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「太平記」は日本文学のワンオブゼムではなく、長く政治思想や教育の中心だった/天皇は、太平記を通じ庶民にも知られていた?

「太平記」といえば、『鎌倉末期から南北朝の動乱を描いた文学』…ではあるが、それだけではない! 実は日本では、これを題材にした政治思想や正義論、そして娯楽が長ーーい期間「中心・正統」だったのです。 逆に言うと、ここに異議や相対化が出始めたころ、はじめて人文学が花開く。 そんな「太平記の位置づけ」にも、最近さまざまな学問的な研究が進んでいます。そんな話を…諸般の事情で十分に収録できず、話の流れがわかりづらいのですが、可能なだけまとめました。
歴史 儒教 中世史 朱子学 南北朝 古典 太平記 日本文学 まとめ管理人
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※鍵つきツイートや未収録ツイートに関しては、個別のツイートを開くと、ツリー状になってやり取りを見られるかもしれません。
例:たとえば
 https://twitter.com/1059kanri/status/844890262954389504 
https://twitter.com/goza_u1/status/845079779225186304 
などを個別に開くと前後のやりとりがわかります

DJ K.I.M. 木村 @b_boy0586
youtu.be/5zD20ratbv8 大河ドラマ・太平記 楠木正成・新田義貞連合軍VS足利尊氏 pic.twitter.com/PGjYkE04co
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まとめ管理人 @1059kanri
あまりに素敵な平積みの並びに、一瞬これは夢ではないかと本気で疑ってみたりw pic.twitter.com/S5H0tD3xj2
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とりん(・と・) @trinh_JP
採用面接で、「南朝と北朝どちらが正統ですか?」という質問をするようにしている。無統と即答できない人材は、不採用。 面接に来る以上、『資治通鑑綱目』を確認するのは、一般常識でしょ。 非常識な人材は駢文も書けません
まとめ管理人 @1059kanri
神田千里先生の「宣教師と『太平記』」を読んで、自分の中世の太平記認識が非常に甘かったと実感。中世後期~近世初期において『太平記』は最高の文学であり最高の歴史書であり最高のエンタメであり最高の百科事典であり最高の倫理道徳の書。ある時期の英国のシェイクスピア受容に似ているかも。
まとめ管理人 @1059kanri
宴会だったり女性の集まり(女子会?)で、一種の余興として太平記の朗読が行われたとは。
まとめ管理人 @1059kanri
江戸初期くらいまで「太平記は日本にあるものの内最も荘重で高尚な文体」などと、「太平記は至上にして至高」みたいな意識が続くのに、江戸後期になると、あの『常山紀談』の湯浅常山なんかも「太平記は装飾が多すぎて内容に乏しい」なんて言い出して、江戸期で日本人は本当に変わったのだと実感w
azzurro @azzurro45854864
@1059kanri 今は『平家物語』は壮重な文体、『太平記』は繁雑な文体という評価では?実際両方とも読んだけど、『太平記』のルポルタージュ風でゴツゴツした感じに戸惑いを覚えたことを記憶しています。
まとめ管理人 @1059kanri
@azzurro45854864 今とは評価の基準が違う、という事でしょうね
azzurro @azzurro45854864
@1059kanri そうでしょうね。それと、江戸時代は太平記読みという声を通してのパフォーマンスの影響もあったのでしょうね。
まとめ管理人 @1059kanri
@nonomaru116 わりと驚いたのは今川氏親みたいな戦国大名や公家が、太平記の内、自分の先祖が出ているところだけを抜書きした小冊子を作ったりしていることでw
某氏 @bohshi
『宣教師と『太平記』』自分も読んだ。太平記とか平家物語から神仏の功徳をなんとかして取り除いて抄訳しようとかいうキリシタン版の涙ぐましい努力には宣教師というのも大変だなあと思いつつ、割とマジで日本人の歴史認識の基盤になってたんだなあ、太平記。
まとめ管理人 @1059kanri
@nonomaru116 なるほど。あと江戸期は出版業の隆盛で、一つの書物に余り多角的なことを要求しなく成ったのも大きいかもしれませんね。
まとめ管理人 @1059kanri
@nonomaru116 なんと「難太平記」は、太平記に自分やその祖先が書かれてないことへの僻みの書物だった可能性があるようでw
ほしmama@通販開始しました @hoshi_mama
@1059kanri 初めまして。大昔、神田先生の授業を受けていた者としては先生らしい本だなあ、って、思いました。自分は愚管抄の授業を受けた覚えが…確か切り口も似たような感じだった気がします…。
まとめ管理人 @1059kanri
@nonomaru116 ですね。中世の人は「太平記」からほんとうに様々な情報を読み取ろうとしたらしく、現代人には鬱陶しくさえ感じるあの煩雑さ、雑多さには、同時代的に非常に実際的な意味があったのだなあと
まとめ管理人 @1059kanri
@hoshi_mama はじめまして!色んな意味で目から鱗が落ちる良本でした。先生の授業を受けられていたとは本当に羨ましいです。愚管抄、それも興味深いです!
まとめ管理人 @1059kanri
しかし太平記がこれだけ中世後期の「基礎教養」であるなら、その太平記のなかに出てくる「源平交代思想」も、当然常識だったんじゃないかなあ。
まとめ管理人 @1059kanri
@nonomaru116 たしかに源氏物語や平家物語ではそうは行きませんからねw
まとめ管理人 @1059kanri
@goza_u1 ああ、そういう背景があるのですね。それにしても理尽鈔って、読んだことはないのですが、よほど酷い内容だったのかw;
まとめ管理人 @1059kanri
@nonomaru116 それぞれのイシューの「専門書」が出るようになると、それらの要素が逆に足枷になっちゃったのでしょうね
@ASA6pt2k
吉川元春書写の太平記!元春って三兄弟で1番字が綺麗な気がする pic.twitter.com/IPzoOJdeSN
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まとめ管理人 @1059kanri
@migmigsutu 面白いですよね!本当に勉強になります
まとめ管理人 @1059kanri
@nonomaru116 徒然草が、長らく忘れられた本だったのを、江戸初期の家康の出版事業で「再発見」された、というのも、なんとなくわかりますねw
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コメント

gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2017年3月25日
@1059kanri 氏を中心に@trinh_JP @bohshi @hoshi_mama @goza_u1 @ASA6pt2k @y_urimyn @shiran_ino3 @hajime_0101 @SagamiNoriaki @myfavoritescene 各氏に多謝 誰でも編集可能です/諸般の事情で、関連ツイートを十全に収録できてないので、話が繋がらない部分があるかもしれません。すみません
石井 顕勇 @IshiiAkio 2017年3月25日
この見方は重要。史料価値は低いが、日本文化への影響は最大級。
gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2017年3月25日
※鍵つきツイートや未収録ツイートに関しては、個別のツイートを開くと、ツリー状になってやり取りを見られるかもしれません。例:【たとえば https://twitter.com/1059kanri/status/844890262954389504 https://twitter.com/goza_u1/status/845079779225186304 などを個別に開くと前後のやりとりがわかります】
gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2017年3月25日
最近の研究者とその著書を青、古典関連を赤で色分けしてみました。
文里 @wenly_m 2017年3月25日
最後の方の亡霊による日本滅亡計画会議、映像化しないかな?w
すんすけ @tyuusyo 2017年3月25日
そういえば最後に出てくる『私本太平記』、新興メディアだった週刊誌業界でどこに掲載するか大騒ぎになったという。(大村彦次郎の話より)終戦直後では村上春樹並みに、太平記が当時のキラーコンテンツだったのだ。
gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2017年3月26日
江戸時代に天皇はどれぐらい庶民に知られて、崇拝されていたか、って議論があるけど『太平記(と平家物語)が人気エンタメなら、自然と「天皇」の存在がそれを楽しむ層に知れ渡り、人によってはマジでかぶれて尊王家になるだろう』…というのはなかなかシンプルにして強靭な論だな
言葉使い @tennteke 2017年3月26日
落語に出てくるご隠居はいろいろ知っているんでしょうけど、@gryphonjapan さんがどんどん指摘している偽史や講談、統治者の都合で作られた歴史を、疑わずに信じているんだろーなーと思う今日この頃。 >> 江戸時代に天皇はどれぐらい庶民に知られて
gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2017年3月27日
@ringz34 @ut_ken @obenkyounuma @tyuusyo @suikyosen 太平記の人気や知名度から繋がる「明治以前の庶民は天皇を信じていたか(敬っていたか)」の議論について収録しました。
聖夜 @say_ya 2017年3月27日
一応念のために補足しておくと太平記における天皇(後醍醐)とは忠臣蔵でいう浅野内匠頭、おんな城主直虎でいう今川氏真あたりのポジションで、室町から江戸時代を通して「魔王」「怨霊の元締め」とみなされた崇徳上皇の後継者だと太平記自身に書かれている人です
聖夜 @say_ya 2017年3月27日
それでもなお「マジでかぶれて尊王家になる」人は実在してまして、それがだれあろう水戸光圀であり、その業績である大日本史の正当後醍醐南朝、忠臣楠木正成という史観が明治政府に採用されたわけです。実際の楠木正成は日本の男ジャンヌダルクともいうべき人であり、朝敵を赦免されたのは1559年(桶狭間の前年)、正一位を追贈されたのは明治13年です
聖夜 @say_ya 2017年3月27日
ちなみにNHK大河の太平記も原本ではなく吉川英治の私本太平記を原作にさらにアレンジしたもので、登場人物の一部が女性になってたりと時代を先取りしており、キャスト陣などから当時「トレンディ大河」と呼ばれていました
gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2017年3月28日
say_ya 『安危の来由を察るに、覆うて外無きは、天の徳なり。明君、之に体して国家を保つ。載せて棄つること無きは、地の道なり。良臣之に則つて、社稷を守る。若し夫れ其の徳欠くる時は、位有りと雖も持たず。』でしたね。
吉川卓見@制作ですらなくなった! @nondarasinu 2017年3月30日
伊勢といっても内宮と外宮を一緒くたにした商売の神扱いだから朝廷とは程遠いし、衣装雛も立雛なんかは男雛は貴族前とした衣装だが、女雛は巫女さんの衣装で内裏雛とは違いますね。大体、東北は雛祭りをやってたのかな?東北は風神 (金精神)という藁で作った男根を持ち歩くんじゃなかったかな?『武士の娘』でも聞きなれぬといわれている位だから一般的ではなかったのかもしれない。明治初年という官軍が暴れまわった後でも天子という時点で、やはり知られてなかったのだろう。
吉川卓見@制作ですらなくなった! @nondarasinu 2017年3月30日
ただ、1%というのはありえない数字。例えば京から東照宮へ公家さん達が天皇の使いとして定期的に街道を通るわけだから街道筋の連中は知ってるだろうし、無宿人などで江戸に人口が集中していたわけだから1%はありえない。  何より、網野善彦の海の国の中世を読むと、それ以前の時代から頻繁に朝廷関係者が荘園関係の争いに関わって名前が出てくるから1%だった時代があったようには思えない。
緑川⋈だむ @Dam_midorikawa 2017年3月31日
「つまんねえ連中がぐだぐたやってるだけちゃうんかこれ」て言ったのは佐藤大輔だっけ
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