貫井徳郎・裏話

慟哭の口コミヒットのお話など
0
@tokuro_nukui

でもなぜかその都度、直木賞候補になったり実際に賞をいただいたりといいことがあって、なんとか書き続けることができている。きっと運命が、もうちょっと書いてみろと言っているのでしょう。なのでしばらくがんばりますので、今後とも応援をよろしくお願いします。あの頃の回想は、ここでおしまい。

2011-02-18 22:10:06
@tokuro_nukui

『慟哭』のヒットはぼくにとって大きい出来事だったが、十年前の作品が突然売れたわけで、本人としては複雑だった。実力で売れたわけではなく、単に運がよかっただけでしかないからだ。だからその後も何度か、モチベーションを失うことがあった。

2011-02-18 22:09:43
@tokuro_nukui

あれから時間が経ち、今のぼくはもう書店員に好かれている小説家というイメージはないだろう。以前にツイッターで、「貫井徳郎は売れっ子なのだろうが、ベスト10に入るでもなく、本屋大賞の候補にもならず、どこで人気があるのかよくわからない」と書かれていた。まったくそのとおり(笑)。

2011-02-18 22:09:26
@tokuro_nukui

『慟哭』のヒットは、業界の常識も変えた。それまでは新刊しかベストセラーにならなかったのに、既刊本も売り方次第で売れるとわかり、各社が在庫を大事にするようになったのだ。その後も既刊本を書店がプッシュしてベストセラーにする現象が続いたのは、皆さんもご存じのとおり。

2011-02-18 22:09:10
@tokuro_nukui

(昨日の続き)そういう次第で、小説家としての将来を諦めたとたんに本が売れ始め、今に至っている。あのときのヒットがなければモチベーションは間違いなく下がっていたので、書店員さんに救ってもらったと感謝している。

2011-02-18 22:08:55
@tokuro_nukui

これ以上だらだら書くと単なる自慢話になるので、明日以降は駆け足で行きます。

2011-02-17 22:42:28
@tokuro_nukui

その後の書店発ベストセラーとぼくのケースの大きな違いはふたつある。まず、一冊だけでなく他の本がすべて売れたこと。『慟哭』が目立つので知られていないが、実は他の本も最近の書店発ベストセラー並みに売れた。もうひとつはブームが長く続いたことだった。狂騒は二年以上に亘って続いた。(続く)

2011-02-17 22:42:21
@tokuro_nukui

読者からメールをいただくことも増え、日本中のあちこちで貫井徳郎コーナーが作られていることを知った。個人営業の小さい街の本屋さんにまで、ぼくのコーナーがあったのである。毎日二、三通は重版通知が来るという、狂騒状態だった。生活が激変した。

2011-02-17 22:42:01
@tokuro_nukui

(昨日の続き)得てして物事は、一度転がり始めるとどんどん加速するもので、ぼくの本の売れ方も例外ではなかった。『慟哭』だけではなく他の本も売れ始めたことで、貫井徳郎コーナーを作る書店さんがたくさん現れた。しかもついに首都圏だけでなく、地方にも飛び火した。

2011-02-17 22:41:45
@tokuro_nukui

3月頃になると、驚いたことに他の既刊文庫も動き始めた。当時は品切れ状態だった角川文庫の『天使の屍』まで、重版がかかって生き返った。運がよかったことに、『プリズム』『転生』『妖奇切断譜』と立て続けに文庫化された。ぼくの本が常に、書店で平積みで置かれる状態になったのである。(続く)

2011-02-16 22:04:34
@tokuro_nukui

あちこちの書店で、『慟哭』をプッシュして売ってくれているという話が耳に入ってきた。駅の中の小さな書店ですらそのように売られていると聞いて驚いた。前述したように、書店発ベストセラーの前例はひとつしかなかった頃である。何が起きているのか、よくわからなかった。

2011-02-16 22:04:14
@tokuro_nukui

(昨日の続き)2003年に入ると、『慟哭』の重版ペースが上がった。それまでは月に一度だったのが二度になり、一回の部数も3000部や5000部だったのが10000部になった。売れているのも東京や神奈川の特定の書店だけではなくなり、都心部の大型書店でも売れ始めた。

