日本式平等主義と学校英語

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uroak_miku @Uroak_Miku

もんもんとしながら夜の道を歩き続ける。運動靴を新調したし。家にたどり着く直前にひらめきあり。日本の英語教育がカスなのは結局日本流平等主義の鬼子なんだな、と。

2017-02-12 21:49:52
uroak_miku @Uroak_Miku

つまりですね、be動詞の次に動詞、次に疑問詞という風に階段式の工夫に走りすぎて、そこから漏れ出るものが多すぎるのです。冠詞のニュアンス説明とか。@KaoruKumi

2017-02-12 21:54:21
uroak_miku @Uroak_Miku

階段式に教えていく工夫をこらすと、どうしてもその階段にうまく並べられないものも生まれてしまう。あぶれるわけです。それをなんとか階段に組み入れようとすると、今度は違うものが階段からあぶれだす。

2017-02-12 21:55:57
uroak_miku @Uroak_Miku

6社ともなんちゃってインターナショナルスクールが舞台で、日本の中学校なのにインド人とかカナダ人とか中国人とかが同級生にいるわけですよ。日本の女の子はたいてい剣道か柔道をやってる。性別も人種も国籍も関係なしの仲良しワールド。究極の日教組理想世界。

2017-02-12 22:00:19
uroak_miku @Uroak_Miku

そこに階段方式で英語を教えていく。誰でも無理なく力がつくように…とはいかない。そもそも語学は階段に整理できるものではないのだから。それを強引に階段化しようとすれば漏れ出るものが生じる。それも大量に。

2017-02-12 22:03:55
uroak_miku @Uroak_Miku

子どもの頃、砂山を作って遊びませんでしたか。あるところまで大きくなると、自重でさーっと崩れてしまう。それでがっかりするけれどまた砂を積み上げていくと、また大きくなる。で、またさーっと崩れる。前より少し大きい姿が残る。 pic.twitter.com/FdBSQNZjhi

2017-02-12 22:07:16
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uroak_miku @Uroak_Miku

どのあたりで崩れるかは砂の状態で変わる。湿り気が多いほうが崩れにくい。ひとの頭も同じで、個人差があります。どこでどう崩れるかはひとによって違う。頭の良しあしの問題というよりは、もって生まれた方向性の違いでそうなる。

2017-02-12 22:10:13
uroak_miku @Uroak_Miku

外国語を教えるとき、形式主義に傾きがち。砂山が崩れるようにいちいち挫折を味わわせたら達成感に水をさされる。それで公文式みたいな階段方式が好まれる。あれは「理解できた喜び」ではなく「達成感」を子どもに与えるよう徹底して形式化した教育メソッドです。

2017-02-12 22:14:55
uroak_miku @Uroak_Miku

「ぼくの鉛筆はどこだ?」を英訳せよといわれればほとんどのひとは Where is my pencil? と答える。このネタしつこく出しますね。ところがこれだと英語ネイティヴには「俺の鉛筆をどこにやった!」と聞こえてしまいますよと教えると、ほとんどの方がショックを受ける。怒る人も。

2017-02-12 22:16:53
uroak_miku @Uroak_Miku

どうして怒るかというと、砂山を崩された気がするからです。きっと。

2017-02-12 22:17:36
uroak_miku @Uroak_Miku

ですが語学とは結局、こういう風に砂山を何度も何度も崩される(というか自重で崩れる)経験をとおして身についていくものなのです。

2017-02-12 22:18:29
uroak_miku @Uroak_Miku

どこでどう崩れるかは個人差が大きい。日本の学校は平等主義だからそういう現実から目を背けたがる。

2017-02-12 22:19:18
uroak_miku @Uroak_Miku

理想と現実の食い違い。それが露骨に出るのが学校英語です。

2017-02-12 22:19:55
uroak_miku @Uroak_Miku

それを隠蔽するために、実用性ゼロの試験問題を出してくる。「ぼくの鉛筆はどこですか?」を英訳しなさい等の。

2017-02-12 22:20:52
uroak_miku @Uroak_Miku

「ぼくはうなぎだ」は日本語学習者にとって超難文です。ネイティヴの私たちにすれば「はあ?」なのですが、そうでない日本語学習者にとっては本当に難解なのです。

2017-02-13 01:03:37
uroak_miku @Uroak_Miku

「お願いできる?」は英語で Would you? といいます。簡単なのですぐ覚えられる。ところが学校で教えるのは非常に困難。なぜなら「仮定法」が絡むから。日本語にはこの「仮定法」にあたるものがもともとないので、まずそこがネックとなる。

2017-02-13 01:07:12
uroak_miku @Uroak_Miku

「ぼくはうなぎだ」を理解させる困難も同じ。オーノー!アナタハ鰻ナンデスカー!と聞かれたとき、どう相手を納得させたらいいのか。

2017-02-13 01:08:29
uroak_miku @Uroak_Miku

もはやギャグの領域。こういう笑ってしまう話を小学校の国語で早めに教えていくべきです。そうすれば自分たちにとっては何でもない言い回しが、外国人にはとても難しいこと、そして自分たちにとって何でもないことでも外国人に教えるのがどんなに難しいのかを思い知らせるのです子どものうちに。

2017-02-13 01:10:35
uroak_miku @Uroak_Miku

そうすれば自分たちが外国語を学ぶとき、心構えができている。

2017-02-13 01:11:16
uroak_miku @Uroak_Miku

ことばとはリゾーム。究極の相対主義。脳神経網と同じでどれが中心ということがない。それをあえて順序化するのが外国語教材。3Dを2Dにするがごとき根源的ジレンマ。

2017-02-13 01:35:48
uroak_miku @Uroak_Miku

リゾームを階段化する。ありえないことをする。階段をある程度上ったところでその階段は崩れ落ちる。リゾームに戻るためには絶対に避けられない。しかし学校教育は挫折をタブーとする。積み上げ式なら必ずどの子も伸びるという建前だから。

2017-02-13 01:37:54
uroak_miku @Uroak_Miku

挫折することで伸ばす。これが語学。しかし日本の教育理念には馴染まない。

2017-02-13 01:38:29
uroak_miku @Uroak_Miku

すっきり可視化しないといけない。これが今までなされてこなかったから。これだけでも画期的。言い換えればこの程度のことさえ今までなされてこなかったわけです。

2017-02-13 12:57:12
uroak_miku @Uroak_Miku

中学英語(に限らないのだけど)の困難はマニュアル作成に通じる。私みたいに生理的に機械操作を苦手とする者にすればマニュアルは恐怖の大王。どんなに懇切丁寧でも読むのがためらわれる。「ラジオみたいにスイッチとダイヤルひとつですぐ動かせないのか!」といきり立つ。

2017-02-13 13:32:13
uroak_miku @Uroak_Miku

日本語と英語では階層に違いがある。三越百貨店では2階に置かれている商品が、松坂屋では4階にあるような感じ。そして三越で買い物しているのに普段使っている松坂屋のイメージに引っ張られて道に迷う。母語の引力に引きずられて外国語を学ぶとき混乱する。

2017-02-13 13:47:04