スタンリー・フィッシュ『このクラスにテクストはありますか』読書メモ集
- arishima_takeo
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解釈という賭けをしてみる以前に認められる型、つまり、それがあれば、ある解釈を他の解釈に優先させるために使用することができるのだが、そのような型は存在しない。けれども、それは形式がないということではなく、常に形式があるということが結論である。byフィッシュ『クラテス』
2017-04-09 12:44:49私の主張は、(通常の世界が常に存在するように)テクストは常に存在する、が、テクストの中にあるものは変化し、それゆえ、いかなるレベルにおいでも解釈から独立したり、解釈に先行することはない、というものである。byフィッシュ『クラテス』
2017-04-09 12:56:03常に定位されるテクストを主張している。しかし、それが定位されるのは、あらゆる場所、時代に対してではなく、特定の読みが力を持つ所において、それが継続するかぎりにおいてであるがゆえに、それは変化しうるテクストである。byフィッシュ『このクラスにテクストはありますか?』
2017-04-09 13:00:02直義的意味はいつでも存在する。いかなる状況においても、われわれがどうすることもできないという意味で、明白と思える意味が常に存在するからである。しかし、それはわれわれがすでにそれをやってしまったということを意味するだけである。byフィッシュ『クラテス』
2017-04-09 13:07:16「アイロニーや曖昧は言語の性質ではなく、言語に近づくときのわれわれの予想の函数である」(フィッシュ『クラテス』)。面白い。
2017-04-09 13:09:32(『このクラスにテクストはありますか』を略すんなら、クラテスじゃなくてクラテクなんじゃないかと今気づいた…クラスに引っ張られた)
2017-04-09 13:22:53ある文を「曖昧」だと名づけることによって、他の文から区別することができるのは、常にただ一つしか意味することのない文が存在する場合だけである。そして私の考えでは、そのような文は存在しない。byフィッシュ『クラテク』
2017-04-09 13:56:08直接的言語行為と間接的言語行為との間に区別はない。すべての言語行為は直接的に理解されるから直接的言語行為である。そして、直接的に理解される意味は言語行為が埋め込まれた状況の函数であるから、すべての言語行為は間接的言語行為である。byフィッシュ『クラテク』
2017-04-09 14:30:46「つまり、何かがすでに言われていて初めて、異なることが言えるのである。この依存性は影響の不安の裏返しであり、先行する解釈の欠陥を補うものとして解釈は現れるべしという黙契に反映されている」(フィッシュ『クラテク』)。「影響の不安」って確かブルームの言葉だったよね? メモ。
2017-04-11 12:03:58これまで述べてきたのは、何が行なわれようと、それは解釈が衣装を変えただけだということである。好むと好まざるとにかかわらず、解釈が街でただひとつのゲームなのだから。byフィッシュ『クラテク』
2017-04-11 12:31:24フィッシュ『このクラスにテクストはありますか』読了。抄訳でしかも第三巻なわけだが(第10~16章)、これって結局、第一巻第二巻は出なかったって理解でOKなのか? それにしても、なぜ第三巻を先に出してたのか…「都合により三分冊の形になった」(小林昌夫)そうだが…。
2017-04-11 13:25:11マイヤー・エイブラムズは、デリダ、ブルーム、フィッシュを「新しい読者」と呼んだそうだが、この翻訳の中途半端さが災いしたことで、フィッシュだけ日本での紹介が遅れてたりするんだろうか。
2017-04-11 13:27:41