『ゲンロン0』第1章メモ

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池内 @barthesisim

東浩紀著『ゲンロン0』第1章の読書メモ。この章は、なぜ観光客による哲学が必要なのか、あるいは観光客の哲学を考えることで著者は何をしようとしているのか、について説明している。

2017-04-05 23:14:25
池内 @barthesisim

続き)ここ70年ほどのリベラル知識人は、他者や共同体の外部を尊重するべきだ、ということを様々な角度から主張してきた。しかし2017年の現在、人々は他者と付き合うこと自体にうんざりしていて、「他者こそ大事だというリベラルの主張は、もはやだれにも届かない。」のである。

2017-04-05 23:21:17
池内 @barthesisim

続き)だから東は、手垢に塗れた「他者」という言葉ではなく、「観光客」という言葉を使って論を展開したいのだと述べている。しかしそれはある種の方便で、東が考えている(考えたい)ことは「結局のところ他者の問題」である。

2017-04-05 23:25:00
池内 @barthesisim

続き)「他者を大事にしろなんてうんざりだと叫び続けている人々に、でもあなたたちも観光は好きでしょうと問いかけ、そしてその問いかけを入り口にして、「他者を大事にしろ」というリベラルの命法のなかに、いわば裏口からふたたび引きずり込みたいと考えている」。

2017-04-05 23:29:00
池内 @barthesisim

続き)そのような狙いで、東は「観光客から始まる(他者の)哲学を構想する」のだが、ただちに壁にぶつかるという。その壁の正体とは、「リゾートやテーマパークについて語るのはいいが、それは(中略)思想にならないんじゃないか」という直観である

2017-04-05 23:35:32
池内 @barthesisim

続き)観光について考えるために、まずは観光とは何かを定義する必要がある。「観光 tourism」を語源遡って調べてみると、観光は近代に生まれた新しい言葉であることがわかる。しかし一方で、旅は近代以前から存在していた。では、観光と旅の違いとはなんだろうか。

2017-04-05 23:40:38
池内 @barthesisim

続き)東は、アーリとラースンの議論から、それは産業革命と不可分に結びついた大衆性である、と述べている。要するに、「観光が観光になるためには、(中略)大衆社会と消費社会が生まれなければならなかった」。ここから、「大衆観光こそが、観光の本来のすがた」だと指摘している。

2017-04-05 23:45:00
池内 @barthesisim

このような認識は、19世紀の実業家トマス・クックを参照しても確認できる。彼は当初から、中産階級や労働者階級を対象にした旅行を企画していた。そして、その事業は「啓蒙や社会改良への情熱と不可分に結びついていた」。つまりクックは、「観光を通じて大衆を啓蒙し社会をよくすること」を信じた。

2017-04-05 23:50:10
池内 @barthesisim

続き)クックの事業を経て、今では世界中のインバンド数が120億人近くまでに上っている。まさに、「二一世紀は観光の時代になるのかもしれない」。では、観光がますます世界を覆うことは文明にとってどんな意味があるだろうか。実はこのような問いに、これまでの学問はほとんど何も答えないか、否定

2017-04-05 23:57:54
池内 @barthesisim

続き)的にしか回答していない。端的に言えば、観光学は実学中心で、観光学の外部は「観光は本物に触れないからだめだ」と述べているだけで、誰も観光の本質について考えてこなかったのだ。だから東は、来たるべき観光の時代に備えて、観光の意味について哲学的な考察が必要だと述べている。

2017-04-06 00:03:20
池内 @barthesisim

続き)それでは観光客の哲学を考えることで、そもそも東は何をしようとしているのか。それは、「グローバリズムについて新たな思考の枠組みを作ること」「人間や社会について、必要性(必然性)からではなく不必要性(偶然性)から考える枠組みを提示すること」「「まじめ」と「ふまじめ」の境界を超え

2017-04-06 00:07:17
池内 @barthesisim

続き)たところに、新たな知的言説を立ち上げること」の三つの狙いがある。まず一つ目。観光は国境の横断と切り離せない以上、グローバリズムとも切り離せない。東は端的に、「グローバリズムすなわち悪とは考えない。むしろ、グローバリズムを悪としてしか捉えられなかったこと、それこそが今までの

2017-04-06 00:13:19
池内 @barthesisim

続き)人文思相の限界だと考える」と述べている。痛快だ。事実として、グローバリズムは、国家間の格差を小さくし人類の平均寿命を延ばしている。一方で世界を均質化してもいる。東は(おそらく)後者に抗う術として、観光客をめぐる思考をその足掛かりにしようとしている。

2017-04-06 00:21:11
池内 @barthesisim

二つ目。不必要性(偶然性)から考える枠組みを提示するときに、観光客の存在はうってつけだ。なぜなら、観光はそもそも不必要なものだからだ。そしてこの偶然性にこそ、観光客の限界と可能性があると東は述べている。第1章の段階ではその詳細は不明だが、これらの関係が相似的であることはわかる。

2017-04-06 00:26:52
池内 @barthesisim

三つ目。「人文系の学者は、(中略)「まじめ」と「ふまじめ」のその二項対立こそを超えねばならない」と東は主張する。なぜか。例えばテロのことを考えれば、テロリストたちは「まじめ」ではなく、したがって彼らの動機を「まじめ」に考えても、空転してしまうからだ。

2017-04-06 00:30:55
池内 @barthesisim

続き)「まじめ」とは、公的で政治的な、という意味であるが、それを念頭に入れれば、「政治的行動の背景には政治的意思なり決断があるという前提を、根本から疑う必要がある」のだ。要するにそれは、「観光客的なるものと政治の関係を、根本から再考する」ことである。

2017-04-06 00:38:52
池内 @barthesisim

続き)さらに、文学は「まじめ」と「ふまじめ」の境界について思考することができるので、「文学的思考の政治思想への再導入の必要性を訴える本でもあ」り、「観光客とは、政治と文学のどちらにもおらず、またどちらにもいる存在の名称である」と述べている。具体的には第1章ではわからないが。

2017-04-06 00:43:27
池内 @barthesisim

続き)観光客の哲学で試みられている射程は、相当深いなと驚いた。個人的には、3.11以降、リベラル的な「まじめ」さが惨敗する一方で、保守的な「まじめ」さが跋扈しているように思えたが、それらは要するに鬱陶しさに対する罵倒として共通で、リベラルは今までとは別の道を探らなければいけない

2017-04-06 00:50:59
池内 @barthesisim

続き)のであり、その一つの可能性が観光客の哲学なのだなと。特に、「ふまじめ」と偶然性から始まる哲学っていいよねと思った。「まじめ」に精一杯頑張るって、なんか部活っぽいというか、要するにバカっぽいので個人的には嫌いだからかな。笑 (終わり)

2017-04-06 00:56:54