやり取りがどう評価されたのかなどを紹介しています。
歴史 劉備 三国志 諸葛亮 遺言
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Jominian @Jominian
季漢書 : 劉備の遺詔の意味について―君可自取― blog.livedoor.jp/jominian/archi…

ちなみに、世の諸葛亮評ではこのくだりはどのように言われていたのか。以下にまとめました。
出典は裴注からのものはちくまから、他は講談社「全論 諸葛孔明」(渡辺精一氏著)より。

紫電P @sidenp
例のまとめのために久々に全論諸葛孔明読んでるけど、後世の評論にこういう台詞を言いたくなるようなものが多すぎてとても楽しい pic.twitter.com/I1ohXJXKVU
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紫電P @sidenp
①まず裴注でおなじみの、インテリクソリプ潤色おじさん(偏見)こと孫盛(東晋の史家、魏の驃騎将軍・孫資の玄孫)から。 「そもそも道理に沿い正義に拠り、信頼と従順を身に着けて、はじめてよく主君を助け手柄を立て、大事業を成し遂げることができるのである(続く)」
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「(承前)諺に『碁打ちでも打つ手が決まらないようでは相手に勝てないものだ』というが、まして主君の才能の有無を判断して態度を変えるようでは、どうして隣国の強敵を征服し、四海の内を手中にすることができようか。劉備の諸葛亮に対する命令のデタラメさにはこれほどひどいものはない(続く)」
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「(承前)世間では、あるいは劉備は委任に対する忠誠心を揺るぎないものとさせた上に、蜀の人々を団結させたいと願っていたのだというが、そうではない。後を任せる者が忠義かつ賢明であるならば、このような指示は必要ない。もしもその任に相応しくない人物ならば、簒奪の道を開くような(続く)」
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「(承前)ことを述べるべきではない。(中略)劉禅は暗愚だが、猜疑心がなく諸葛亮の権威は反対派を抑えきるに十分だったから方針に逆らうような気持ちを起こす余地がなかったのだ。そうでなければ猜疑による反抗の機運が生じただろう。この遺命を状況に対応するためのやむを得ぬ発言と(続く)」
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「(承前)受け取るのは、見当違いではなかろうか」
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王夫之(明末~清初の学者) 「諸葛亮は劉禅に『成都には桑八百株、やせた田畑が十五頃(約75ha=東京ドーム16個分)があり、家族の生活は余裕があります。その他に財産を作ったり、利益を得たいと思うことはありません。余った財産があり、陛下に背くことはありません』と言った(続く)」
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「(承前)と言っている。この言い方は、讒言をひどく恐れる末端の小臣が、自分は悪くないと切々と訴えているかのような言い方だ。諸葛亮が苦しんでいたことを理解することができる。劉禅はまだ(年齢的に?)物事がよくわかっていない人間である。それでも諸葛亮を懸命に信じようとした(続く)」
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「(承前)ところが劉備は、劉禅が補佐するに値しないなら国を奪え、と言い残した。この言葉が、劉禅の心に打ち込まれてしまったのだ。何かあれば諸葛亮はいつでも自分から国を奪ってしまうのだ…と疑いを持つ劉禅に対し、諸葛亮は自分の胸を割いて肺腑を示さない限り、疑惑を晴らせないのだ(続く)」
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「(承前)諸葛亮は蜀に身を置くが、諸葛瑾は他国である呉に仕え、諸葛誕は魏に仕えている。関羽・張飛は諸葛亮の心情を知らず、劉備と最も古くから一緒に事に当たっていたのは自分たちである、と抜擢に難色を示した。劉備自身の諸葛亮への疑惑はその最期まで続き、疑惑は劉禅にも継承された(続く)」
