【文豪とアルケミスト】坂口安吾ゆかりの地、新潟を歩く【文学散歩・舞台探訪】

2017年3月、新潟市において「文豪とアルケミスト」に登場する文豪ゆかりの場所を巡った時の写真です。 #文アル散歩 *このまとめは史料の引用多めです。引用なしver. → https://twitter.com/i/moments/837180715603132417 (3月8日追記) 菊池寛が訪れた、今はもう跡形もない「旧・新潟競馬場」について書き加えました。 続きを読む
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●今回紹介した文豪
芥川龍之介: 附属新潟小学校、古町通6番町、篠田旅館跡、鍋茶屋
尾崎紅葉: 白山神社、白山公園、寄居浜、行形亭、礎町通1ノ町、万代橋、沼垂駅、日和山、鍋茶屋
菊池寛: (旧)新潟競馬場、鍋茶屋通り
北原白秋: 新潟大学旭町キャンパス、新潟縣護國神社、寄居浜
坂口安吾: 白山神社、新潟縣護國神社、安吾 風の館、新潟大神宮、新潟カトリック教会、ホテルイタリア軒、旧吉田銀行(五泉市)
高村光太郎: 新潟市美術館
太宰治: 附属新潟小学校、寄居浜、ホテルイタリア軒、万代橋、(旧)新潟駅
田山花袋: 白山神社、日和山、(旧)白山駅
永井荷風: 古町花街
森鷗外: 信濃川
吉川英治: (旧)新潟駅、鍋茶屋通り
若山牧水: 下大川前通5ノ町、古町通5番町、万代橋、(旧)新潟駅

アザラシ提督 @yskmas_k_66

昨日3/1の午後に、職場の休みを利用しまして、ワタクシの地元新潟にある「文豪ゆかりの地」を訪ねてきました。 twitter.com/yskmas_k_66/st…

2017-03-02 13:55:10
アザラシ提督 @yskmas_k_66

新潟ということで坂口安吾オンリーになるかなと思いましたが、調べてみたところ、どうやらいろんな文豪が新潟に来たようでして、結構密度の濃い町歩きができたように思います。

2017-03-02 13:57:12
アザラシ提督 @yskmas_k_66

その時撮影した写真を、これからアップロードしていきます。一応、20ツイートを予定しています。

2017-03-02 13:58:05
アザラシ提督 @yskmas_k_66

前回と同じく、タグは「 #文アル散歩 」でいきましょう。では、ひとつよろしくおねがいします。

2017-03-02 13:58:42
アザラシ提督 @yskmas_k_66

【白山神社】 スタート地点はこちら白山神社。新潟市役所のすぐ近くにある神社で、坂口安吾の『吹雪物語』に出てくるところです。1899(明治32)年7月には尾崎紅葉が、大正のはじめ頃には田山花袋がここを訪れています。 #文アル散歩 pic.twitter.com/nwjCAtkwVe

2017-03-02 14:07:15
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・尾崎紅葉「煙霞療養(抄)」『新潟県文学全集 第二期(1)』郷土出版社 1996年 291頁
「白山の祠は境内神々として、心耳を清す松風は長えに広前の塵を払って、実に此許の土地神の宮居ぞと宜々しゅう拝まるるのである」

・坂口安吾「吹雪物語」『坂口安吾全集(2)』筑摩書房 1999年 297頁
「大晦日も所によつて様々な特殊な行事があるであらうが、この市では、社の境内に焚火がはじまるくらゐのものだ。注連縄や御礼のたぐひをぶらさげた老若男女が社の鳥居をくぐつて行く。焚火の中へそれらの物を投げこんで戻つて行くのだ。ただそれだけのことである。何事によらず華やかな行事の尠い町だつた。
 他巳吉は例年の習慣通りに、この町の目ぼしい社を一巡して、白山神社で打ちとめると、左門のもとへ立寄つた。ちようど卓一も来合してゐたが、文子はこの日も外出だつた。この一年の終りの日にも」

