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虹澗橋(こうかんきょう)を訪ねて◇随時更新

大分県豊後大野市に架かる「虹澗橋」、この橋の歴史をひもときたいのです。新しいもの順となってますので読みづらかったらすみません。
道路 大分県 歴史 文化財 豊後大野市
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のんさん @non_mintcar
これがその記念碑。「虹澗橋は谷が険しく人馬の交通の難所だった」という通説はこの碑文から来ているらしい。だが、これらは誇張された表現なのではないかとの説、つまり「交通の難所ではなかった」説。 私は真偽を解き明かしたい。 pic.twitter.com/RUegoc0IJk
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のんさん @non_mintcar
「虹澗橋(こうかんきょう)」って呼び名が定着し始めたのは昭和中期以降の話で、それまでは「柳井瀬(やないぜ)橋」が通称だった。記念碑に書かれている碑文が訳されたことをきっかけに「虹澗橋」と呼ぶ人が増えたとか。 pic.twitter.com/md9Te0T9xe
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のんさん @non_mintcar
堰堤から眺めた新虹澗橋(国道502号) なるほど、ラーメン橋構造だったのね。 pic.twitter.com/MfIaINWu50
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のんさん @non_mintcar
近距離はこちら。 木が生えかけてたのだろうか。 pic.twitter.com/LtAREW7vIt
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のんさん @non_mintcar
昨夜の虹澗橋ツイートにプチ補足。というかおまけ。堰堤から見た虹澗橋です。ここから撮る人はあまりいないんじゃないかと思うのであげときます。 写真上手なひとに行ってもらってかっこよく撮っていただきたい…(´-`) pic.twitter.com/YHhnLTTgcg
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のんさん @non_mintcar
虹澗橋周辺に残る遺構その③「水車小屋跡の石垣 橋の上流側に堰堤がある。そこの左岸側に辛うじて残っている石垣、これは明治~大正にかけて繁盛していたという水車業の名残らしい。 pic.twitter.com/Frpi5T4jF3
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のんさん @non_mintcar
虹澗橋周辺に残る遺構その②「排水溝 橋に繋がる右岸の道沿いに排水のための溝がある、これは道の水が橋に流れ込まないための工夫だそうだ。これも先人の知恵。 水色が確認できた排水溝、黄色い印は井の子。排水溝は道の下をくぐって川に流れ込んでいると思われるが家があるため経路は未確認。 pic.twitter.com/tnDe5oJl1l
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のんさん @non_mintcar
虹澗橋周辺に残る遺構その①「井の子(湧き水) 中から出ている水が湧き水なのかなど現在の状況は謎。調べてみたいな。 設けられたのは明治~大正と言われている。 pic.twitter.com/eWE2q3GOT5
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のんさん @non_mintcar
大事なことを言い忘れてた。虹澗橋は現在通行止め(人は渡れる)。一気に交通量減ったのはこれが大きい。 pic.twitter.com/No2hwIZ77y
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のんさん @non_mintcar
んで、結局何が言いたいかというと、虹澗橋の歴史を紐解くにあたって件の「40高中っぽい跡」が持つ意味は(私にとって)大きい。今、この道に速度標示が必要なほどの交通量はない。旧道だもの。あ~、面白さをうまく伝えられない。 大体ここまで語っといて40高中じゃなかったらお笑いだ。ハハッ pic.twitter.com/9FONooiFVC
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のんさん @non_mintcar
で。私が例の「40高中」を見つけたのは黄色い部分の所。こっち側の道は菅尾地区に繋がってますが通る車は今はあまりいないんじゃないかと。 逆に反対側の道(緑線)は集落もありますので交通量はそれなりです。 わかりにくい地図加工ですんません。 pic.twitter.com/wvNQpED6UH
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のんさん @non_mintcar
青線…中世から使われていたと思われる元・幹線道。 黄線…虹澗橋が架けられてから人馬の往来が増えた道。 赤点…人馬が増えたことによって建立された馬頭観音。 現R502である道は明治時代に開削されたとのこと。 pic.twitter.com/0sehSHVAuK
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のんさん @non_mintcar
ピンク線が虹澗橋。上が1948年撮影、下が現在(Googleマップより)。 新虹澗橋が架けられたことによりどのあたりが一気に旧道化したかは何となくおわかりいただけると思います。 pic.twitter.com/1N8m8Xaqe7
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のんさん @non_mintcar
以前ツイートした「虹澗橋が幹線道路だった」ということについて補足。昭和63年、上流側に新虹澗橋が架設されてから虹澗橋とそこに通ずる道は旧道化しました。 twitter.com/non_mintcar/st…

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のんさん @non_mintcar
本日の虹澗橋、いつもと変わらない姿。 そんですぐ側の道の路面に「40高中」っぽい痕跡発見。 珍しいものではないけども虹澗橋が幹線道路だった当時に思いを馳せることができる、私にとってはとても良いもの。 pic.twitter.com/F7yHIaMOIS
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のんさん @non_mintcar
運動神経に難のある私はほとんど滑り落ちるという体で下ったわけですが、その日たまたま出会って同行してくださった方は特に問題なくサクサクっと下りていらっしゃいました(私だけ奇声をあげていた)。 下から見る虹澗橋はかっこいいぞ!迫力だぞ! twitter.com/non_mintcar/st…
のんさん @non_mintcar
幸い細いロープが張ってあるのでそれを伝って行けるんですが、林の中にある急斜面の獣道を下ることになるので汚れてもいい靴や服、あと天候(川の水量など)も確認した上で挑戦してみてくださいね。 1枚目は下りるとき、2枚目は上るときに撮ったもの。 pic.twitter.com/ABYS1FtAob
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のんさん @non_mintcar
虹澗橋の川辺に下りる道。それはここ(矢印)からです。他にもあるのかな? pic.twitter.com/4XqcqBFy47
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のんさん @non_mintcar
さてこの虹澗橋については色々と調査したいことがありまして…この谷が「荷駄が通えぬほどの難所であった」という通説が本当であったかどうか以前興味深い論文を見つけてから悶々としています。 今後も自分なりに追究していけたらいいなと思っている所存であります。(゚◇゚)
のんさん @non_mintcar
虹澗橋の側には馬頭観音さま。これは明治の終わりごろ建てられたものとのこと。臼杵ー三重間の主要道として多くの人馬が通っていたことが建立の理由だと考えられます。 紅葉がお供えものになっている… pic.twitter.com/J21oWL3o5Z
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