津田信『幻想の英雄 小野田少尉との三ヵ月』 Kindle版の感想
小野田寛郎の自伝のゴーストライターした人の本「幻想の英雄」全文がネットで読める。junpay.sakura.ne.jp/index.php?opti…
2014-01-18 00:53:49小野田少尉との三ヵ月「幻想の英雄」 津田信 amazon.co.jp/dp/B00MFETTC4/… 無料公開は終わってたけどKindle Unlimitedの対象だった
2017-03-30 22:22:28「俺はルバンで捜索隊が置いていった新聞をみんな 読んだ が、A紙の記事は左がかっている、いくら高い金を出しても、そんな新聞に俺の手記をまかせるわけにはいかねえ――。」 戦闘という建前の山賊行為に勤しみつつ、捜索ビラに載ったA紙の記事の偏向を指摘していたルバング島の小野田少尉。
2017-03-30 23:16:42両親が自分たちにやったことに不満があるらしい小野田兄弟。 「儂の出征中、親父たちは留守宅手当ほしさに、いやがる儂の家内を手許に呼びよせたばかりか、女中がわりにこき使いやがった」 こういう描写を見ると、ついすずさんを連想してしまう。実際こき使われたのだろうが時代もあったんだろうと。
2017-03-30 23:27:29「「もし戦犯になっていたら、儂は間違いなく絞首刑になっていたね」 彼は半ば得意そうに食事の席でそう語った。」能弁だがかなり話が盛られている小野田少尉の兄・格郎氏の話。早口すぎて話が聞き取れない寛郎少尉の通訳として、ゴーストライティングに欠かせない存在だが、聞きたい話が遠い。
2017-03-30 23:37:26「故国に帰った私を待っていたものは、公職追放という政府の冷たい仕打ちと、「国を滅ぼし人民を苦しめた凶徒の一味め!」とにらみつける人々の白い乾いた目であった。」復員軍人の悲哀を自らも体験した格郎氏。偏向教科書に憂国の情に悲憤し教師を殴りつけて警察沙汰になった末、「天皇様にあの戦争→
2017-03-30 23:46:55→の責任をとっていただくことが、日本を混迷から救う第一の道であると、感情を殺して、倫理的に考えざるを得なかった」彼は天皇陛下の自発的退位を進言する者を求める一文を公開したところ、旧軍人の集まりで赤の手先、忘恩の徒などと詰られ嫌気が差し、戦後第一回のブラジル移民に。 @anqmb
2017-03-30 23:52:11著者の津田氏はまず小野田少尉を取材して『わがルバン島の三十年戦争』を代筆し、その本で「真実を歪めて書いた」罪の意識からこの本を書いているのだから少尉に対して嫌な思い出もあるのだろうが、正直なところ底意地の悪い書きぶりに思えてきた。この点についてもまあ、時代もあるのだろうが。
2017-03-31 00:06:45「もし小野田寛郎が人間や日本の風景に人並みの関心を持っていたなら、望郷と人恋しさに、ジャングル生活に堪えかねて、とっくに出てきていただろう。彼は長年のジャングル生活で情緒が枯渇したのではなく、元々、情緒の乏しい人間だったから、私たちが考えるほどジャングル生活が→ @anqmb
2017-03-31 00:12:55→苦痛ではなかったのではあるまいか。」こう書いた辺りから、だんだん得体の知れない人物のような描写になってゆく。少尉と同世代の著者にも軍歴と中国での捕虜経験があり、そのとき著者の感じていた望郷の念とはかけ離れた少尉の心のあり方について行けなくなると同時に、→ @anqmb
2017-03-31 00:18:30大作家・大岡昇平が『ルバング戦記』で(津田氏が代筆した)小野田手記を激賞した。「ひそかに敬愛する作家に、「幻想の体系として、稀有の真実の記録」と保証してもらったことは、私の文章に説得力があったんだと心をくすぐられると同時に、いや、それでは困るんだという痛し痒しになった」と津田氏。
2017-03-31 00:51:02あとがきの印象的なくだり。 「彼が帰国した日、羽田に出迎えた彼の母親は、息子に向かってほとんど叫ぶように言った。「よう生きて帰った、あなたは偉い」 それから一年後、母親はブラジルヘ去る息子にこう言った。「もうこの世であなたに会うこともないでしょう。今度はあの世で会いましょう」」
2017-03-31 02:29:45「彼は小塚金七から競馬の手ほどきを受け、日本短波放送の競馬中継を聞いていた。」戦闘継続中ということになっていた二人の残留日本兵がジャングルに潜んで短波ラジオで競馬中継を聴いていたと。賭けて勝ったほうが翌日のリーダーと。
2017-03-31 01:27:45全てではないけど、小野田少尉とその兄の人物についてのおいしい分析は、ほぼ引用された野坂昭如氏の評が書いてしまっていて、この本自体も完全にその線に乗っているにもかかわらず、さらに野坂氏の勘ぐりすぎと思える部分は裏を取った上で修正を加えていくスタイル。加筆しすぎる小野田氏との対比。
2017-03-31 02:39:13津田氏の書きぶりに底意地の悪さを感じたのは最後まで読んでみると当然で、最後に落とすための前フリをずっとやってたわけ。他人を攻撃するにしてもそういう手法を選択することで、小野田少尉のルバングでの戦友や親や長兄や家父長制度における家に対する怨念のストレートな表出に差をつける。
2017-03-31 02:45:31そういう家への怨念と、有名人として凱旋したことでの見返しの構図を明示した上で、そこまで言及を避けてきた少尉の持つ天皇観の話に持っていく。文章にはなっていないが、これは家父長制度の頂点としての天皇への視野ということでもあろう。親に反発する戦中派は、やはり天皇に対しても含む所あり。
2017-03-31 02:48:55それも次兄とともにブラジルで成功して立場を得てしまえば影を潜めるのか、1982年に津田氏が没した後も長生きして、日本会議の代表委員にもなっちゃうと。いや面白いですね。
2017-03-31 02:59:53