・田山花袋「山水小記(抄)」『新潟県文学全集 第二期(2)』郷土出版社 1996年 20〜21頁
「秋近い夜は美しく晴れて、空には天の川が自く星が銀のようにキラキラと輝いた。その下でゆくりなく耳にした樽砧の音、それはどんなに私の旅の興を誘ったであろうか。またどんなに長い旅に労れた私の心を爽かにしたであろうか。それは白山祠の境内でやっているのだが、そこを通る時には、私はわざと車を留めて、その賑かに渦を巻いた雑沓した光景を見た。樽砧の音は冴えて晴れた夜空に染み通るように聞えた」

アザラシ提督 @yskmas_k_66

【白山公園】 ここは白山神社に隣接する公園です。かつては「新潟遊園」と呼ばれていました。紅葉はここをとても気に入ったようで、「当市のオアシス」であると評しています。 #文アル散歩 pic.twitter.com/OF9j7mPO2y

2017-03-02 14:09:40
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・尾崎紅葉「煙霞療養(抄)」『新潟県文学全集 第二期(1)』郷土出版社 1996年 293頁
「境内に接する「新潟遊園」は、当市のオアシスとも謂つべきもので、鬱然として樹あり、湛然として池あり、丘には苔ありて幽靄、路には石ありて寂歴、鳥も来啼けば魚も躍る、盤桓するもよし、偶坐するもよし。出でて東南を疆れる陂に立てば、眼を浸す信濃川は穏波鋪くがごとく、微風菰を撲ち、軽舟洲に横りて、遙に望まるる角田、弥彦の山容は秋ならざるも粧えるなど、恐く市内一等の風景」

cf. 新潟市(編)『白山公園あたり(新潟歴史双書4)』新潟市 2000年; 新潟県の歴史散歩編集委員会(編)『新潟県の歴史散歩』山川出版社 2009年 147〜148頁

アザラシ提督 @yskmas_k_66

【新潟大学旭町キャンパス】 かつてここには「新潟師範学校」がありまして、北原白秋は1922(大正11年)6月に、新潟の小学生を前に講演を行いました。その際、児童たちから白秋作詞の童謡を歌ってもらったようで、白秋はお礼に童謡「砂山」を作詞し、子どもたちに贈りました。 #文アル散歩 pic.twitter.com/PAEQTvlNk8

2017-03-02 14:13:45
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・北原白秋「砂山」『新潟県文学全集 第二期(2)』郷土出版社 1996年 61〜63頁
「六月 (大正十一年)の半ば頃に、私は越後の新潟に行ってまいりました。私が行くと、新潟の子供たちは非常に喜んで、私のために童謡音楽会を開いてくれました。
 童謡はみんな私のものばかりをうたうというので、私もどんなに喜んだかしれません。
 その日は午後の三時前から、師範学校の講堂に二千人あまりの、各小学校の生徒たちが、ギッシリつまって、そして、みんな私を待ち受けていました。私が行って半開きのドアの外から覗くと、もうみんなが大さわぎして、こっちを伸び上って見ていました。みんなが眼をクリクリさして、顔を真赤にしたり、笑ったりしているのでした。私も真赤になってしまいました…(中略)…。
 それから、子供たちが入れ代り立ち代り、私の童謡を十ばかり歌ってくれましたが、みんないい出来でした。その童謡の中には、「蕨」や「雨がふります。雨がふる。」もありました。いい声で無邪気に歌ってくれました。どんなに私が喜んだか、そうしてどんなに子供たちも満足したか。
 九月ごろまたやって来ますから、また童謡音楽会をやってほしいと私が頼むと、また喜んでくれました。それでは何か、新潟の童謡を一つ作ってほしい、それを今度は歌いたいというのでした。それは嬉しい。そんなら一つ作って、それを置土産にしようと、私も約束しました」

cf. 「解説」『新潟県文学全集 第二期(2)』郷土出版社 1996年 356〜357頁

アザラシ提督 @yskmas_k_66

【附属新潟小学校】 こちらには「旧制新潟高校」がありました。1927(昭和2)年5月に芥川龍之介が、さらに1940(昭和15)11月には太宰治もここで講演を行いました。 #文アル散歩 pic.twitter.com/0FtPTyLbMB

2017-03-02 14:16:02
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・芥川龍之介「ポオの一面(仮)」『芥川龍之介全集(23)』岩波書店 1998年 74〜82, 615〜616頁; 芥川龍之介「東北・北海道・新潟」『新潟県文学全集 第二期(2)』郷土出版社 1996年 76〜77, 358〜360頁

