丹生谷貴志ツイートまとめ(2017年2月)

丹生谷貴志さんの2017年2月のツイートをまとめました。
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nibuya @cbfn

和田忠彦さんからタブッキを巡るご著書届く。多謝。しかしカルヴィーノ、タブッキ、エーコ以降、単にこちらの不勉強だがイタリアの「新種」の話を聞かない。まあ、どこも同じだが・・・。因みに僕は相変わらず、今はポリーニ初指揮のロッシーニLa donna del lago.、これが結構素敵。

2017-02-01 21:20:09
nibuya @cbfn

ニーチェがワグナーについて「小さきものの天才」と呼んだ真意はともかく一般に「壮大な」と形容される仕事が実は「卑小なもの」への「主夫」的な細かさにおいて動いていることがあり、例えばマルローの美術論もその例で、だから逆に「マルロー美術論の壮大さ」などと言う者の表情が間抜けに見えもする

2017-02-07 10:17:50
nibuya @cbfn

・・・余談。「空虚」という概念に何の意味負荷を与えずに、その「空虚」の表層に何の「意味」も「方向性」もない線を引き着彩することが出来る者こそは「芸術家」であると、それこそ空疎な定義を与えると、無論、「芸術家など存在し得ない」という結論を得る。まあそれこそ無意味な思考の玩弄・・・。

2017-02-07 14:13:14
nibuya @cbfn

・・ただ一冊の本すら装丁し得なかった「ウィリアム・モリス」を想像すること・・それ以前に、装丁すべき本そのものを発見できなかったモリスを。だいたいが、まずは「何も書かれていない」本を見つけねばならず・・・しかし白紙の本ですらすでに「潜在的に」何かが書かれてしまっている以上は・・・?

2017-02-07 14:28:03
nibuya @cbfn

ブランショが言うように、言葉の「向こう側」に墜落してしまった者、「オルフェウス」だけが「詩人」である条件を満たすとすると? 透明な氷の張った湖の氷の下に溺死しかけた者の、その見上げてくる唇の動きを読むように詩を読むことが要件となる? なお、様々な懸案、読む者はどこに位置するのか?

2017-02-07 14:42:01
nibuya @cbfn

余談、余談。楽譜が読めない以上我慢(?)の限界まで聴き続けるしかないのだが(!)、例えばモーツァルトの交響曲40とかピアノ協奏曲20とかの、評価の高い(?)短調系楽章が、自分には何故か耐え難く「嫌な感じ」を残すのを発見(!)して考え込む・・・あいも変わらず無益な時間の散逸・・・

2017-02-07 23:41:37
nibuya @cbfn

余談。鈴木了二さん新著『ユートピアへのシークエンス』届く。鈴木さんの著書を手にするといつだって自分の時間を何もかも初めから・・・いつぐらいの初めか・・・ともかく「初めから」やり直したくなる・・・何故だろう・・・感謝どころの話ではないのだ・・・・。

2017-02-17 12:20:06
nibuya @cbfn

・・・鈴木さんの新著・・・ちなみに製本工程の偶然に過ぎないが栞が本の半ばの、マラパルテ荘の海に向けて開いた無人の広いベランダ写真の所に挟まっていて・・・開くと・・・何だか知れないが、「もう負けですね、何もかも、仕方ないこと」などと意味不明な思いに襲われ・・・要は、茫然とする・・・

2017-02-17 12:34:08
nibuya @cbfn

「神は死んだ」という陳腐なフレーズ。「神の死」とともに指導原理や超越が消えるなんてこたあ無意味な繰り言、要は僕らは「全知」の空間に入ったということを意味する。「全知」、つまりは完璧に透明な複数の鏡で構成された合わせ鏡の場に入ったということ、「それだけのこと」なのだ。どう使うか?

2017-02-17 13:09:13
nibuya @cbfn

余談。初歩的確認・・・ドゥルーズ、『差異と反復』『意味の論理学』は「真」、『アンチ・エディプス』『ミル・プラトー』は「善」、『感覚の論理学』は「美」、『シネマ』はその「総合」的注・・・「真・善・美」というわけでドゥルーズは至極「オーソドックス」に哲学を「再構築」する・・・

2017-02-20 06:21:05
nibuya @cbfn

余談。シューマンの音楽が「音」に聴こえるまで自分の聴覚の何かを変えること。1810年に生まれ56年に発狂と自殺”未遂”で死んだこの人には”何かがあるはずだ”という無根拠な思い込み・・無論ナイーヴ極まりない高橋悠治の論集『ロベルト・シューマン』の昔の読書の記憶が未だ残っているのだ。

2017-02-27 14:18:35
nibuya @cbfn

因みに、以前も書いたがオリヴェイラの素晴らしい『神曲』のラスト、奇妙な「精神病院」陽の当たるピアノ室で、シューマンの『ウィーンの謝肉祭の道化』を、マリア・ホアン・ピリスが延々と弾く、光景。48年革命歌を書いたシューマンは錯乱の兆候を示し「幽霊の変奏曲」という謎めいた曲を書いて・・

2017-02-27 14:31:02
nibuya @cbfn

・・まあ、楽譜が読めないという決定的な障壁がある以上誰かの演奏に依るしかないことのもどかしさは仕方ないとして・・ロラン・バルトは自分こそ最高のシューマンの演奏者だと言った、と読んだ記憶があるが、さて・・・むろん「巧い」はずはないにしても、「最高の演奏者」であったろうことは夢見得る

2017-02-27 14:43:15