新海誠監督「星を追う子ども」について記憶を辿ってみた。

Yahooトップで「星を追う子ども」が紹介されていたため数年前に観たの同作の記憶および感想をまとめてみました。
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流刑囚 @kyotoanda

前者に関しては登場人物に日常的な動作をさせるだけで視覚的な驚異となるし、後者に関しては現実的にはあり得なそうなスペクタクルをより容易(安価)に作り出すことができる。

2017-03-18 21:35:27
流刑囚 @kyotoanda

実写とアニメーションを比較した場合、後者の強みとしては「動き自体を演出化できる」ことと「世界自体を異世界化できる」という2点が挙げられる。

2017-03-18 21:35:22
流刑囚 @kyotoanda

新海誠の「星を追う子ども」を観た時、その全体のコンセプトには共感できたが、トータルとしての満足度はそれほど高くなかった。新海誠は前者「動き自体の演出化」については秀でているものの後者「世界の異世界化」つまり異世界(的な光景)をゼロから作ることはあまり得意ではないのだろう。

2017-03-18 21:38:55
流刑囚 @kyotoanda

「星を追う子ども」はコンセプトは素晴らしいんだよ。「異世界」に憧れている(つもり)だった人物が実際に異世界に向かい、そこで自分はただ実存的な埋め合わせをしているだけだと気付いて帰還する。またもう一人の人物は同じく異世界に向かい帰還しないことを選択する。

2017-03-18 21:45:44
流刑囚 @kyotoanda

「星を追う子ども」はジブリの模造品みたいに言われることがあるけれども作品のコンセプト自体はジブリを越えていると思う。問題は演出力が追いついていなかったこと。

2017-03-18 21:49:44
流刑囚 @kyotoanda

「天空の城ラピュタ」とか「魔女の宅急便」、あるいは「ポニョ」における「旅」や「冒険」は単なる「通過儀礼」でしかない。登場人物が帰還することで物語は秩序を取り戻し終幕する。

2017-03-18 21:58:10
流刑囚 @kyotoanda

一方で「星を追う子ども」では教員のキャラを配置することで「帰還するべき日常は存在するのか?」というもう一つの問いかけを行っている。こうした問題意識は黒沢清作品のいくつかとも共通する。

2017-03-18 21:58:54
流刑囚 @kyotoanda

単に古典的な教養小説のような通過儀礼を描けばそれで良いという状況はとうに終わっていて、それは最早通用しない。一方で異世界が「オレツエー」と「無双」するための舞台装置に成り下がるのも困ったもんだが。

2017-03-18 22:03:26