近代建築史-第1編 西洋近代_読書まとめ

西洋近代建築史のまとめです^^
アート 西洋 表現主義 ル・コルビュジェ 建築 近代 ドイツ工作連合 ルイス・サリヴァン ミース・ファン・デル・ローエ
0
はるきち @kiruhachi
久しぶりに読書まとめやるか。初心に帰って、鈴木博之編著の「近代建築史」を読んでいる。 amazon.co.jp/dp/4870711346/…
はるきち @kiruhachi
まずはじめに西洋建築の近代化の発端について。それは「考古学や科学の実証性」によるもので、古典主義の装飾性からウィトルウィウスの建築美におけるまで、批判しまくったのが始まりだという。(続く
はるきち @kiruhachi
その考古学や科学の実証性は、特にフランスにおいて「啓蒙思想の名の下に改革の気運を高めた」のだという。そして、建築にとって「疑う余地のない普遍的原理」が求められ、ロージェの「建築試論」が生まれたのだな。
はるきち @kiruhachi
このような動きが、いわゆる近代化、新古典主義の発端だという。科学と考古学による実証性によって、"信じるもの"が変化したのが原因なんだな。
はるきち @kiruhachi
そうした流れで、"オーダー"や"抽象性"が建築において"正しい"ものとなる。しかしこれらが「装飾を排した」とは簡単には言い切れない。なぜならこのオーダーと抽象性こそが「本質的な装飾として規格化」され、「多くの人に権威や記念性を伝える」こととなったからである。
はるきち @kiruhachi
捻れが生じて複雑だが、一つ言えるのは「表現として装飾は無くならない」ということではないだろうか。これはとても重要なことだと思う。
はるきち @kiruhachi
時は流れて19世紀初頭には鉄の普及が始まる。最初は屋根架構や床スラブといった見えない部分にとどまり、「表現」に鉄が及ぶことはなかった。初めて「鉄ならではの表現」をしえたのが、アンリ・ラブルーストのサント・ジェヌヴィエーヴ図書館(1850.パリ)だという。
はるきち @kiruhachi
これですな。とてもうつくしい。いってみたい^^ sekai-toshokan.com/sainte-genevie…
はるきち @kiruhachi
こうやってオーダー、抽象性、鉄といいた「表現」が建築に現れ始めたのが18~19世紀後半で、これが近代化の始まり。だがこの時点では、まだ外観は古典主義を纏っており、それが「建築をかろうじて芸術の領域につなぎとめていた。」と書かれてあった。興味深い文章だ。
はるきち @kiruhachi
でも今日はここまでにしておく^^ ちなみにさっきのロージェの「建築試論」はここに載っている。ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0…
はるきち @kiruhachi
鈴木博之編著の「近代建築史」を読んでいる。amazon.co.jp/dp/4870711346/… (めちゃくちゃ久しぶりになってしまった…反省…^^;)前回書くのを忘れてしまったが、第1編「西洋近代」の第1章「近代化の衝撃」を読み終えた^^
はるきち @kiruhachi
さて、考古学と科学の発展により、”オーダー”・”抽象性”・”鉄”という「新たな装飾」が生まれたが、それでもなお「建築の公共的な表現は依然として石造建築ゆかりの表現に従っており、そうした古典主義の装飾が建築をかろうじて芸術の領域にとどめていた。」というのが18世紀半ばの状況だ。
はるきち @kiruhachi
時代は確実に進む中、芸術論を古き良き時代=古典時代に委ね続けた建築あるいは建築家たちは、この後どうなるのか。ひとつの流れとして、「中世主義」というものがある。
はるきち @kiruhachi
これはオーガスタス・ウェルビー・ノースモア・ピュージンというイギリスの建築家が、新たな芸術であった”オーダー”をゴシック建築のなかに発見し、リバイバルしたものだ。そしてこの中世主義による引用範囲の拡大が、「折衷主義」を生んだ。
はるきち @kiruhachi
「考古学と建築史の研究蓄積によって使用可能な建築言語は豊富になっており、建築家があらゆる時代の建築様式を器用に使い分ける折中主義は都市にあらゆる歴史様式をばらまいた」のである。つまりは古き良き時代の引用の暴走である。この暴走の結末は次のように記されている。
はるきち @kiruhachi
「パターンブックから建築にふさわしい装飾を選ぶという方法は、建築家の芸術的な独創性を埋没させただけでなく、美術教育を受けていない技師にさえ建築の外観を無難にまとめる術を与えることとなった。(中略)設計の効率化はいよいよ建築家の立場を危うくした。」という感じ。
はるきち @kiruhachi
つまりは新しきを生まない限り、建築家は、実際にモノをつくれてしまう技師にその立場を乗っ取られてしまうのだ。これは今の情報化社会においてはさらに容易に起こりうるだろう。
はるきち @kiruhachi
さて、古典主義に対するアンチテーゼは、中世主義や折中主義だけではもちろんない。もうひとつが、工業化社会における芸術形態を"手工芸"に求めたモリスらのアーツ・アンド・クラフト運動である。この流れは一見古典主義の異なる視点によるリバイバルに見えなくもない。
はるきち @kiruhachi
しかしアーツ・アンド・クラフツ運動は一種の社会主義的ユートピアを構想するような思想をもっており、これがのちに、ハワードらの田園都市につながる。
はるきち @kiruhachi
ここで第1章「近代化の衝撃」は終わり。建築の芸術論が古典主義のなかにしかなかった近代化時代の黎明期。それに対してまずは、アンチではあるが批判的ではない「中世主義」、そして建築芸術のフィールドそのものを変えようとした「アーツ・アンド・クラフツ運動」の2つが発生した。
はるきち @kiruhachi
前者は結果的に建築家の立場を喪失させてしまう。後者がどうなるのかは2章以降に記されている。この段階で1つ言えるのが、建築において古き良きにすがり続けると、芸術は当然ながら更新されず、建築家としての芸術の展開は認められなくなるということだな。
はるきち @kiruhachi
非常にリアリティのある話だ…。歴史から学ぼう^^
はるきち @kiruhachi
鈴木博之編著の「近代建築史」 amazon.co.jp/dp/4870711346/… の第2章「近代建築の模索」を読み終えた。この章は盛りだくさんかつモダニズムの根源としてとても重要なので、長くなりそう^^。
はるきち @kiruhachi
まず、第1章のまとめが曖昧だったのでまとめ直す^^;。建築の芸術論を「古き良き時代引用」(中世主義や折中主義も含む)に留まった時代は19世紀半ばまで続く。が、それはやがて建築家の立場を危ぶめた。同時に社会は工業化への一途を辿る。
はるきち @kiruhachi
そこで建築家がとった「引用」でもなく「工業化」でもない、両者への完全なる「アンチテーゼ」が、「アーツ・アンド・クラフツ運動」であった。この運動は、モリスを中心に、引用や工業化を止められない都市からは一旦身を引き、(続く
残りを読む(73)

コメント

ログインして広告を非表示にする
ログインして広告を非表示にする