2011-02-16 22:03:52
@tokuro_nukui

2002年はそんなふうに、大きい挫折感と変化の予兆をもたらして終わった。でもこの時点では、ぼくも東京創元社の人も書店員さんも、2003年に何が起きるか誰ひとり予想できずにいた。(続く)

2011-02-15 22:29:40
@tokuro_nukui

だから、行く先々で大変喜んでもらえた。あのときの書店さん巡りが、一番楽しかった。そしてその頃から、『慟哭』の売り上げも加速し始めた。毎月重版するようになり、これが本が売れるということなのかと初めて実感した。しみじみ嬉しかった。

2011-02-15 22:29:22
@tokuro_nukui

(昨日の続き)当時は書店さんが特定の本だけをプッシュして売るのは珍しかったので、ぼくも見てみたかった。そこで、全部の店に挨拶をして回ることにした。今でこそ小説家の書店巡りはよくあるようだが、少なくとも書店発ベストセラーが出るようになって以後では、ぼくが初めてだったはず。

2011-02-15 22:29:05
@tokuro_nukui

書店さんが『慟哭』をプッシュしてくれていると聞いて、ぼくや東京創元社の人たちは、創元文庫版『白い犬とワルツを』だね、と冗談を言っていた。この時点では、全員が冗談でそう言っていた。(続く)

2011-02-14 22:11:18
@tokuro_nukui

前のツイートで、書店発ベストセラーがない頃だと書いたが、正確には一冊だけあった。『白い犬とワルツを』という翻訳本が、ある書店さんのプッシュで全国的に売れたのだ。ただそれは感動系の本で、『慟哭』とはまるで違った。

2011-02-14 22:10:55
@tokuro_nukui

そうこうするうちに、久しぶりに重版が決まった。いつの間にか、『慟哭』をプッシュしてくれる書店の数も四つから五つほどになっていた。今のように書店員さんが連携して一冊の本を盛り上げるようなことは、まだ行われていない頃である。偶然、同時多発的に『慟哭』推しの書店が現れたのだった。

2011-02-14 22:10:39
@tokuro_nukui

(昨日の続き)『慟哭』を店頭でプッシュして売ってくれている書店があるという話は、友人からも聞いていた。東京創元社の報告とは、別の店である。たまたま偶然、ふたつの書店が同時にプッシュしてくれていたわけで、そんなこともあるのだなぁとありがたく思った。

2011-02-14 22:10:15
@tokuro_nukui

『殺人症候群』が黙殺されて失意の中にあるとき、東京創元社から連絡があった。単なる在庫状態になっていた『慟哭』を、店頭でプッシュして売ってくれている書店があるという。当時は今のように、書店発ベストセラーがなかった頃である。珍しいこともあるものだなぁと思っただけだった。(続く)

2011-02-13 22:04:01
@tokuro_nukui

ところが、三年間で一度重版しただけだった。ハードカバーから五年半経っての文庫化だったので、読者は評判になったことなど忘れていたのだろう。やはり文庫は三年で出さないと、出版社も作者も損だと思う。

2011-02-13 22:03:48
@tokuro_nukui

(昨日の続き)ちょっと話は逸れる。文庫の『慟哭』は、『殺人症候群』の三年前に出ていた。このときにも、落胆を味わっている。前述したように『慟哭』はハードカバーで出したときにはちょっと評判になったので、文庫になれば売れると思っていたのだ。

2011-02-13 22:03:35
@tokuro_nukui

もともとぼくは、そんなに簡単に諦める方ではない。そのぼくが諦めてしまったのだから、当時の挫折感は本当に深かったのだと振り返って思う。あのときの心境のままでいたらと想像するとぞっとするが、ぼくは追いつめられると発揮される強運の持ち主なのだった。というのも……(続く)。

2011-02-12 21:37:58
@tokuro_nukui

(昨日の続き)『殺人症候群』が業界内でも市場でも無視されて終わったことのショックは大きく、この時点で小説家としての自分の将来を諦めた。いまさら他の仕事はできないから続けるが、いつか売れるとか、形として評価されるといった希望はいっさい捨てた。どうせ何を書いても無駄だと思ったのだ。

2011-02-12 21:37:40
@tokuro_nukui

まだ今日もネガティブな話が続きますが、すぐに浮上しますので、もう少しお付き合いください。

2011-02-12 21:37:12