低予算インディーズ映画は何を撮り、どのように映画を目指すのか? 『見えないほどの遠くの空を』を題材に
0.はーい、chimumuだよー。昨日は『見えないほどの遠くの空を』の第1回目のマスコミ試写があった。これから宣伝が始まるわけですが、これからぽつぽつとこの作品の成立の経緯を述べながら、今の自主と低予算インディーズ映画の状況を考えていこうと思う。
2011-03-05 23:08:071.僕は二十代の頃に興行から映画のキャリアを始めた。それ以降、もぎり→支配人→編成(宣伝)→製作という具合に職種を変えてきて、今回監督をした。インディーの状況はいろんな角度から見てきたわけである。
2011-03-05 23:09:582.学生時代は、映画のビジネスに携わりたいと思っていたが、自分で創作したいという気持ちは薄かった。映画を撮るのは特殊な人で、自分はそれをサポートする担当だろうと思っていたのある。けれど、撮りたくないわけではなかった。趣味としていつか撮れればいいなと思っていたのである。
2011-03-05 23:13:473.しかし、ここに来て、「撮る人」の間口を広げる大きな変化が映画作りに起こってきた。デジタル革命である。音楽の現場ではかなり前から起こっていたが、映像は情報量が膨大でデジタル化が一気にすすまなかったのだが、ここ数年で急激に進んだ感がある。これが撮るということをカジュアルにした。
2011-03-05 23:16:394.音楽がデジタル化に進んだ時は「音がクリアーでアナログよりもよくなった」と感じた(黒盤マニア除く)。けれど、デジタル映像は「アナログに負けないくらいよい」というレベルであった。アントニオ猪木戦を間近に控えたラッシャー木村が「俺は絶対にギブアップしない」と言ったのと似ている。
2011-03-05 23:18:535.しかし、日進月歩する技術開発とそしてなによりもコストダウンのお陰でデジタルカメラはどんどんアマチュアまで普及し、自主映画の画像もクオリティが上がっていく。誰もが映画を撮ってよいという雰囲気が生まれる。撮れる気にもなる。実際カメラを回せばなにかは写るのである。
2011-03-05 23:20:566.昔は、自主映画とプロが撮った映像は映写して一秒で見分けがついた。8ミリと35ミリフィルムの映像の差は歴然としている。けれど、今、キャノンの7Dで撮影されたアマチュア映画と低予算の商業映画の差をファーストショットで瞬時に見分けることは昔ほど容易でない。
2011-03-05 23:21:337.さらに、撮影機材の普及から少し遅れて、映写の方も徐々に普及が観られる。これまではデジタル撮影してもそれをフィルムに変換しなければ映画館での上映は不可能だったが、その映写精度の厳密な評価は横に置くとして、デジタル撮影→デジタル上映が単館ロードショーレベルでは可能だ。
2011-03-05 23:23:578.さて、映画は特定の既得権益者(つまり特殊な訓練を受けたプロだけ)のものではなくなろうとしているのだろうか? レコードというものがレコード会社という大きな資本で製作されていた時代は去ったように、映画も少し遅れてもっと個人的な表現メディアに変容しているのだろうか?
2011-03-05 23:25:089.実際、僕も映画を撮ってみたいなという誘惑に強く駆られたのは、RED ONEというカメラの映像を観た時だった。綺麗なこともあったが値段を聞いたら割と安かった。「いよいよだな」と思ったものである。映画にもデジタル革命が始まると思った。
2011-03-05 23:26:1710.しかし、プロと同じ機材を手に入れた自主やアマは一体何を撮るべきなのかという問題がここで浮上する。
2011-03-05 23:26:5111.この時、大きく分けて2つの選択肢があると僕は思う。商業映画の縮尺版としての自主映画を志向する道。自主にしかできないものを撮ろうとする道である。
2011-03-05 23:27:4112.どちらが正しい方向であるとはいえないだろう。但し、低予算でもエンターテインメント系の商業映画を志向する場合は、プロが「えっ」と思うくらいにうまくなければならない。でないと所詮は学芸会だと思われる。
2011-03-05 23:28:3213.これは、音楽でたとえればフュージョン系の音楽志向だと言える。この種の音楽は上手くて当たり前。ちょっと呆れるぐらいに上手くないと「あいつやるな」という具合にならない。技術優先の傾向からこれを便宜的に今、フュージョン系と呼ぶ。
2011-03-05 23:29:2614.もう1つは、商業映画ではとうてい手を出せないものを撮るという戦略である。物語が多少ギクシャクしていても、自分の思いの丈や独自の世界観をぶつけていくやり方だ。これを便宜的にパンク系と呼ぶ。これらはどちらがいいと言う問題ではない。
2011-03-05 23:30:1415.ただ、大抵のアマチュアにとって、いますぐプロが恐れ入るようなテクニックを披露しろといっても、これはなかなか難しい。
2011-03-05 23:31:0216.ひとことで「技術」と括ってもカメラや役者に対する演出など色々とある。ただ、アマチュアが一番プロの鼻を明かしやすいのはどの部分か。それはシナリオである、とこの手の映画を目指すアマに僕は教えてあげたい。
2011-03-05 23:32:5017.なぜなら、シナリオにおいては今プロのレベルが相当に低いからである。内田けんじ監督の『運命じゃない人』などは作劇のうまさで目を引いてブレイクスルーしていった例だと思う。
2011-03-05 23:34:1218.視点を変えよう。自主が映画マーケットに出て行くときに、もっともポピュラーなルートは今何か? ぴあフィルムフェスティバル→プロデビュー or 国際映画祭経由→凱旋興行というコースである(ように見える)。
2011-03-05 23:35:3919.映画祭をジャンピングボードとする戦略ではパンク系が非常に有利である。いっぽうフュージョン系は映画祭では圧倒的に不利だ。映画祭は基本的にパンク系の土俵なのだ。
2011-03-05 23:36:2020.しかし、パンク系の泣き所は次のステップに今はなかなか進めないということである。例えば、『無防備』でぴあフィルムフェスティバルグランプリ、釜山映画祭でもグランプリを受賞した市井昌秀監督はいまだに商業映画デビューを果たせていない。
2011-03-05 23:37:1921.ここにマーケットギャップとでも呼ぶべきものがある。映画祭で求められる資質はパンク系だが、日本国内の商業映画の市場はフュージョン系なのである。このギャップ故に、映画祭で拍手喝采を浴びて帰って来たら、国内の業界から見向きもされず、市場には非常に冷たく扱われるということがある。
2011-03-05 23:38:5622.市井昌秀監督だが、ある映像学校で僕は彼にストーリーを教えていた。卒業後も草稿を読んで意見を述べたりしていた。が、僕の鑑定では市井君は作劇が得意な方ではない。与えられた素材を器用にこなせるタイプともちがう。こういう人は映画祭での栄光のあとがつらい。でも、頑張って欲しい。
2011-03-05 23:40:1923.はい、ここまでが、まずは一般論である。で、自分はどうするのかだ。みんなも考えよう。
2011-03-05 23:40:4824.『見えないほどの遠くの空を』を撮った僕は、基本は、パンク系である。が、ややフュージョンの要素も入れるというパンク寄りの中間派だ。作図するとこうなる。 http://p.twipple.jp/LUNCy
2011-03-05 23:41:50