チベット仏教における中国仏教の痕跡 『サムイェの宗論』をめぐって― goyou さんと kadzukhi さんの対話より

チベット仏教と中国仏教との関係についての @goyouさんと@kadzukhiさんのtweetをまとめてみました。
10
佐藤剛裕 @goyou

禅っていうのは、南インドで発生して中央アジアを経由して中国の四川省あたりに落ち着いた思想運動で、さんざん密教の修行をやってきた人たちが、けっきょくのところ密教の儀軌のような作為的修行方法は必ずしもやらなくていいんだ、っていうことを言い出したわけですよね。

2011-03-05 19:23:45
佐藤剛裕 @goyou

そこでおこってるのは、釈尊が六年間にわたってタパスの苦行を続けたけれども、結局は、そういうことをする必要はないんですよ、っていうことを語り出したことと同義だと思うんです。

2011-03-05 19:25:04
佐藤剛裕 @goyou

漸悟と頓悟の話ってさ、修行なんかしなくっていいっていうことを知るためには修行しなきゃならなくって、それをやっていると、あるとき、あ!これか!って気がついたりするってことなんじゃないんですかね。

2011-03-05 19:31:42
Kadzukhi.W @Kadz_nekoneko

@goyou 難しい議論ですね。「悟り」そのものは瞬間的だ、とも言いますし、そこに至るまでの過程が「要るか、要らないか」なのか「短いのか、長いか」なのか。そもそも、自分の立場を「漸悟だ」なんて表明した人達が居るのかどうかすら、私には分からないのですが。

2011-03-05 19:42:52
佐藤剛裕 @goyou

パ・ダンパ・サンギェっていうヨーガ行者が何回も生まれ変わりながら800年かけて南インドと四川省をチベット経由で往復したといわれているんです。ボディーダルマの伝説と混ざったりしながら。おおらかですよね。

2011-03-05 19:45:34
佐藤剛裕 @goyou

@kadzukhi 難しいんですよね。サムイェの宗論も、チベット人が表立って言っているような単純な話ではないでしょうし。

2011-03-05 19:49:10
Kadzukhi.W @Kadz_nekoneko

@goyou 佐藤先生から、「サムイェの宗論」という言葉を聞けただけでも、私は満足です、感謝感激。恥ずかしながら、「現代のチベット人達の認識」については論文で言及することすらできず・・・私としては、この宗論を一つの契機として、チベットを見たいのですが。

2011-03-05 19:54:49
佐藤剛裕 @goyou

@kadzukhi 『サムイェの宗論』で提示されているような対立構図が、いろんなものを吸収して、今現在で後を引いていますね。出家対在家とか、ゲルク対ニンマとか、中央チベット対東チベットとか。

2011-03-05 20:01:40
佐藤剛裕 @goyou

@kadzukhi 今現在、一般的に言われているような『サムイェの宗論』の物語っていうのは、どうも近世の中央チベットの大寺院組織のイデオロギー以上のものを提示していないんじゃないかっていう気がするんです。

2011-03-05 20:02:05
佐藤剛裕 @goyou

@kadzukhi 中国仏教の痕跡っていうのは、14世紀頃まで文献にも明確に残ってますよね。韓国人が書いた『大乗起信論』系の偽書『金剛三昧経』にサペンとかツォンカパが言及していて、カンギュルにも収められているといいますし。

2011-03-05 20:02:46
Kadzukhi.W @Kadz_nekoneko

@goyou 中国仏教の痕跡ともなれば、ニンマ派の『禅定燈明論』で菩提達磨の『二入四行論』の引用を確認しております。この文献の成立は17世紀以降と考えられていますし、『金剛三昧経』や『首楞厳経』もカンギュルに入っているようですね。

2011-03-05 20:06:42
佐藤剛裕 @goyou

@kadzukhi へぇ、サムテン・ミクドンって、17世紀ですか!?そんなに最近?

