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【三国志】魏の浮華の徒と「画餅事件」についてのまとめ

浮華の徒関連のツイートを、今後のためにまとめたもの。説明はほぼないので不親切。 「画餅事件」は「二宮事件(二宮の変)」にひっかけたまとめ主の造語です。
歴史 三国志 曹叡 浮華の徒 画餅事件
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浮華の徒(画餅事件)とは

230年代前半、魏の若者世代の「才人」である夏侯玄や司馬師、諸葛誕らが互いをランク付けして称揚し、議論にふけっていた。四聡・八達・三豫はそれぞれのランク。(四総が最上位)
魏の明帝曹叡は司徒董昭の訴えもあり、彼ら「浮華の徒」が軽薄な評判をもてはやす風潮を作るとして全員免職とし、官吏の資格まで剥奪した。処分には軽重があり、重い者は曹叡の治世後半や崩御に至るまで再仕官がかなわない状態だった。

曹叡が浮華の徒の名声を「画餅」と評して厳しく指弾したが、これが「絵に描いた餅」の語源となっている。

紫電P @sidenp
画餅事件における董昭の進言と曹叡の厳しい対応は、結果的に曹爽時代に反動を生んで、それが正始政変の誘発にも影響した気がする

もともと暇があったら取り組んで見たいテーマではあった(暇はなかった)

紫電P @sidenp
将来を嘱望された優秀で清廉な若者が、画餅事件のせいでパージされて復帰のために子供5人も作るほどラブラブだった妻を殺す(自害説採りたい)羽目になり、復職したと思ったら公卿にまでも土木工事させるような皇帝の愚行を見て、さらに曹爽グループの専横を見て次第に目のハイライトが消えていく物語
紫電P @sidenp
浮華の徒というか画餅事件関連になるのかわからんけど、袁渙の一族で一世代下の袁亮が、何晏や鄧颺を嫌悪してその人柄を厳しく批判したとある。ただこれがいつのことかわからんのよなあ。烈祖様のパージと絡んでたら面白いんだけど、袁亮の名が出てくるのって正始年間以降だしなあ……。

次の次の構想でなにやら思いつく

紫電P @sidenp
正直、浮華の徒というか四聡八達と画餅事件の話だけで一本小説書けるくらいにはドラマがあるよね。行間読んで想像しなきゃならんけど
紫電P @sidenp
四聡八達三豫、半分くらいしかはっきり名前は分かってないけど、ちゃんと調べれば15の枠そのものは結構埋められるんだよな。もちろんパージが15人で済んだとは思えないので、あくまで推測の域は超えないが
紫電P @sidenp
んー。直接的な記述がある人間の見落としがないとして、候補者レベルではあとは誰がいるだろな pic.twitter.com/3uQNku84aN
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紫電P @sidenp
. @Golden_hamster @Jominian すみません、昨日の件なんですが。浮華の徒グループやその候補をリストアップ中なのですが、この他に有力候補はいると思いますか? 見落としがあったり、こいつは違うというのがあればご意見をいただきたく思います。よろしくお願いします。 pic.twitter.com/t6rudkLPn9
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紫電P @sidenp
なんとか疇さんとなんとか備さんもどこの誰かわかればいいんだけど、ワイのデータベースでは引っかからなかった。パージされてそのまま沈んだり、曹爽政権樹立までに病死や病死(意味深)したんじゃ記録にも残らないだろうしなあ
ネットインコ @Golden_hamster
@sidenp @Jominian ひとつだけ。三国志集解では諸葛誕伝注について「通鑑「玄疇」作「玄等」、「誕備」作「誕輩」」とあります。つまり疇・備という人名ではないとされているようです。
紫電P @sidenp
@Golden_hamster @Jominian 集解は見ていませんでした、ありがとうございます。そうするとまだリスト以外に候補者が確実にいるということになりますね。記録があるかはともかくとして。
Jominian @Jominian
@sidenp @Golden_hamster とりあえず丁謐ですが、彼は鄴で気ままに暮らし、罪に問われそうになった後に烈祖様によって登用され、曹爽と親しくなったために政治に携わるようになった人物なので、四聡八達とは出世の経路が異なります。何晏らとも仲良くなさそうなので、四聡八達とは言い難いかと。

※烈祖様=曹叡

紫電P @sidenp
@Jominian @Golden_hamster 直接の記述はなくともやらかしが太和年間で、父親のおかげもあって復帰という辺りを踏まえて候補に入れていいかなと思いましたが、よく考えたら鄴にいてグループに入るというのは難しいですね。ご指摘ありがとうございます。
Jominian @Jominian
@sidenp @Golden_hamster 後は、これは仮にですが、特に親しかった何晏夏侯玄司馬師を同じグループとすると、これは四聡となります。何晏、夏侯玄は曹氏の宗族か、それに準ずる立場で、司馬師も宗族を娶っていますので、より宗族に近い立場で名声を博した人を四聡と呼んだ可能性はあります。
紫電P @sidenp
@Jominian @Golden_hamster 確かに、そのメンツが四聡というのは格的にもパージの重さからしてもしっくり来る感じではあります。袁侃と許允の件は、浮華パージに至るいくつかあったであろう引き金の一つだったのではないかなと思っています。劉陶については考えが至っていなかったので、明日に該当部分を読み直してみます。
ネットインコ @Golden_hamster
@sidenp @Jominian 直接の関係者と言えるかどうかはともかく、鄧颺に父の妾を贈って顕官(黄門郎か?)を得たという臧艾なども一応メモしておいてもよいのかもしれません。臧覇の嫡子です。
ネットインコ @Golden_hamster
しかし魏の烈祖様の「浮華の徒」って父や縁者が当時の高官、将軍などになってる人ばっかりじゃん。しかも烈祖様の側近になってる孫資・劉放の子とかもいる。彼らの恨み買ったり反発喰らったりしなかったのかね?
179@擁護派 @yougoha
曹爽一派は誅殺されたけど、後の晋建国においてブレーンとして活躍した人間は大体最初曹爽に登用されてた経験があるってのがなんとも言えない
179@擁護派 @yougoha
司馬昭のブレーン五人衆の王沈・裴秀・賈充・荀勗・羊祜、全員曹爽派から招かれたのがキャリアスタート。羊祜は招かれたけど断ったくちだけど
Jominian @Jominian
@sidenp @Golden_hamster 袁侃許允が関わったのは死者が出るような事件だったので、単に罷免された浮華の徒の件とは異なるかもと思いましたが、烈祖様は些細な罪でも死刑にしていたようなので、確かに関係あるかもしれません。袁侃と名を斉しくしたという人物では、何曽がいます。
Jominian @Jominian
@sidenp @Golden_hamster 三国志を読んでいたら、劉曄の子の劉陶がそれっぽい感じです。劉曄伝注釈の傅子に記述があります。夏侯玄には内心嫌われていそうですが、鄧颺らには高く評価されています。
紫電P @sidenp
@Golden_hamster @Jominian 鄧颺の記述にあった部分ですね。ありがとうございます。
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コメント

まあちゃん @matyan0 2017年4月16日
このまとめ読んでると「大人たちの会話を意味が解らないままドキドキしながら盗み聞き」してた事を思い出す。こんな会話を手軽にできる様になれるなんて(そしてそれを部外者が覗き見できるなんて)、ネット時代以前は考えられなかったよなぁ。
紫電P @sidenp 2017年4月22日
同時期の呉の話題を追加しました。
aaa @aaa62003841 2017年4月30日
曹爽が引き立てたり関りが深い人物が多いけど、曹爽は浮華の徒に入らないのだろうか 罰を受けた形跡がないから入らないのかな
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