信仰について思うこと。

宗教・信仰について考えてみました。
2
えまのん @emanon58123

信仰について思うこと 日本にいるとなかなか触れにくい話題だが、多文化の中にいると宗教・信仰について考えさせられる機会がありがたいことにたくさんある。

2017-03-07 07:16:38
えまのん @emanon58123

@emanon58123 信仰とは何なのだろうか。私は信仰を、Belief=信念と考える。つまり、人生の価値観の指針、コンパスとしての役割ではないかと思う。人間のとして判断の基準を持つことは、社会的動物として生理的であるからに、信仰は価値観とほぼ同義なのだと想像する。

2017-03-07 07:18:21
えまのん @emanon58123

@emanon58123 信仰というと宗教に関連するようだけれど、実際にはビリーフであり、その観点からは無神論も科学論もビリーフであるという点において宗教となんら変わりがない。

2017-03-07 07:18:45
えまのん @emanon58123

@emanon58123 物心ついて、最初に信仰という概念に触れたのは「火の鳥・太陽編」だったと思う。細かい描写は忘れてしまったが、土着の神々が仏教に追われていくシーンは、宗教とは”宇宙の真理”などではなく”人々の思うところ”なのだと深く幼心に刻み込まれた。

2017-03-07 07:19:04
えまのん @emanon58123

@emanon58123 遠藤周作の沈黙も同様だ。”信仰とは変容をしていくもの”であると深く印象付けられた。醜女の深情け、という表現は興味深い。自分の信じるところの押し付けは、時には暴力的で、どこか相手の文化への不敬と上下構造を感じる。

2017-03-07 07:19:27
えまのん @emanon58123

@emanon58123 梨木香歩のエッセイに、己の(キリスト教への)信仰を盾にネイティブアメリカンの信仰を結果的に否定する善意の宣教者の話が出てくる。いつの時代も固定された視点は他者への否定へつながる。

2017-03-07 07:19:54
えまのん @emanon58123

@emanon58123 かといって内に向かうのは、果たして人の目指すべきところなのか。今でも心に残っている薄い本がある。二人の僧侶が問答をしているシーンから始まる。「大悟いたしました」と繰り返す僧侶に「大悟したいと願うが、いつまでたっても欲はつきぬ」と一方が問答を返す。

2017-03-07 07:20:34
えまのん @emanon58123

@emanon58123 「拙僧は大悟に至ったと思えども寒さは感じる。空腹を感じる」「しかしそれらを忘れて大悟するとは痴呆と何が違うのか」 個人で完結してしまった場合の社会の意義とは何なのだろう。人は独りでは生きられない社会的動物だ。楢山参りは死出の旅なのだ。

2017-03-07 07:20:49
えまのん @emanon58123

@emanon58123 先進国では諸悪の根源のように扱われてしまうビリーフだが、その存在意義なんなのだろうか。 私はそれを”厳しい環境で生み出された結束のための知恵”と考える。

2017-03-07 07:21:11
えまのん @emanon58123

@emanon58123 「猫の地球儀」の中に大僧正のこんなセリフがある「わしは大集会を無能な組織とは思わん。むしろこの厳しい環境の中でよく民衆を導いてきたと思う」夢を追うだけ、というお主に同じことができるのか」

2017-03-07 07:21:34
えまのん @emanon58123

@emanon58123 本の中で大僧正はむしろ柔和な思考をしているキャラだ。けれど日々生きるのに手一杯な厳しい社会は勝手を許す余地がない。「では聞くがな! おぬしのロケットは夢やロマンを噴射して飛ぶのか!?」という問いに主人公は答えることができない。

2017-03-07 07:21:43
えまのん @emanon58123

@emanon58123 「神様はいるんだ。この宇宙は、そういうふうにできているんだ」それを支えにしている人に何の根拠もなく「お前の信じていることは真実ではない」とその人の世界の根幹を破壊することはただの無責任と言えはしないか。

