山姥切国広と本作長義の画像を並べて

山姥切国広公開に寄せて、つるぎの屋さんが山姥切国広と本作長義とその鑑賞の上での違いについて、画像を添えて語りました。
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つるぎの屋@日本刀買取専門店 @tsuruginoya

備前長義という刀工は南北朝時代の備前鍛冶の中でも異色な刀工で正系である兼光系、他に傍系の大宮系とも作風を異にしています。 (在銘と無銘の極めでは弱冠、作風が異なります。そもそも長義在銘の太刀は多くなく10数振、20振は無いでしょう)

2017-02-27 22:48:55
つるぎの屋@日本刀買取専門店 @tsuruginoya

備前長義の作風は、大のたれで互の目が大小2つとなるもの、華やかで出入りがあり複雑に乱れた皆焼風のもの、乱れがやや小模様で紫陽花の萼(がく)のような形のものなどがあります。

2017-02-27 22:49:17
つるぎの屋@日本刀買取専門店 @tsuruginoya

@tsuruginoya 長義の作風がもっとも近いのは実は備前鍛冶を除けば長谷部といわれています。 実際に、無銘極めとしては長義と長谷部はかなり作風が似通っています。 長義極めのなかに長谷部と思われるもの、逆に、長谷部極めのなかに長義と思われるものもあります。

2017-02-27 22:49:50
つるぎの屋@日本刀買取専門店 @tsuruginoya

本作長義(山姥切長義)の作風は、大のたれ調に互の目を交えて乱れるといった、どちらかというと備前伝になります。 私の印象とすると少し乱れの角が角張っているという記憶にあります。

2017-02-27 23:00:28
つるぎの屋@日本刀買取専門店 @tsuruginoya

(左)山姥切国広 (右)本作長義(山姥切長義) 山姥切国広の物打ちにも大互の目の間に3つくらい谷があり、少し角張っている感じがします。特に3つめの谷がもっとも角張っていて、本作長義(山姥切長義)の谷もここが一番大きく角張っているので意識して写しを製作したのかもしれません。 pic.twitter.com/m9CzE8TFwD

2017-02-27 23:11:36
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@tsuruginoya 赤マーク 3つめの谷で大きく角がかっています。 青マーク 谷の位置は完全には一致していません。

2017-02-27 23:13:13
つるぎの屋@日本刀買取専門店 @tsuruginoya

堀川国広の天正打ちは多くなく、特に短刀よりも長い刀の方が少ないです。 私も天正打ちの刀は10数振しかみたことがないと思います。 国広の天正打ちなどの末古刀は比較的に互の目が複式状になっています。 山姥切国広も押形をみると複式状なところがいくつかあるようです。

2017-02-27 23:34:22
つるぎの屋@日本刀買取専門店 @tsuruginoya

@tsuruginoya 備前物では複式互の目というと、室町時代に入ってからのイメージが強いですが、実際には南北朝時代には兼光系や長義系でも複式状のものが出てきています。

2017-02-27 23:34:57

足利について 刀工堀川国広について

つるぎの屋@日本刀買取専門店 @tsuruginoya

堀川国広の刀は「水影」たつものが多くあります。 水影とは刃区より棒状に淡く映りのようにたつもので、映りと同様に焼きの一種と考えて良いです。 刀工によって水影の角度、太さ、濃淡が違います。角度は焼き入れの際の角度と関連します。 国広の場合は30度くらいの角度が多いでしょうか。

2017-03-01 00:18:10
つるぎの屋@日本刀買取専門店 @tsuruginoya

「山姥切国広」にも水影がある可能性もありますが、展示状態で鎺がついていると確認することは難しいです。 国広の水影は角度が浅く、長めなので鎺の上にみえることもありますが。

2017-03-01 00:20:43
つるぎの屋@日本刀買取専門店 @tsuruginoya

堀川国広の水影 角度は30度くらいと浅め、やや長めにたちます。 (こちらは慶長打なので、天正打とは少し違うかもしれませんが) pic.twitter.com/lpigdVjcYf

2017-03-01 00:26:07
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堀川国広の水影 こちらはちょっと分かりずらいですが、地鉄の色が変わってる境が水影です。 分かりやすくするために赤線を引いてみました。 pic.twitter.com/OlezYJgZsS

2017-03-01 00:33:28
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堀川国広は天正18年に下野国足利を訪れて作刀を行っていますが、現地で刀を製作していることを考えると国広が単身で訪れたということは考えづらいことです。 刀剣を製作する場合は向こう鎚も必要ですから少なくとも2~3人は弟子を伴っています。

2017-03-01 00:50:54
つるぎの屋@日本刀買取専門店 @tsuruginoya

@tsuruginoya 国広の場合は一族の親類縁者が一門に多く加わっているので彼らのうちの数名が足利まで同行したのでしょうか。 古参の一門では、弟に国政・国次・国安、甥の大隅掾正弘・越後守国儔、弟子に阿波守在吉らがいます。

2017-03-01 00:57:45
つるぎの屋@日本刀買取専門店 @tsuruginoya

堀川国広という刀工は前期の天正打、後期の慶長打で作風が異なり、さらに多くの写し物を製作しているので作風は多岐にわたります。 そのなかでも「山姥切国広」は備前長義写しですので、国広の作品のなかでも同様の作風のものは殆どありません。

2017-03-01 01:07:31
つるぎの屋@日本刀買取専門店 @tsuruginoya

堀川国広ではなく、一門や弟子の作品をみた場合に「山姥切国広」のような備前長義写しに通じる作風を持つのは阿波守在吉といわれています。 阿波守在吉には慶長2年紀の作品がありますが、こちらも長義写しとなっています。

2017-03-01 01:14:54
つるぎの屋@日本刀買取専門店 @tsuruginoya

@tsuruginoya 慶長2年(1597)は山姥切国広の制作された天正18年(1590)の7年後とかなり近い年紀となっています。

2017-03-01 01:15:02

3/3 追記 天正当時の作風について

つるぎの屋@日本刀買取専門店 @tsuruginoya

国広大鑑に所載する天正打の刀(鎬造り、2尺以上)を数えてみたら8振しかありませんでした。やはり、刀の現存数はかなり少ないようです。 しかも、国広には長義写しと思われる作例が山姥切国広の他に無さそうです。

2017-03-02 21:09:46
つるぎの屋@日本刀買取専門店 @tsuruginoya

刀の作例は山姥切国広が製作された天正17年(1589)の前後では開きがあります。 これでは、他の刀と作風を比較するのは難しいですね。 天正14年(1586) ↓ (3年) 天正17年(1589)-山姥切国広 ↓ (10年)  慶長4年(1599)

2017-03-02 21:09:57
つるぎの屋@日本刀買取専門店 @tsuruginoya

山姥切国広の押形 物打ちの下部には少し島刃状のところがあります。飛焼もあり皆焼風のようです。鎺元の互の目は複式状に部分的になっています。 pic.twitter.com/mCakzw6WlY

2017-03-02 21:15:28
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