ミュシャ展に行って『スラヴ叙事詩』を観てきました。
- shi_zu_ka_ni
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2017年3月8日、国立新美術館でついに開催となったミュシャ展に行き、30年来の夢だった『スラヴ叙事詩』を観てきました。開催までの経緯のまとめと、私が写真撮影許可エリアで撮影した写真を中心に、『スラヴ叙事詩』を取り巻く時代について簡単に考察してみました。360度写真もございますので是非ご覧ください。
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⚡ #ミュシャ展 に行って『スラヴ叙事詩』を観てきました。 (作成者: @litronix_2260) 『スラヴ叙事詩』を取り巻く時代について簡単に考察してみました。360度写真もありますので是非ご覧ください。 #theta360 twitter.com/i/moments/8437…
2017-03-20 20:55:03私が今回のミュシャ展の情報を最初に聞きつけたのは、昨年夏の事でした。
ミュシャ最大の名作「スラヴ叙事詩」全20作がチェコ国外、世界初公開となる「ミュシャ展」@国立新美術館の展示構成が明らかに! 1:スラヴ叙事詩 2:ミュシャのアール・ヌーヴォー 3:世紀末の祝賀 4:民族独立への奮闘 pic.twitter.com/WPIIEW79Fz
2016-08-02 20:38:43ミュシャの「スラブ叙事詩」全20作が2017年に日本に貸し出され、国立新美術館で3ヶ月間展示されるというんだけど、チェコからどうやって持ってくるんだろう。こんな巨大な絵だよ。praguepost.com/142-culture/40… pic.twitter.com/Zde1V5YMjh
2015-06-08 13:29:58えっ、『スラヴ叙事詩』日本に来るの? 死ぬまでオリジナルは観られないと思ってた。行かなくちゃ。 twitter.com/taktwi/status/…
2016-08-10 11:08:04しかし、今回メイン展示となる『スラヴ叙事詩』は全20作が同時にチェコ国外に貸し出されるのは初めてのことで、貸し出しにあたってはミュシャ親族の反対にあい揉めていたようです。一時は『スラヴ叙事詩』貸し出しが危ぶまれることも。
Alphonse Mucha's grandson sues Prague to stop Asian tour of Slav Epic, his gigantic canvas cycle ow.ly/BszK3068THa #AlphonseMucha pic.twitter.com/BS63UcFjfl
2016-11-14 20:20:39ミュシャの孫が、「スラブ叙事詩」の日本などへの貸し出しの取りやめを求め提訴。文化省の持ち出し許可はまだ出ていないとのこと。 twitter.com/TheArtNewspape…
2016-11-15 01:55:53ミュシャの「スラブ叙事詩」、あんなに大切な大作がよく日本まで来てくれるな(さらに中国、韓国、米国まで!)と思いましたが、やはり心配や不満があるようですね。実は所有権にも異議があるらしいし。 twitter.com/tkjuly/status/…
2016-11-15 11:01:06「スラブ叙事詩」の件、元々恒久的な展示場所建設を約束したプラハ市が約束を履行しない上に日本の後中国、韓国、US(計画中)の巡回先にはこれほど巨大な絵画を展示するスキルがない美術館もあり絵画にダメージがっというのが主な理由かな。 theartnewspaper.com/news/news/much…
2016-11-15 17:50:34ミュシャの「スラヴ叙事詩」海外展示に孫が提訴してる件、海外に2年に渡り持ち出されるので絵のコンディションが心配なこともあるけど(特に中国での展示を危惧)、そもそも市が絵の展示場所を確保するという約束を果たしてないかららしい。 theartnewspaper.com/news/news/much…
2016-11-15 21:49:20『スラヴ叙事詩』は1928年に完成後プラハ市に寄贈され、その際プラハ市は『スラヴ叙事詩』を展示するための美術館の建設を約束しますが、市の財政難やその後の第二次世界大戦の影響で約束は履行されませんでした。親族はその時の事を今も快く思っていないのでしょう。
第二次世界大戦の戦火を逃れるため、ミュシャ親族は『スラヴ叙事詩』をモラヴィアのモラフスキー・クルムロフ城に寄贈。1960年代以降は夏期のみひっそりと公開されていたようです。
モラフスキー・クルムロフ城。城自体あまり管理が行き届いていないという評判が聞かれます。
戦後、社会主義国家化したチェコスロヴァキアでしたが、西側風の開かれた政治システムや娯楽文化を積極的に取り入れ、1968年には民主変革運動であるプラハの春を興すに至るなど、東側としては非常に先進的な国家でした。しかし逆に先進的であるがゆえに体制の変化を恐れるソヴィエトの弾圧を受けるきっかけとなったのも事実でした。
プラハの春。