ウォーゲームの「作戦級」と「作戦術」

ウォーゲームの「作戦級」は「作戦術」を意図して発展してきたものではないが、理解の補助線としては役に立つ、というお話。
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司史生@停滞中 @tsukasafumio

私のオタク趣味のとっかかりは、ハヤカワSF文庫とハセガワの1/72スケールの戦車プラモだった。そこから模型を使ったミニチュアウォーゲームに手を出し、アバロンヒルやSPIのボードウォーゲーム沼にはまった。

2017-02-24 02:26:23
司史生@停滞中 @tsukasafumio

最初にてうぃお出したボードウォーゲームは一駒が連隊または師団単位のスケールで「作戦級」と呼ばれるものだった。作戦級の由来はたぶん、バルバロッサとか作戦名を冠した戦いを再現するという意味合いではないかと思う。また「バルジ大作戦」とか戦争映画で「作戦」は馴染み深かった。

2017-02-24 02:29:45
司史生@停滞中 @tsukasafumio

ウォーゲームの「作戦級」は、戦力比とサイの目で結果を判定する比較的シンプルなもので、国家レベルで資源や生産などの経済ルールが導入される「戦略級」や、よりミクロな射撃や兵器性能などが絡んでくる「戦術級」は上級者向きとされていた。

2017-02-24 02:34:27
司史生@停滞中 @tsukasafumio

戦略と戦術をつなぐ概念として「作戦術」が注目されているが、もちろんウォーゲームの「作戦級」とは別物の概念である。しかし私のような古手のウォーゲーマーにとって戦略や戦術は経験上、「作戦」を基準点とした上位または下位の概念として存在したのだった。

2017-02-24 02:38:16
司史生@停滞中 @tsukasafumio

バルバロッサ作戦や太平洋戦争のような広大な地域での戦役の戦史を読んだときに私が感じる一種の解りづらさは、実際のドイツ軍や日本軍には希薄だった「作戦」を基準としてしまうことによる混乱らしい。

2017-02-24 02:43:01
司史生@停滞中 @tsukasafumio

というか「作戦術」というものを知るまでは、自分の視点が当時の軍人と全く倒錯していたことに気づかなかったのですね。消耗戦についての後知恵もあるのですが、なぜ日本陸軍がずるずると日中戦争を拡大したのか、なかなか最初は感覚的に理解できなかった。

2017-02-24 02:48:00
樋口左衛門尉隆晴 @saemonhiguchi

そーいえば戦争の階層構造としての「作戦(次元)」に関して、オレの回りでは、ゲーマーの方が一番理解が早かった。

2017-02-24 02:57:23
樋口左衛門尉隆晴 @saemonhiguchi

「作戦術」はともかく「戦争の階層構造」は、戦いを語るにあたって議論が混淆しないので、戦国や南北朝の人も理解しておくと良いですよ(むろん当時の人は、そんな概念は持ってませんが)。

2017-02-24 03:03:56
樋口左衛門尉隆晴 @saemonhiguchi

@saemonhiguchi でも、西股さんは、戦国期の文書に出て来る「行(てだて)」を、ほぼ「作戦(これは実行動としての意味ね)」と同義にして良いだろうっておっしゃってまして、オレも、これに賛同してます。

2017-02-24 03:06:22
司史生@停滞中 @tsukasafumio

@saemonhiguchi 東部戦線全域を扱った作戦級ウォーゲームだと、南部で大攻勢かけるため北部で持久し中央で敵兵力を誘引拘束して、主攻軸の左右で突破口空けたり戦果拡張する目的で軍規模の副次的な攻勢かけるって、ゲームの差し手として普通にやっちゃうんですよね。

2017-02-24 03:06:50
樋口左衛門尉隆晴 @saemonhiguchi

@tsukasafumio 文字どおり赤軍が定義した「作戦術」ですねw 私のまわりのゲーマーも、そうした例をよく引きます。

2017-02-24 03:09:21
司史生@停滞中 @tsukasafumio

@saemonhiguchi 兵棋やってたドイツ軍や日本軍にその概念が無く戦争やってたというのが、逆にびっくらこきました。赤軍はともかく、俺のドイツ軍のプレイはいったい何だったんだとw

2017-02-24 03:12:54
樋口左衛門尉隆晴 @saemonhiguchi

@tsukasafumio ゲームには詳しくないんですが、デザイナーが作戦術を理解していたとか…。なので作戦術的な差し方がゲーム上の最適解になると。で、作戦術が無い軍隊の兵棋のルールは、作戦術以前で勝利条件が決まる、という。

2017-02-24 03:17:44
司史生@停滞中 @tsukasafumio

@saemonhiguchi ラフな設計による抽象化の妙でしょうね。初期のウォーゲームはシンプルですから、駒の単位が中隊でも師団でもルールに大差はない。逆に言えば規模によらず戦理の原則は変わらないという価値観に貫かれていたわけです。

2017-02-24 03:24:32
司史生@停滞中 @tsukasafumio

@saemonhiguchi 戦術演習の例題に見られるような隷下部隊の統合的な運用というものは、視点を拡大すれば作戦術的な発想に行っておかしくないと思うのですが...ソ連軍以外の戦間期軍隊は、複数の軍の運用に迫られる現実的な事情がなかなか無かったわけですし。

2017-02-24 03:33:17
樋口左衛門尉隆晴 @saemonhiguchi

@tsukasafumio たしかに、ソ連の場合は、広大な国土と連続作戦理論が前提にあるわけですしね。

2017-02-24 03:36:02
司史生@停滞中 @tsukasafumio

@saemonhiguchi ドイツ軍はともかく日本陸軍は、満鉄沿線部に兵力を集中した日露戦争が最後の戦例でしたから。鴨緑江軍の創設は萌芽的な作戦術の発想があったのかもしれませんが...

2017-02-24 03:40:51
司史生@停滞中 @tsukasafumio

@saemonhiguchi 日中戦争も、北支と中支の派遣軍を連携させる構想って一号作戦まで事実上出てこなかったように記憶しています。本気で戦争を終わらせられるつもりで徐州会戦をやっていたのかと。

2017-02-24 03:17:00
樋口左衛門尉隆晴 @saemonhiguchi

@tsukasafumio 徐州会戦は瀬戸さんのお手伝いで、戦史センターに史料を調べにいったのですが、日本軍内でも作戦思想の統一が取れてなくて、なんか作戦術以前でした。

2017-02-24 03:20:01
樋口左衛門尉隆晴 @saemonhiguchi

てか、実行の可能性はともかくとして、一号作戦っていうか支那派遣軍と南方軍をシンクロさせて、かたや大陸打通、かたや、インパール作戦をやらずに北ビルマに攻勢ってしたら、重慶政府、そうとうピンチじゃね?

2017-02-24 03:23:46
樋口左衛門尉隆晴 @saemonhiguchi

ちなみに、以前もツイートしましたが、戦争の改造構造が戦略ー戦術から、戦略ー作戦ー戦術になったのと、どうも似た経緯で、社会学では、マクローミクロからマクローメゾーミクロとなったようです。

2017-02-24 03:34:37