佐藤正美Tweet_201703

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佐藤正美 @satou_masami

小林秀雄氏の「様々なる意匠」は、雑誌「改造」の懸賞評論で第二席に入選した作品です(ちなみに、第一等に選ばれた作品は、宮本顕治氏の「敗北の文学」でした)。「様々なる意匠」は、彼が文芸評論家として立つ出発点になった作品です。彼の作品群のなかで、「様々なる意匠」は私の大好きな作品です。

2017-03-16 20:34:46
佐藤正美 @satou_masami

小林秀雄氏の独特な文体に眩惑されたら、彼の批評のやりかたが いわゆる「印象批評」であるような感を与えますが(私は、若い頃(20歳代の頃)、そう感じましたが)、彼の著作を多数読めば、実際は逆であって、西洋近代精神の「理知」を基底にした「批評行為の明晰な意識化」を貫いています。

2017-03-16 20:39:54
佐藤正美 @satou_masami

小林秀雄氏の作品群は、前期と後期では、批評対象が違ってくるのですが(後期では「日本の古典」を対象にして、荻生徂徠・本居宣長からの影響が強く出てくるのですが)、前期で見られた「作者の宿命の主調低音を聴く」という精神は、後期でも、荻生徂徠流の「格物致知」という観点で貫かれています。

2017-03-16 20:45:28
佐藤正美 @satou_masami

ひとつ注意をしておけば、荻生徂徠の云う「格物致知」とは、朱子学で謂う「物の道を極めて、知識を高める」ことではなくて――徂徠は、それを「格物窮理」というふうに非難していて――、徂徠の意味では「物そのものが来る」ということ。

2017-03-16 20:49:03
佐藤正美 @satou_masami

小林秀雄氏の批評の しかた において、対象の「主調低音を聴く」という態度は、前期では、たぶん、ヴァレリー氏(とアラン氏)の影響だったのでしょうが、小林氏の批評行為のなかで常に前提に置かれています。

2017-03-16 20:52:09
佐藤正美 @satou_masami

対象の「主調低音を聴く」ためには、「意匠」を凝らした作為を剥ぎ取って、そのもの の「生の」状態 [ 事実 ] を鷲掴みにするしかないのであって、その やりかた を小林氏は「搦手(からめて)」と謂っているのでしょうね。私は、彼の批評行為の やりかた に対して とても共感を覚えます。

2017-03-16 20:56:26
佐藤正美 @satou_masami

「様々なる意匠」は、以下の文で締め括られています――「私は、何物かを求めようとしてこれらの意匠を軽蔑しようとしたので決してない。ただ一つの意匠をあまり信用し過ぎないために、むしろあらゆる意匠を信用しようと努めたに過ぎない」。一つの意匠に収めきれないほど人生は豊富であるということ。

2017-03-16 20:59:49
佐藤正美 @satou_masami

事実を いくつかのキーワードで割り切ってしまうこと(あるいは、人生をわかったつもりになること、あるいは、人生を見通していると装うこと)を小林秀雄氏は常に嫌悪しています。私も同感です。

2017-03-16 21:01:47
佐藤正美 @satou_masami

「人は恋文の修辞学を検討する事によって己れの恋愛の実現を期するかも知れない。しかし斯くして実現した恋愛を恋文研究の成果と信ずるならば彼は馬鹿である。あるいは、彼は何か別の事を実現してしまったに相違ない」(小林秀雄、「様々なる意匠」)。

2017-03-16 21:04:40
佐藤正美 @satou_masami

「人は如何にして批評というものと自意識というものとを区別し得よう。彼が批評するとは自覚する事である事を明瞭に悟った点に存する。批評の対象が己れであると他人であるとは一つの事であった二つの事ではない。批評とは竟(つい)に己れの夢を懐疑的に語る事ではないのか!」(「様々なる意匠」)。

2017-03-16 21:08:20
佐藤正美 @satou_masami

「古来如何なる芸術家が普遍性などという怪物を狙ったか? 彼らは例外なく個体を狙ったのである。あらゆる世にあらゆる場所に通ずる真実を語ろうと希ったのではない。ただ個々の真実を出来るだけ誠実に出来るだけ完全に語ろうと希っただけである。(略)文芸批評とても同じ事だ」(「様々なる意匠」)

2017-03-16 21:12:35
佐藤正美 @satou_masami

「最上の批評は常に最も個性的である。そして独断的という概念と個性的という概念とは異なるのである」(「様々なる意匠」)。

2017-03-16 21:14:19
佐藤正美 @satou_masami

芸術作品は(たぶん、数学や哲学も)「この人を観よ」としか謂いようのない対象でしょうね。作品は、芸術家の「独白(あるいは、自覚)」でしょうね。そして、作品 [ あるいは、(作品とするための)対象 ] は、「己れであると他人であるとは一つの事であって二つの事ではない」のかもしれない。

2017-03-16 21:18:23
佐藤正美 @satou_masami

複数の芸術家が たとえ同じ対象を描いたとしても、それぞれの芸術家が構成する像 [ 作品 ] は違っているし、しかも、ひとりの芸術家の作品群において、べつべつの作品のあいだには、明らかに、同じような「解釈」(タッチ [ 筆致 ] )が感じられる。

2017-03-16 21:20:59
佐藤正美 @satou_masami

そう感じたときに、われわれは「罠」に陥るようです。すなわち、しかじかの芸術家のかくかくの「筆致」を その芸術家の特徴点として「客観的に総括して」、作品そのものを凝視しない罠に陥るようです。

2017-03-16 21:23:20
佐藤正美 @satou_masami

喩えれば、料理において、献立と調理法を知ったからと云って、実際の味を満喫できる訳ではないという簡単な事実を忘れてしまう。小林秀雄氏は、この罠を見事な一言で撃ち抜いています――「美しい花がある。『花』の美しさという様なものはない」と。

2017-03-16 21:26:11
佐藤正美 @satou_masami

そして、「この事実の発見には何らの洞見も必要としない。人々は ただ生意気な顔をして作品を読まなければいいのである」(小林秀雄)と。

2017-03-16 21:28:42