・太宰治「みみづく通信」『太宰治全集(4)』筑摩書房 1966年 76〜78頁
「私は、けふの午後一時から、新潟の高等學校で、二時間ちかくの演説をしました…(中略)…學校は澁柿色の木造建築で、低く、砂丘の蔭に潜んでゐる兵舎のやうでありました…(中略)…校長室に案内されて、私は、ただ、きょろきょろしていました。案内して来た生徒たちは、むかし此の學校に芥川龍之介も講演しに来て、その時、講堂の彫刻を褒めて行きました、と私に教へました。私も、何か褒めなければいけないかと思つて、あたりを見廻したのですが、褒めたいものもありませんでした。
 やがて出て來た主任の先生と挨拶して、それから會場へ出かけました。會場には生徒の他に一般市民も集まつてゐました。隅に、女の人も、五、六人かたまつて腰かけてゐたやうでした。私が、はひつて行くと、拍手が起りました。私は、少し笑ひました…(中略)…。
 私は、「思ひ出」といふ初期の作品を、一章だけ読みました。それから、私小説に就いて少し言ひました。告白の限度といふ事にも言及しました。ふい、ふいと思ひついた事を、てれくさい虫を押し殺し押し殺し、どもりながら言ひました。自己暴露の底の愛情に就いても言つてみました。しばらく言つてゐるうちに、だんだん言ひたくなくなりました。話が、とぎれてしまひました。私は四、五はい水を飲んで、さらにもう一冊の創作集を取り上げ、「走れメロス」といふ近作を大聲で読んでみました。するとまた言ひたい事も出て來たので、水を飲み、こんどは友情に就いて話しました…(中略)…それから、素朴の信頼といふ事に就いて言ひました。シルレルの詩を一つ教へました。理想を捨てるな、と言ひました。精一ぱいのところでした。私の講演は、それで終りました」

cf. 野原一夫『回想 太宰治』新潮社 1980年 18頁

アザラシ提督 @yskmas_k_66

【新潟縣護國神社】 附属新潟小学校から海岸の方へ向かって歩くと、護國神社が見えてきます。その敷地内に、安吾白秋の碑が建っています。 #文アル散歩 pic.twitter.com/Sihu56UTIR

2017-03-02 14:19:05
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・坂口安吾「ふるさとに寄する讃歌」『坂口安吾全集(1)』筑摩書房 1999年 34〜35頁
「私は蒼空を見た。蒼空は私に泌みた。私は瑠璃色の波に噎ぶ。私は蒼空の中を泳いだ。そして私は、もはや透明な波でしかなかつた。私は磯の音を私の脊髄にきいた。単調なリズムは、其処から、鈍い蠕動を空へ撒いた…(中略)…。
 白い燈台があつた。三角のシャッポを被つてゐた。ピカピカの海へ白日の夢を流してゐた。古い思ひ出の匂がした。佐渡通ひの船が一塊の煙を空へ落した。海岸には高い砂丘がつづいてゐた。冬にシベリヤの風を防ぐために、砂丘の腹は茱萸藪だつた。日盛りに、蟋蟀が酔ひどれてゐた。頂上から町の方へは、蝉の鳴き泌む松林が頭をゆすぶつて流れた。私は茱萸藪の中に佇んでゐた。
 その頃、私は、恰度砂丘の望楼に似てゐた。四方に展かれた望楼の窓から、風景が ―― 色彩が、匂が、音が、流れてきた。私は疲れてゐた。私の中に私がなかつた。私はものを考へなかつた。風景が窓を流れすぎるとき、それらの風景が私自身であつた。望楼の窓から、私は私を運んだ。私の中に季節が育つた。私は一切を風景に換算してゐた。そして、私が私自身を考へた時、私も亦、窓を流れた一つの風景にすぎなかつた。古く遠い匂がした。しきりに母を呼ぶ声がした」
 安吾のいう「ふるさと」は現実の新潟である一方、引用した文のように、心の中で静かに思い出すような場所でもありました(cf. 七北数人『評伝 坂口安吾』集英社 2002年 14~16頁)。
 安吾と白秋の碑については、足立豊(ほか)『新・にいがた歴史紀行(1)』新潟日報事業社 2004年 36〜37頁; 坂口綱男『安吾のいる風景』春陽堂 2006年 22〜23, 30〜31頁; 新潟市教育委員会『新潟いしぶみ散歩道』新潟市教育委員会 1992年 28〜29, 32〜33頁; 荻島俊雄『坂口安吾碑を訪ねる』八吾の会 2006年 3頁; 丸山一『安吾碑を彫る』考古堂書店 2006年。

