平山優「武田氏滅亡」関連まとめ~火の章 なぜ『長篠』は750Pある本の中で、50P目に過ぎないのか?・講演会の様子も収録
- gryphonjapan
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多くの人が指摘して、今回 表題にしたいネタを紹介しとこう 平山優「武田氏滅亡」、751Pの大著。多くの人は、このクライマックスが、多くの物語で描かれた長篠合戦と思うじゃろ?だが長篠で敗戦するのは52P目(笑)。 武田勝頼と武田家は、決してここから一直線に滅亡したのではない!ノダ。 pic.twitter.com/Hlz0lnLEhr
2017-03-26 09:02:38ああ、いちばん説明が手っ取り早いのは、宮下英樹「センゴク天正記」15巻だ。 おそらく確実に平山優氏らの研究成果を取り込み、2012年ごろ漫画化していた。 長篠後、一時は領土拡大も成しえ、どこかで復活のチャンスもあったのだ。だが…だからこそ戦国の困難さと、滅亡の悲劇も際立つ。 pic.twitter.com/mfAdfldwgf
2017-03-26 09:13:04いま紹介の頁は sokuyomi.jp/product/sengok… の立ち読み部分だから誰でも読めるよ。センゴク天正記は1-5巻で長篠、その後別の戦場にカメラを向けたあと、15巻で滅亡が描かれる。 「武田氏滅亡」を読んでからドラマを楽しむもよし この漫画で流れを掴んで平山本読むもよし
2017-03-26 09:17:09ん?こんな試し読みのできるとこあるんだ #武田氏滅亡 twitter.com/race_c/status/…
2017-03-26 08:45:03#おんな城主直虎 と関連の話題で『武田氏滅亡』。遠江国衆が今川に反旗を翻した大規模な反乱、遠州忩劇の中心となった飯尾氏は三河一向一揆平定直後の家康とも結んでおり、一方、信玄は氏真の器量を注視しつつ、情勢次第では氏真支援を名目に今川領国の混乱に介入することを目論んでいたという。
2017-03-11 09:51:19明日以降の #おんな城主直虎 では家康の今川からの自立をめぐる問題も話題となりそうですが、『家康研究の最前線:ここまでわかった「東照神君」の実像』所収の二論文。平野明夫「家康は、いつ、今川氏から完全に自立したのか」、遠藤英弥「義元の死後、家康と今川家との関係はどうなったのか」
2017-03-11 10:31:26@trushbasket 『武田氏滅亡』でもその旨記述がありましたね。まあ過去の英雄の境遇になぞらえたくなる気持ちも何となくわかる気が (^_^;)
2017-03-11 11:15:33『家康研究の最前線』は江戸幕府が最終的に天下を掌握したが故に家康に都合よく描かれた歴史の見方のフィルター=「徳川史観」を取り除き、実像を提示しようとする試み。『太平記』史観を相対化し実像を提示しようというのが全体を貫くテーマの『南朝研究の最前線』と同じく、気軽に本格的に楽しめる。
2017-03-11 11:21:583/19は諏訪で「春ざんまい」! 歴史にスポーツにと盛りだくさん✨ ●歴史家・平山優先生の講演会「諏訪一族と武田氏」 ●サーフィンアジアチャンピオン北沢麗奈さんの指導者によるサーフィン講座 ●PLUMレーシング参戦発表会 ●歴史系アーティストさくらゆきライブ 是非お越しください😊 pic.twitter.com/bGE7rFeJt9
2017-03-11 15:16:52書店探しても見つからなかったからネットで頼んでた「武田氏滅亡」が昨日届いたんだが、今日が滅亡した日か… pic.twitter.com/UQ9mU41bDK
2017-03-11 21:30:28山梨県甲州市の四郎作古戦場・鳥居畑古戦場・土屋惣蔵千人切り。追い詰められた勝頼一行を守り、わずかな家臣団が織田の追撃を迎え撃った武田氏最後の戦場である。勝頼らは彼らが時間を稼ぐ間に自害したという。天正10年3月11日、武田氏滅亡。 pic.twitter.com/oyFnHGnCz1
2017-03-11 22:23:54天正10年(1582)3月11日は武田氏滅亡の日。学術書でみっちり勉強するも良いし、小説を堪能するのもまた良い。歴史の中で運命に翻弄された武田勝頼とその一族に合掌。 pic.twitter.com/FKTZr0ljvz
2017-03-11 22:31:43京極夏彦に挑戦するかのような本の厚みで話題の『武田氏滅亡』読み始めたが、僅かながらも遠州錯乱にも触れてるのね。武田氏滅亡というよりも、今川家滅亡から本能寺の変あたりまでの中部地方戦国史の最新研究がまとめられてるっぽくてなかなか良い。
2017-03-12 01:09:03天正10年(1582年)4月25日、穴山梅雪が生母南松院殿の17回忌仏事を執行しました。この際、この男は武田氏滅亡は父が讒人(※長坂釣閑斎・跡部勝資らを指す)を登用し、親族の諫めを無視した結果であると、自らの不義不忠・背徳背信行為の正統性を強調しました。
2017-03-12 04:49:33武田氏滅亡、実は神保氏滅亡の原因でもある。『信長公記』によると、越中では信長が勝頼に返り討ちされたという虚報が流れ、これを真に受けた小島職鎮、唐人親広が一揆蜂起して神保長住を富山城に押し籠めた。この事件により長住は失脚して越中を追われ、以後神保氏宗家の行方は途絶えるのである。
2017-03-12 08:09:16@fujikko ところでこの虚報、一定の信憑性があってこそ越中国衆らは信じたのであり、現在の視点からは圧倒的優勢と思われがちな織田軍も、当時の人からは武田軍が返り討ちすることも有り得ると思われていたのだろうと思わせるエピソードである。
2017-03-12 08:17:54@fujikko 信長父子討たれるの報は、3ヶ月も経たない内に再び越中の織田軍の元に届いた。柴田勝家らは思っただろう。「またか。」どうせまた偽りではないのかと。勝家らの動きが鈍かったとすれば、この誤報が影響していたかもしれない。
2017-03-12 11:35:42>前RT。平山優『武田氏滅亡』では巻頭から巻末までちょくちょく出てくる今川氏真。「昔武田は氏真を怯懦と笑ったが、今信長から逃げ出す勝頼は氏真以上に見苦しい」と武田勝頼を哄笑する駿河侍の逸話といい、この本の氏真は「氏真と同じような軌跡で転落してゆく勝頼」という象徴的な存在なのかも
2017-03-12 20:57:36昨3月11日、景徳院にて武田勝頼一族と殉死者たちの墓前で、拙著『武田氏滅亡』刊行の報告と献本回向法要をさせていただきました。ご住職による読経と献花、塔婆献納を行いました。なんだかほっとしました。田野にしては、この時期珍しく暖かく、風も収まり、静謐の中で無事終了いたしました。 pic.twitter.com/nyNDk0Knmh
2017-03-12 22:00:32