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「(承前)劉禅が諸葛亮に全権を任せると決意したのは、あくまでも情勢に屈服しただけであって、信頼を根底としていなかったのは明らかである。諸葛亮はくわや畑を例に心からの誠意を告げた。彼の忠節がいかに孤独で、危険と疑惑に包囲されていたか。(続く)」
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「(承前)その上で北伐を行って中原を回復し、滅んだ漢を復興させようとしていたのから、これがいかに難しいことであったかわかるだろう(続く)」
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「(承前)劉備が人物を見抜き任用するという点において、孫権に遥かに及ばなかったことがわかる。孫権が諸葛瑾、陸遜、顧雍、張昭を任用した点は、劉備が孔明を任用した度合いと比べるとそこまででもないが、彼らを信じきるという心においてはずっと篤かった。(孫権は)賢者と言うべきでである」 pic.twitter.com/iachYQsI4N
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紫電P @sidenp
基本的にこの方の「なぜ蜀漢が天下を取れなかったか」という命題に対する回答は「劉備が悪いよ、劉備がー」に帰結する感があります。
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王士禎(清の詩人、政治家) 「明の徐世溥は『諸葛亮の北伐が成功しなかったのは、劉備の遺言が原因だ。この一言で劉備が諸葛亮を疑っていたこと、元気な時には心の奥に隠していた警戒心が明らかになった。劉備は既に関張を失い、劉禅は暗愚で、諸葛亮は張良・陳平の才があり(続く)」
紫電P @sidenp
「(承前)伊尹や周公旦のような地位がある。蜀が劉氏のものでなくなるかもしれない。それを疑って、本心のように見せかけて釘を刺したのだ、国は奪ってもいいから劉禅は殺すなと言ったに等しい』などと言っているが、論ずるに値しない(続く)」
紫電P @sidenp
「(承前)劉備は古来から『寛大で仁愛に満ち、人に死力を尽くさせ、人を見抜き士を礼遇し、高祖劉邦の趣があった』という。臨終の際に子を託するにあたって、君臣が肝胆相照らし、些かも疑念の入る余地はない。曲筆の歴史家陳寿さえ評価しているのだ(中略)劉備には天下の大智・大決があったのだ」
紫電P @sidenp
④袁枚(清の文人・詩人) 「蜀と晋に仕えた李密は『劉禅が斉の桓公に匹敵する』と言った。旧君に阿った発言との批判があるが、私はそうは思わない。劉禅は諸葛亮を用いて何一つ疑わなかった。劉備の没後、劉禅が諸葛亮を疑う点は皆無だったかのようだ。蜀の全軍事、人事は諸葛亮が行った(続く)」
紫電P @sidenp
「(承前)前漢の景帝は呉楚七国の乱を平定して大功臣となった周亜夫を『あのように不満の様子を示す人間には、自分の息子を任せられないな』と漏らしたというが(周亜夫は後に失脚させられ餓死)、置かれていた状況は(次代を脅かしうる功臣として)周亜夫も諸葛亮も似たようなものだった(続く)」
紫電P @sidenp
「(承前)劉禅は疑おうと思えば、諸葛亮をいくらでも疑えた。魏も当然、秦が廉頗を趙括に代えさせたように、反間の策を用いていたはずである。しかし劉禅が諸葛亮を信じきり、諸葛亮が賢者でいられたのも、劉禅自身の見識にもよるものだ」(=つまり遺言の件で疑念なんか持っていない)
紫電P @sidenp
⑤陳寿(おなじみ三国志の作者) 「先主(劉備)は国を任せて遺児を諸葛亮に託し、心に何の疑惑も持たなかったこととなると、誠に君臣の私心なきあり方として古今通じての盛事である」(先主伝・評)
紫電P @sidenp
ちなみに横山版を見返したら、諸葛亮がどう答えたかは描かれてなかった。 吉川も諸葛亮の回答といえる台詞はなく「孔明は拝泣して、手足の措くところも知らなかった。何たる英断、何たる悲壮な遺詔であろう」という描写。 両物語では、この後の諸葛亮の生き方で察しろ、ということか。 pic.twitter.com/MnduPbSGO4
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紫電P @sidenp
劉備の遺詔の意味について―君可自取― - 季漢書 blog.livedoor.jp/jominian/archi… 改めてジョミさんの記事を貼る。

