池澤夏樹:キトラ・ボックスのメモ

新疆ウイグル自治区でのウイグル人民族運動がモチーフの一つとして使われているという小説が池澤夏樹氏によって発表されたということなのでちょっとメモしました。
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リンク 紀伊國屋書店ウェブストア キトラ・ボックス 奈良天川村‐トルファン‐瀬戸内海大三島。それぞれの土地で見つかった禽獣葡萄鏡が同じ鋳型で造られたと推理した藤波三次郎は、国立民俗学博物館研究員の可敦に協力を求める。新疆ウイグル自治区から赴任した彼女は、天川村の神社の銅剣に象嵌された北斗が、キトラ古墳天文図と同じであると見抜いた。なぜウイグルと西日本に同じ鏡があるのか。剣はキトラ古墳からなんらかの形で持ち出されたものなのか。謎を追って、大三島の大山祇神社を訪れた二人は、何者かの襲撃を受ける。窮地を救った三次郎だったが、可敦は警察に電話をしないでくれと懇願す
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岸俊樹 @kokkok2009

池澤夏樹の「キトラ・ボックス」とやらを読んだわけでなく、単にページをめくってながめてみただけだが、ウイグルがネタに使われているだけ。この主人公みたいな可敦という名の自称ウイグル人、ホタンで育っていながらイスラム・アイデンティティほぼゼロ!そのうえチベット人とのハーフだと(安易な)

2017-03-31 12:36:31
岸俊樹 @kokkok2009

大体が、「可敦」という名前の由来が古代ウイグル語での皇帝の娘だとそれは言われているけど、現代では裕固族に伝えられている名詞で現代ウイグル語とはかなり離れていると言われている。元アトラスシルクの織手でもあって、現在は日本に来て大阪、千里の民博の研究者だと。なんだか。

2017-03-31 12:39:24
遊牧民@候選 @Historian_nomad

@kokkok2009 そもそもカトン(可敦)は柔然・鮮卑のころから単于に代わって使われ始めた可汗号に対応する皇后位を称する言葉でモンゴル語その他に普通に残ってるんですが……(皇帝の「娘」の意味は管見では存じ上げません

2017-04-03 00:20:09
岸俊樹 @kokkok2009

@Historian_nomad ご指摘ありがとうございます。小説ではそんな風に主人公に言わせていました。この主人公の「縁者」に彰信なる名前が出てくるんですが、これも遊牧ウイグル帝国関連みたいですね。

2017-04-03 00:36:49
岸俊樹 @kokkok2009

池澤夏樹のこの小説が面白いかとか、筋がどうかという問題は置いといて、現代ウイグル(维吾尔)=回紇(回鹘)の直系という前提でものを書くのは如何なものか。問題は中国公式歴史でも民族派ウイグル人もそういう風な考え方が強すぎるということもあるが。実際は疑問視されてもいる。

2017-03-31 12:42:00
岸俊樹 @kokkok2009

池澤夏樹があまり現代ウイグル人のことを研究しないで、観光ガイドぐらいの資料しか参照せずに、この小説を書いたことは間違いない。昔の人は、、などとあまり言いたくないが「敦煌」を書いたとき、井上靖は登場人物のツルビア一人描写する為、安部健夫の「西ウィグル國史の研究」を読破したという。

2017-03-31 12:44:08
岸俊樹 @kokkok2009

主人公が王洛宾の在那遥远的地方(草原情歌)を懐かしそうに歌うとか。まぁ余りあり得そうにないような描写もあった。小説の結末まで読むとあり得る話なのかもしれないが、ネタバレになるので言いません。まぁ池澤夏樹が好きな人は読めばいいんではないでしょうか。

2017-03-31 12:48:30
岸俊樹 @kokkok2009

誤:アトラスシルクの織手→正:母親が織手で、娘は女手一つで育てられた。

2017-04-03 00:10:41
岸俊樹 @kokkok2009

あらためてチェックしてみると池澤夏樹の「キトラ・ボックス」とやらが、どうも可笑しな部分がある小説であるということが判明した。この小説のあらすじ紹介ページ等で書かれているように唐代の禽獣葡萄鏡と呼ばれる古代の鏡が実際に新疆ウイグル自治区で発見されたことはあるのか、検索すると、

2017-04-03 03:30:35
岸俊樹 @kokkok2009

1959年に新疆吉木萨尔县唐北庭故城出土で有禽兽葡萄纹镜が出土したという情報がある。吉木萨尔县唐北庭故城はジムサル県北庭古城、たぶんウルムチに近い、ビシュバリク遺跡のことだろう。トルファンで発見されたかどうかはわからなかった。 360doc.com/content/10/050…

2017-04-03 03:32:25
岸俊樹 @kokkok2009

それは良いとして、大体が、可敦がウルムチ近郊やトルファンで鏡が発見された、論文書いたとか話しているが、具体的にアスターナとかビシュバリクとか、どのへんなのかはっきりとは言わない、曖昧な言い方にとどまっている。日本の鏡の出所などは、ハッキリと描写するのに?

2017-04-03 03:34:36
岸俊樹 @kokkok2009

小説ではキトラ古墳の被葬者を阿部御主人(あべのみうし)という壬申の乱で活躍したという当時の高官と見立てていて、調査で、その御主人が元遣唐使で(これは池澤の創作話のよう、阿倍仲麻呂と名前が似ているからか)長安で友情を築いた回紇人の同学ヤグラカルを連れて日本に帰った、と判明する。

2017-04-03 03:38:27
岸俊樹 @kokkok2009

ここでそのヤグラカルは西域の人間として描写されているが、現実の御主人の生きた時代、(635年から703年)大化の改新前ぐらいから壬申の乱後は当時の大遊牧帝国の回紇は隆盛を極めて、のちの安史の乱(755年)で唐に協力して長安を奪還も。だが「ウルムチ」トルファン付近はまだ唐の直轄領。

2017-04-03 03:44:49
岸俊樹 @kokkok2009

ウルムチ近郊やトルファンを都とした古代回紇人の国、イディクト・ハーン国成立は「キルギス」に敗北した830年以降の9世紀の話。池澤の様に7世紀の「唐の胡人」として回紇人ヤグラカルを描写するのは無理があるだろうと思う。

2017-04-03 03:46:12