2011-03-05 20:08:05
Kadzukhi.W @Kadz_nekoneko

@goyou ご指摘の通り、未だに後を引いています。チベットという国は、宗論から一歩も離れることなく歴史が展開しているのでは無いか、という印象を抱くほどです。

2011-03-05 20:08:12
佐藤剛裕 @goyou

@kadzukhi ですよね。それはまさしく僕も日々考えているところです。

2011-03-05 20:10:27
Kadzukhi.W @Kadz_nekoneko

@goyou 宗論そのものを記録した文献・石碑の類が発見されていない以上、確かに「大寺院組織のイデオロギー」ということも考えねばいけませんね。私は、「じゃあ、ひとまずカマラシーラと摩訶衍の見解を比較しようじゃないか」というスタンスですが、比べても答えは出せず・・・。

2011-03-05 20:10:33
佐藤剛裕 @goyou

@kadzukhi 異なる傾向の学説は入ってきていたけれども、チベット人はそれらを一つに統合する努力を重ねてきていていますよね。だから、ああいう論争の物語が排除の構造として利用されるようになっていったのは、実は、近世ぐらいなんじゃないのかな?って思うんですよ。

2011-03-05 20:14:37
佐藤剛裕 @goyou

@kadzukhi ちなみに、先ほど挙げたパダンパ・サンギェの伝記にも、彼は一時期はカマラシーラとして活躍していたと記述されているんですよ。その伝記は、ゲールク派の中のマイノリティたちが支持しているんですよね。

2011-03-05 20:16:44
Kadzukhi.W @Kadz_nekoneko

@goyou なるほど、確かにその可能性は考えられますね。宗論に関して言えば、「どのような対決が行われたのか」ということと同時に「後代のチベット人達は、どうやって"宗論"を捉えたのか(そして利用したのか)」というのも重要ですね。

2011-03-05 20:17:40
佐藤剛裕 @goyou

@kadzukhi そうなんですよね。古代王朝時代をどう解釈するかっていうことが、中央権力をめぐる闘争の重要な位置を占めてきましたから。

2011-03-05 20:20:16
Kadzukhi.W @Kadz_nekoneko

@goyou なんと、それは恥ずかしながら初めて知りました。ありがとうございます。私は、後代のチベット仏教徒達は、誰もが「カマラシーラの直系」を自負した、と思うのです。何故ならば、それが所謂、「正統派」の代名詞になるわけですから。

2011-03-05 20:20:52
佐藤剛裕 @goyou

@kadzukhi ニンマ派のニマ・ウーセルの『マニ・カブム』がダライ・ラマ五世なんかに利用されるでしょう?ソンツェン・ガンポ流の観音菩薩の成就法だとされる偽書です。反ダライ・ラマ五世派にとっては、あれに対抗する原理が必要だったのでサムイェの宗論の話を脚色したんだと思っています。

2011-03-05 20:23:57
Kadzukhi.W @Kadz_nekoneko

@goyou なるほど、考えてみれば彼らの権力闘争に最も権威を与えるものは何か、と考えてみれば、古代王朝期の「思想対立」ほど支えになるものは無いですね。

2011-03-05 20:27:34
佐藤剛裕 @goyou

@kadzukhi ちなみに、サムテンミクドンの成立を17世紀とする説はどなたの研究でしょう?ミンドルリンのニンマ・カマ目録に入った時点で成立したということですよね。だとすると書いたのはロチェン・ダルマシュリーあたりだな。面白い話です!

2011-03-05 20:27:45
Kadzukhi.W @Kadz_nekoneko

@goyou 沖本克己氏の説です。「bSam yasの宗論(二) =敦煌西蔵文献に於ける諸禅師=」(『日本西蔵学会々報』22, 1976)と、「敦煌出土のチベット文禅宗文献の内容」(『講座敦煌8 敦煌仏典と禅』(大蔵出版社)所収)の二つを参照しました。

2011-03-05 20:32:03
佐藤剛裕 @goyou

@kadzukhi ありがとうございます。それは追ってみます。

2011-03-05 20:32:54