かなり前で知識も不十分だった頃の代物ですが、こちらでも遺詔問題には触れていました。

コメント

Cooler @CoolerNobunyaga 2017年2月12日
まとめ有り難うございます。「君可自取」の意味は陳寿にとって自明のことでも、孫盛以降は魏晋という例があるだけに違って受け止めるようになったんですかねえ。禅譲と聞いて思い出すのが王莽の事例か、魏晋以降の例かで禅譲に対する意識がまた違うでしょうし、「漢の復興」の重みもまた違うような。 ……司馬炎の諸葛亮に対する評価は、陳寿の表すところをちゃんと汲み取っての評価だったんですかね?
ゴイスー @goisup 2017年2月12日
劉備ってホント、分からない人物っすね。宮城谷さんは「道教的人物」と書いてた。無為自然とまでは言わないけど、王朝の連続的権威基盤である世襲にはあんまり拘りなかったのかも。ふさわしいやつが国を回せばええやん?くらいの。
文伯倫 @bunnsyo 2017年2月12日
「諸葛亮が帝になるか否か」って言うより、どういう立場であれ諸葛亮に国政を執って欲しかったんじゃないかな。原文の目的語がはっきりしてない以上、これは読み手がそれぞれ解釈をするしかないと思う。
Yoshiteru Kawai @yoshikun2009 2017年2月12日
当時の中国語ではどうだったのか、言語学者の意見も聞きたい
こんたん @kontan8823 2017年2月12日
徐州時代、陶謙が自分に領主を譲ってくれたことに倣ったのでは? それと荊州時代、劉表の死後による混乱がいかに民草を苦しめたか間近で見てきた劉備としては、自分が築いた王朝で同じ轍を踏みたくなかったのだろう。
Shun Fukuzawa @yukichi 2017年2月12日
〇川「スゥ... 劉備です。あの発言はですね」
小野阿久斗 @504timeout 2017年2月12日
取るというのはやはり国を取ると考えたほうがいいような気がする。 君主がいるのに軍事から内政まで全権を一手に握るのは君主と臣下の相当な信頼関係が無ければできない。そうでなければ君主派と丞相派の派閥争いで国が分裂する。 それを防ぐには君主(劉禅)を追い出し臣下(諸葛亮)が新たな君主となることが最良。その時に先帝のお墨付きがあるのだから禅譲という形とも言える。
小野阿久斗 @504timeout 2017年2月12日
そして儒教(ここでは孟子除く)では武力による王朝交代ははっきりと否定していない。孔子が理想とした周王朝が殷を武力で放伐したのだから、民にとって害しか無い君主に取って代わることはタブーではない。 当然平和裏に禅譲するのが理想ではあるし、批判も少なくなるが。
吉川卓見@制作ですらなくなった! @nondarasinu 2017年2月12日
嘗て荊州を奪うように勧めた男から、逆に益州簒奪を提案される。だが、劉備は荊州を奪ってないのだから(例え彼が変心したとしても)諸葛亮が実際に簒奪する事はない。また、国を譲るとまでいわれたのだ。先帝の幼子を引き連れて魏へ帰順する道は、これによって完全に絶たれた。華やかな中原へ戻りたがっていた者達も心を決めざるを得なかった。
伍長 @gotyou_H 2017年2月12日
公然とこういうことを言うのが牽制である、っていう人の意見もわかるんだけど、「君はかつて劉表、劉章から荊州・蜀を我が物にするように言った。君ならできるだろう」という、本心からの言葉だったと踏んでいる。 劉禅は劉禅で超ノンポリ坊やだったことが伺えるので、信じていたとかいなかったというより、常に「今の状況がよくわかっていなかった」が正解なんじゃないかな。
こざくらちひろ @C_Kozakura 2017年2月13日
劉備は食客として苦労を重ねた人なので、関羽と張飛に対してを除けば、諸葛孔明よりも冷静に人を見ている気がするんだよ。日本でいえば、徳川家康に近いタイプの人。劉禅に中原を取り戻す大志がないのをしっていたからこそ、諸葛孔明にこういったんだろうと思う。当時の魏呉蜀の国力比率が6:3:1と言われているから、蜀の存在意義は中原の奪還とでも言わないと、長くはないと判断してのことだろう。
遊佐飛鳥@漢晋春秋 @asukayusa3594 2017年2月18日
考えて見れば、曹操父子の漢朝簒奪を否定していた劉備が、自らの後継者(劉禅)もいるのに諸葛亮に禅譲を匂わすような事を言う必要性も必然性もないんだよ。天命は「天から降る」もので、天命を承けている身が次の天命の降る先を指定出来るはずもないしな。そういう意味で、松浦さんの考察がこの件を解釈するに一番しっくり来る。
aaa @aaa62003841 2017年3月23日
これを李厳と諸葛亮が一緒に聞いてて二人が違う解釈をしたから、諸葛亮はJominian氏の解釈をしていて李厳はGolden_hamster氏の解釈をしていたから李厳の九錫を受けろという発言に対して中原支配したら十錫でも受けると返したという話に繋がったのではないかと思った
ソフトヒッター99(自称カタログスペック厨) @softhitter99 2018年9月16日
歴代の知識人であるはずの中国人が「皇帝になれということで、乱命だ」「いや劉備らし」という議論になっているのだから、そう読めるものなんだろうとしかw ただ正史の記述であっても、物語としては「劉性の王朝の再興に自分の政治的正当性を見出していたはずの男が、最後に最愛の同志に、いざとなれば思うままにしていいと言い残したんだよ、面白くてかっこいいじゃねえか」の方がいいよな。
佐野まさみ @gameperson_sano 2018年10月19日
さすがに劉備の遺言を「息子お飾りにしていいよ」ってとるのはやりすぎのような……
tetsuri @e_tetsuri 2019年9月18日
国を奪いづらくさせるための牽制であるという解釈は間違いですね 理由は簡単 蜀の国力です。 もし、あなたに明日にでも攻め滅ぼされそうな国を奪っていいよと言われたらどうします? 返事はノーサンキューでしょう。 劉備は諸葛亮になりふり構わずやって欲しかった。 そうでもしないと国が亡んでしまうから。ただそれだけです
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