吉岡洋( @hirunenotanuki)氏による表現領域特講1(京都精華大学大学院)の初回ガイダンスvia Twitter

「日本の美学」という言葉に投影される政治性や(鏡像的な)自己認識について。自己表象としての「日本イメージ」(例えば現在の事象でいうと、クールジャパンだとかおもてなしのような)を相対化し批判的に思考するための、基礎的な考え方が提示されています。
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ひるねのたぬき @hirunenotanuki

京都精華大学大学院のみなさん、おはようございます。これから「表現領域特講1」の講義を行います。いま岩手県の「盛岡」駅に着きました。雪が、かなり激しく降っています。#表現領域特講1

2017-04-13 10:50:24
ひるねのたぬき @hirunenotanuki

【表現領域特講1】以下、シラバスに記述した講義の概要から。 「昨年度に引き続き、日本の美学についてお話しします。 「美学」という言葉は、ヨーロッパで生まれた概念の日本語訳であって、近代以前の日本には「美学」という言葉も考え方もありません。」

2017-04-13 10:01:06
ひるねのたぬき @hirunenotanuki

この講義のテーマは「日本の美学」です。出発点は、「日本の美学」について語っている言説の多くには、しばしばある共通点が見いだせるということです。#表現領域特講1

2017-04-13 10:56:28
ひるねのたぬき @hirunenotanuki

それは、日本人の美意識、自然観、人生観、ものの感じ方というものは独特であって、外国人にはどんなに勉強しても分からない、というような先入観です。そういうものとして日本の美学を語る口調が、専門家にも普通の人にもみられます。#表現領域特講1

2017-04-13 10:58:38
ひるねのたぬき @hirunenotanuki

それは、露骨なナショナリズムや文化的本質主義として表明される場合もあれば、もっとソフトな、あるいは自嘲的な仕方で語られる場合もあります。#表現領域特講1

2017-04-13 11:00:10
ひるねのたぬき @hirunenotanuki

けれどもそれらはふたつとも、日本文化を特殊なものとして、他の文化とは区別して扱う点では、実は同じなのです。特別に優れていても、特別に遅れていても、「特殊」であると信じる点では同じだからです。#表現領域特講1

2017-04-13 11:06:01
ひるねのたぬき @hirunenotanuki

もちろんどんな文化に属する人にとっても、自文化が独特のものとして経験されるのは自然なことです。しかし日本文化、とりわけ日本の美学に関しては、その傾向は特に強いと思っています。そこから、「日本の美学」は政治的に利用されやすいとも考えられます。#表現領域特講1

2017-04-13 11:15:17
ひるねのたぬき @hirunenotanuki

もしも日本の美学に何か他にはない特殊性があるとすれば、それは自分自身を特殊なものだと思いすぎる、という点だと思います。#表現領域特講1

2017-04-13 11:19:16
ひるねのたぬき @hirunenotanuki

この講義では、そうした点に注意しながら、日本の美学について考えていこうと思います。基本的なスタンスとしては、いかなる美学的概念もー「もののあはれ」から無常観、「カワイイ」に至るまでー、異文化、他者との関係なしには成立しないという観点をとります。#表現領域特講1

2017-04-13 11:23:00
ひるねのたぬき @hirunenotanuki

美意識、美的価値とは何らかの本質として「そこにある」ようなものではなくて、いわば他者の中に映った自己像であり、また自己を通して見た他者の姿でもあります。#表現領域特講1

2017-04-13 11:23:02
ひるねのたぬき @hirunenotanuki

それはたとえばこういうことです。ファッションや通販の雑誌などを見た外国人は、それが日本人に売るための洋服であるのに、それを着ているモデルが西洋人であることを不思議に思います。#表現領域特講1

2017-04-13 11:30:14
ひるねのたぬき @hirunenotanuki

このことは、単なる西洋(人)的なものへの憧れでは、説明がつかないと思います。それは、自己自身を半ば西洋(自分よりも強い他者)的なもののイメージを通して表象する(同時に現実には自分はそれではないことを知っている)という態度だと思う。#表現領域特講1

2017-04-13 11:34:01
ひるねのたぬき @hirunenotanuki

このことをぼくはかつて「自己植民地化 self-colonization」あるいは「内的植民地化 internal colonization」と呼んだこともあります。それが良いとか悪いとかいう話ではなく、そうしたメカニズムを通して日本文化を考察したいということ。#表現領域特講1

2017-04-13 11:37:34
ひるねのたぬき @hirunenotanuki

こうした鏡像関係、互いに映し合うような関係の中から美意識や価値が生成してくるメカニズムは、たんに日本文化と外国の文化といった大雑把な対立の間にだけあるのではありません。「日本」と呼ばれれている世界の中にもあります。#表現領域特講1

2017-04-13 11:42:17
ひるねのたぬき @hirunenotanuki

そもそも「日本」や「日本文化」というもの自体が、歴史的な生成物であり抽象の産物です。そのことは、東北を走りながら京都に向けてこうして語りかけていると、ほとんど身体感覚として実感できます。#表現領域特講1

2017-04-13 11:44:09
ひるねのたぬき @hirunenotanuki

それでは来週から、具体的なテーマに沿って考えていきましょう。来週は最初の課題として「はな」あるいは「さくら」をとりあげます。京都はもう散り始めかもしれませんが、秋田はこれからです。こうした時間的ズレも重要なのです。#表現領域特講1

2017-04-13 11:55:26
ひるねのたぬき @hirunenotanuki

日本人は古くから桜を愛でてきたと言われるけれども、平安貴族が見ていた桜は私たちが現在見ている桜ではありません。また、桜はパッと散る潔さが武士道や軍国主義時代の兵士の気概と結び付けられてきたけれども、それをどう考えるべきか。#表現領域特講1

2017-04-13 11:55:42
ひるねのたぬき @hirunenotanuki

今日では、桜は新しい年度の始まる時期として入学や就職や、人生の段階が一新することに強い連想を持っています。そして、人はなぜお花見をするのか? 何の意味があるのか? #表現領域特講1

2017-04-13 11:55:44
ひるねのたぬき @hirunenotanuki

「美学」といっても扱うのは美術や文学だけではなく、そうした日常生活や習慣の中に根づいた美意識や価値の感覚も考察の対象にします。「美学」がエライもののように響くのは明治時代にそれが「上から」与えられたものだからで、そうした条件はもうとっくに崩壊しています。#表現領域特講1

2017-04-13 12:03:29
ひるねのたぬき @hirunenotanuki

美学だけではなく、日本では近代化に伴って多くの学問が「お上から、お墨付きをもらって下賜された」という経緯があり、特に文化研究のような分野においては、そのことが新しい現実をそれに相応しい仕方で研究することを阻んでいます。#表現領域特講1

2017-04-13 12:07:06
ひるねのたぬき @hirunenotanuki

ちなみに、旧帝大系国立大学の先生たちが何となく威張っているようにみえるのもこのためです。個々人のせいではありません。文化研究のために、私たちは「お上(カミ)」という概念の機能を停止させなければなりません。#表現領域特講1

2017-04-13 12:12:30
ひるねのたぬき @hirunenotanuki

来週は、実空間の中に物理的実体を伴って現れます。それでは御機嫌よう。#表現領域特講1

2017-04-13 12:12:42