2017-03-07 07:22:15
えまのん @emanon58123

@emanon58123 寺山修司は馬と蚕の神である”おしら様”のルーツを農業から蚕産業に移る際の村長の説明にあるのでは、との考察をしている。物語"Narrative"は、そのほとんどに生活の教えを含んでいる。

2017-03-07 07:22:38
えまのん @emanon58123

@emanon58123 例えば、イスラム教の豚を食べてはいけないという教えは、豚の飲食による死亡が背景にあったと考えられないだろうか。パスツールによる病原体の示唆は19世紀になってからのことだ。

2017-03-07 07:22:55
えまのん @emanon58123

@emanon58123 ではなぜ、宗教を深く信じる人とそうではない人がいるのであろうか。そして先進国では宗教色は薄く、後進国でその影響が未だに強いのはなぜ。生活に余裕のある人たちは多くの価値観に触れ、そしてそれを選ぶことを知っているが、日々の暮らしに事欠く場合そんな余裕はない。

2017-03-07 07:23:58
えまのん @emanon58123

@emanon58123 人は誰しも人生のどこかで本来答えのない問いにぶつかるものだと思う。死んだらどうなるのだろう、とか。生きる、とは。その時に一つの回答を渡され、そして”批判的吟味”という言葉さえ知らなければ・・・ それは生涯における価値観になるのではないだろうか。

2017-03-07 07:24:48
えまのん @emanon58123

@emanon58123 それはその人の根幹をなすものになるのではないのだろうか。 それはその人の世界そのものとなるのではないのだろうか。

2017-03-07 07:25:32
えまのん @emanon58123

@emanon58123 宗教とは、信仰とは、信念とは、人生における価値観なのだ。そこには善悪も、正否も、ない。その昔日本に伝来した宣教師のように、固定された視点は他者への敬意の無さに繋がるのだ。 そのことを忘れてはいけないと思う。

2017-03-07 07:25:47
えまのん @emanon58123

@emanon58123 結論:大事なことは(薄い)本(ラノベ含む)などから学びました。 参考文献:手塚治虫、梨木香歩、遠藤周作、寺山修司、秋山瑞人、京○堂の薄い本

2017-03-07 07:26:26

コメント

言葉使い @tennteke 2017年3月7日
人が何かを欲したとき、得るための方法はいくらでもあるのに、最初に「値段はいくらか」を気にしますよね?労働の対価として得るでもなく物々交換でもなく。魚住昭という人がこれを「思想」と説明していましたが、信仰もまた自分が信じるもの以外を認めない性質ではないでしょうか。またこれが先進国で宗教色が薄い理由では。
0
えまのん @emanon58123 2017年3月22日
気づくのが遅くなってしまってすみません!すみません、浅学にして存じ上げず、また元論文にも当たっていないのですが、前述の現象を私は「貨幣」という概念が、労働や物質に対して交換する単位という”社会通念”を前提とした社会構造が故であるもの、と考えます。
0
えまのん @emanon58123 2017年3月22日
つまり"Population"としての思想は社会通念を形成すると同時に、それ故にそこに従わないものに対する排他的性格を持っている、と解釈できます。 先進国ではリソースが多いため、少しぐらいはみ出したものがいても許容できる余裕があることが前提にあるのでは、と思っています。
0
sudoufu @kappazizou 2017年3月23日
単に物理的な点のみに還元すれば、とどの詰まりDNAが炭素をなるべく多く自分と同じ配列にする為の作用に過ぎず、それはエントロピーを早く増大させる為の現象にすぎずで、それじゃあ悲しすぎて意味としての宗教も欲しくなる…がその思考さえも作用の為の装置にすぎないのか?とぐるぐるしちゃいます
0
えまのん @emanon58123 2017年4月22日
遅くなってすみません!そうですね・・・ただ逆に言えば、そうした思考をできる、そしてそれを他者に伝えられる、というのも人間の幸せの一つなのかなぁと思っています:))
0