アザラシ提督 @yskmas_k_66

【寄居浜】 この辺りですが、白秋太宰が、それぞれの講演終了後にその足で訪れています。新潟に来た尾崎紅葉も、新潟大学旭町キャンパスのあたりから、歩いてここまで海水浴にやってきました。 #文アル散歩 pic.twitter.com/9Rndc5J2eY

2017-03-02 14:23:04
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・尾崎紅葉『煙霞療養(抄)』『新潟県文学全集 第二期(1)』郷土出版社 1996年 293〜294頁

・北原白秋「砂山」『新潟県文学全集 第二期(2)』郷土出版社 1996年 63頁
「会が済んでから、学校の先生たちと浜の方へ出て見ました。それはさすがに北国の浜だと思われました。全く小田原あたりとは違っています。驚いたのは砂山の茱萸藪で、見渡す限り茱萸の原っぱでした。そこに雀が沢山啼いたり飛んだりしていました。 その砂山の下は砂浜で、その砂浜には、藁屋根で壁も蓆張りの、ちょうど私の木菟の家のようなお茶屋が四つ五つ、ぽつんぽつんと並んで、風に吹きさらしになっていました。その前は荒海で、向うに佐渡が島が見え、灰色の雲が低く垂れて、今にも雨が降り出しそうになって、そうして日が暮れかけていました。砂浜には子供たちが砂を掘ったり、鬼ごっこをしたりして遊んでいました。日がとっぷりと暮れてから、私たちは帰りかけましたが、暗い砂山の窪みにはまだ、二三人の子供たちが残って、赤い火を焚いていました。それは淋しいものでした」

・太宰治「みみづく通信」『太宰治全集(4)』筑摩書房 1966年 80頁
「日本海。君は、日本海を見た事がありますか。黒い水。固い浪。佐渡が、臥牛のやうにゆつたり水平線に横たはつて居ります。空も低い。風の無い静かな夕暮でありましたが、空には、きれぎれの眞黒い雲が泳いでゐて、陰鬱でありました。荒海や佐渡に、と口ずさんだ芭蕉の傷心もわかるやうな氣が致しましたが、あのぢいさん案外ずるい人だから、宿で寝ころんで氣樂に歌つてゐたのかも知れない。うつかり信じられません。夕日が沈みかけてゐます…(中略)…。
 砂丘が少しづつ暗くなりました。遠くに點々と、散歩者の姿も見えます。人の姿のやうでは無く、烏の姿のやうでした。この砂丘は、年々すこしづつ海に呑まれて、後退してゐるのださうです。滅亡の風景であります。
「これあいい。忘れ得ぬ思ひ出の一つだ。」私は、きざな事を言ひました」

 白秋や太宰が印象深く感じたであろう、茱萸藪と砂浜ですが、今は侵食で後退したせいで、もう見ることはできません(新潟県の歴史散歩編集委員会(編)『新潟県の歴史散歩』山川出版社 2009年 147頁)。

アザラシ提督 @yskmas_k_66

【安吾 風の館】 ここは安吾関連の史資料・遺品を展示する施設です。彼の書簡や同人雑誌もありますから、安吾が好きな方は足を運んでみては…? #文アル散歩 pic.twitter.com/aPdFWpFmGE

2017-03-02 14:25:44
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アザラシ提督 @yskmas_k_66

【新潟大神宮】 新潟大神宮の境内には「安吾生誕碑」があります。現在、安吾の家の面影はどこにもありませんが、まさにここで安吾は生まれ育ちました。 #文アル散歩 pic.twitter.com/NN7eZz5qlw

2017-03-02 14:28:15
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cf. 小松原秀平(編)『坂口安吾生誕碑建立記念誌』坂口安吾生誕碑建立の会 2006年; 荻島俊雄『坂口安吾碑を訪ねる』八吾の会 2006年 2頁; 荻島俊雄『生誕碑はこうして建った』八吾の会 2007年

