「国語」の起源を英語に探る

↓の続きです。 「知っていない」ではどうしていけないのエレン先生? - Togetterまとめ https://togetter.com/li/1097745
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uroak_miku @Uroak_Miku

1)「~た」や「~ている」が書きことばに取り立てられたのは明治になってからです。例の話ですよ、英語を手際よく訳出するためには旧来の書きことばでは追いつかなくて、それで江戸の話しことばから「~である」や「~た」や「~てある」などを取り立てていったのです。

2017-04-06 04:11:27
uroak_miku @Uroak_Miku

2)とりわけ「~ている」は英語の血が色濃い。現在完了形を訳出するとき便利だから。時制の概念が日本のことばには薄くて、そこに英語の時制をローカライズするには便利でした。

2017-04-06 04:14:32
uroak_miku @Uroak_Miku

3)「~ている」に限らず、日本の(というか江戸の)話しことばは英語とのすり合わせを経て用法が大きく変化しました。受身形がそうですね。それまでは「雨に降られた」のように「えらい目にあっちゃったよ」ニュアンスで使うのがほとんどだったのが、英語の受動態の血が入ったことで

2017-04-06 04:17:49
uroak_miku @Uroak_Miku

4)「新型車がもうじき発表される」は英語の血が入ったことで生まれた用法です。明治に入るまではなかったのです。さかのぼると枕草子にそれっぽい用法がなくはないのだけど、例外ですね。

2017-04-06 04:20:19
uroak_miku @Uroak_Miku

5)明治になって英語辞典をお手本に国語辞典が編纂されました。その際に英文法に倣って国文法が開発されました。単語の分類には文法が必要だったからです。

2017-04-06 04:22:35
uroak_miku @Uroak_Miku

6)思うのですが国語学というのは起源探しのふりをした規範作りという気がします。

2017-04-06 04:24:09
uroak_miku @Uroak_Miku

7)昭和になって大日本帝国が満州をはじめアジア各地に手を伸ばしていくのと並走するかのように、国語学の世界では敬語の歴史研究が激増。起源探しのつもりだったのでしょうが実態は規範作りでした。言語の天皇制。

2017-04-06 04:25:57
uroak_miku @Uroak_Miku

8)英語の血が入ったことで明治に「国語」が成立した。しかしその事実は隠ぺいされた。

2017-04-06 04:27:49
uroak_miku @Uroak_Miku

9)戦後に金田一春彦が「~ている」の用法を鮮やかに分析してみせました。「国語」ではなく「日本語」の研究としての画期でした。しかし当時の彼にはどのくらい自覚があったのでしょう。「~ている」が英語の血の混入によって用法が確定したことに。

2017-04-06 04:29:59
uroak_miku @Uroak_Miku

10)英語の血が入って「国語」になった事実は一度忘れられ、戦後に再発見された…

2017-04-06 04:31:42
uroak_miku @Uroak_Miku

11)再発見というのはおかしいかな。そもそも春彦先生にそこまでの洞察があったのかどうか興味があります。

2017-04-06 04:32:35
uroak_miku @Uroak_Miku

12)前にも論じましたが、日本のまんが研究は長い間、外国のまんがの血がどう日本に入ってきたのかを黙殺してきました。

2017-04-06 04:33:47
uroak_miku @Uroak_Miku

13)すぐ鳥獣戯画をもちだしてルーツに仕立て上げるわけです。

2017-04-06 04:34:29
uroak_miku @Uroak_Miku

14)モンキーパンチ氏のインタビューを先日読んで印象に残った話があります。例のルパンのまんがをアメリカで見せたら「オリエンタルじゃないなあ」と評されて、それで五右衛門を急きょ登場させたのだと。

2017-04-06 04:36:15
uroak_miku @Uroak_Miku

15)コンベンションに日本からのゲストとして出席していて、そのあとどこかの飲み屋の親父か誰かに自己紹介もかねてルパンのまんがを描いて見せたら「オリエンタルじゃないなあ」といわれたとかなんとか。

2017-04-06 04:37:40
uroak_miku @Uroak_Miku

16)彼の絵柄は非常にバタ臭いですよね。「影響」というレベルではないほどに。永井豪の『デビルマン』もアメリカンスパコミを研究した成果なのに、スパコミのジャパニーズ落とし種として論じたものを見かけない。

2017-04-06 04:39:33
uroak_miku @Uroak_Miku

17)アニメのタツノコプロの絵柄はバタ臭いですよね昔から。初代社長の吉田竜夫は京都出身で、敗戦後の京都にはアメコミがあふれていて、それを模写して絵柄を確立させたのです。もとは漫画家です彼。

2017-04-06 04:43:50
uroak_miku @Uroak_Miku

18)アメリカの兵士たちが日本で放出したのです。戦時中、慰安用にまんがが配布されていました。戦勝後もういらないからと日本で放出した。それが出回った。手塚治虫もそういうのをたくさん手に入れていた。黒人GIとふとしたことで仲良くなってたくさん貰えたと回想していたし。

2017-04-06 04:45:52
uroak_miku @Uroak_Miku

19)彼のまんがはディズニーアニメの模倣と長く言われてきたし本人もそう証言していましたが、実はディズニー「コミックス」の模倣でした。

2017-04-06 04:47:00
uroak_miku @Uroak_Miku

20)『新宝島』と類似したディズニーコミックスがあるそうです。いくつかの構図がよく似ています。若き手塚がディズニーコミックスを手に入れて、まねたのでしょう。

2017-04-06 04:48:17
uroak_miku @Uroak_Miku

21)明治になって西洋の小説を日本のことばに翻案した読み物が大量に流通しました。

2017-04-06 04:49:52
uroak_miku @Uroak_Miku

22)『ロビンソン・クルーソー』がそうですね。翻訳というよりは翻案。

2017-04-06 04:50:24
uroak_miku @Uroak_Miku

23)西洋のまんがを日本の漫画家がまねたのに通じる。

2017-04-06 04:51:01
uroak_miku @Uroak_Miku

24)しかしそうした歴史的事実はやがてあいまいにされ、鳥獣戯画と新宝島にルーツが還元されてしまう。

2017-04-06 04:52:10
uroak_miku @Uroak_Miku

25)「国語」もそうです。明治期の翻案文化が「国語」を生んだことはあいまいにされる。事実、学校の国語の教科書を開けても年表にはろくに言及がないし。

2017-04-06 04:53:19