アザラシ提督 @yskmas_k_66

【行形亭】 新潟滞在中の尾崎紅葉も訪れた老舗料亭です。新潟市内にはここにしかないといわれた杉の木のことを、紅葉は旅行記『煙霞療養』に記しています。紅葉はここ以外にも、市内の多くの料亭・料理屋さんを訪れました。 #文アル散歩 pic.twitter.com/wP89ItZKRv

2017-03-02 14:30:33
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・尾崎紅葉「煙霞療養(抄)」『新潟県文学全集 第二期(1)』郷土出版社 1996年 283頁
「行形亭の庭で独り珍とすべきは杉の木である。その杉は何ぞ異りものかというに、そうでもない、依様尋常の杉である。その尋常の杉の珍たる所以は、土地の諺にも男の子と杉の本は育たぬといって、新潟市中を尋ねてこの本のほかに一本の杉もないのであると謂う」

cf. 足立豊(ほか)『新・にいがた歴史紀行(1)』新潟日報事業社 2004年 16〜17頁

アザラシ提督 @yskmas_k_66

【新潟カトリック教会】 安吾の『吹雪物語』『ふるさとに寄する賛歌』で言及された教会です。かつてこの周辺に「異人池」という池がありましたが、埋め立てられてしまいました。 #文アル散歩 pic.twitter.com/mXnKd99HzL

2017-03-02 14:33:33
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・坂口安吾「ふるさとに寄する讃歌」『坂口安吾全集(1)』筑摩書房 1999年 37〜38頁
「或る夜は又、この町に一つの、天主教寺院へ、雑踏の垢を棄てにいつた。僧院の闇に、私の幼年のワルツがきこえた。影の中に影が、疑惑の波が、半ばねぶたげな夢を落した。ポプラアの強い香が目にしみた。さわがしく蛙声がわいた。神父はドイツの人だつた。黒い法衣と、髭のあるその顔を、私は覚えてゐた。そのために、羅馬風十字架の姿を映す寂びれた池を、町の人々は異人池と呼んだ。池は、砂丘と、ポプラアの杜に囲まれてゐた。十歳の私は、そこで遊んでゐた。ポプラアの杜に、あたまから秋がふけた。時雨が、けたたましく落葉をたたいて走りすぎた。赤い夕陽が、雲の断れ間からのぞいた。私はマントを被つてゐた。寺院の鐘が鳴つた。釣竿をすてて、一散に家へ、私は駈けた。降誕祭に、私は菓子をもらつた。ポプラアの杜を越えて、しもたやの燈りが見えた」

・坂口安吾「吹雪物語」『坂口安吾全集(2)』筑摩書房 1999年 238頁
「ユーランバは、遊覧場とあてるのかも知れない。然し卓一の知るころは、戸数十四五戸の極めて小さな住宅地だつた。その南方は異人池。東は天主教会堂。北はキナレ亭の廃屋の崖にとざされ、西は海へでるポプラの繁つた砂丘であつた。さういへば、異人池もポプラの繁みを映すためにあるやうな池であつたし、天主教会堂も、ポプラの林の中にあつた。そしてキナレ亭の廃屋も、一面ポプラと雑草の中に隠れてゐたことが忘れられない。ユーランバは、ポプラに囲まれた千坪ほどの極めて小さな住宅地だつた。昔はこのあたり一帯が異人池々畔の草原で、自然の公園の体をなし、市民達の遊覧場であつたかも知れない。異人池は、卓一の子供のころの最も親しい遊び場だつた。卓一は、この一劃の砂丘の上に、生れたのである」

cf. 足立豊(ほか)『新・にいがた歴史紀行(1)』新潟日報事業社 2004年 26〜27頁; 坂口綱男『安吾のいる風景』春陽社 2006年 10〜11頁

アザラシ提督 @yskmas_k_66

【ホテルイタリア軒】 新潟に講演に来た太宰は、ここで食事をとったようです。安吾の『吹雪物語』では"エスパニヤ軒"として登場します。 #文アル散歩 pic.twitter.com/NsyxRbI14y

2017-03-02 14:35:29
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