《311からの個人的な振り返り(仮)》

取り敢えず、事故発生から振り返ってまとめてみることにしました。 家族の状況などは、さすがにSNSに書くのははばかられるので、それ以外の事だけ書いてます。
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宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

原発事故発生から6年以上が経過している。 そして、地震と津波の発生からも。 被害者たちの多くは、当初 「私たちの被害の様子を誰かが聞きに来て、それを元にして、補償や賠償や支援、生活再建昨りつあんの目安にしてくれるはずだ」と待っていた。 しかし。 誰も聞きに来なかった。

2017-04-30 00:14:52
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

特に、原発事故によって避難指示を受け、強制的に避難させられた人たちは、 「私たちは故郷を奪われた被害者で、賠償や補償もしてくれるというのだから、 被害の程度を確かめるためにも各個人の状況を聞き取ることは必要なはずだった。 彼らを含め、多くの被害者や被災者は、事情聴取を待っていた。

2017-04-30 00:25:00
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

正直、私もその一人だった。 誰かが、どこかから、被害状況を確認しに来るだろうと思っていた。 目の前てみていても混乱(または「恐慌」)状況にあることがわかる、自治体役場職員や、県庁職員、政府職員が事情聴取を行うことは期待できない。 来るとしたら、政府か、マスコミだろうと思っていた。

2017-04-30 00:48:32
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2011年3月11日直後、私はまだ、日本の大組織メディアのトップたちに多少の期待を抱いていた。民主党内閣にも期待していた。 そして福島県知事佐藤雄平が、県知事として県民の生命と健康を守る義務を果たすという最低の義務を忘れはしないだろうと、勝手に、一方的に、思い込んでいた。

2017-04-30 01:02:44
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

311の後、私が期待していたものが、次々に私たちを裏切る様子を見ることになる。そして、私は自己の甘さ、勝手な期待のもろさを思い知ることになる。 私の間違いが最初に現れたのは、私の自宅が停電から復旧したころだった。1号機建屋が爆発した頃、組織メディアの全てが住民を見捨て避難した。

2017-04-30 01:11:52
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

1号建屋が爆発した時点で、民主党政権は、自民党政権ならばできなかったであろう、住民を守るための政策決定をした。自民党政権が「最大避難距離」としていた10kmを超えて事故原発20km以内の住民に避難指示を出し、30km以内の住民に警告を発し、実質的に自主避難を促したのだ。

2017-04-30 01:16:49
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

当時私はメディアが30km以内の住民が避難するなら、その様子を報道してくれるだろうと思い込んでいたのだが、実際には報道などしてくれなかった。その前に、業務命令で避難を始め、住民の自主避難の様子を取材さえしなかった。いわき市や南相馬市は多くの住民が避難したのに、中通りは知らなかった

2017-04-30 01:22:14
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

311直後、いわき市からは多くの住民が避難し、いわき駅前は無人の様な状況になった。南相馬市では、市長は一方では手を尽くして住民の市外への避難手段を確保し、もう一方では残留することを決めた市民に物資が届かないことに苦慮していた。 この状況も、福島県の中通りにさえ伝わらなかった。

2017-04-30 01:30:00
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

3月12日、1号建屋が爆発した後、私は全国・県内を問わず、テレビ局や新聞やラジオが、100km圏内の人々への防護を呼び掛けてくれると思っていた。しかし、3号建屋が爆発した14日になっても、2号4号の建屋で何かわからない異変が起きても、20kmよりも外の人達に警告を発さなかった。

2017-04-30 01:35:19
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

組織メディアがどうやら何かの緘口令を敷かれて、20km以遠の人々に放射性物質の危険性を伝えることができないだろうことは理解できた。理解できなかったのは、それまで反原発の立場だった筈の科学者たちが「この事故によって拡散されている放射性物質は危険ではない」と言い始めたことだ。

2017-04-30 01:48:56
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2011年3月14日に3号建屋が爆発しても、15日早朝に2号4号建屋で何かが起き、それまでで最悪の放射性物質の拡散が発生しても、メディアは空間放射線量の変化を定点計測で伝えるだけだった。その数字が何を意味するのか、説得力をもって解説してくれる人は、待っても待っても現れなかった。

2017-04-30 02:00:04
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

後で知ったのだが、2011年3月14日の3号建屋爆発の後、福島県幹部が東京電力に「『この爆発では何の健康影響も出ない』と発表してくれ」と無茶な要求をして断られている。菅首相から「妊婦と子どもだけでも避難させないか」と言われた福島県知事佐藤雄平は、明確に申し出を拒絶している。

2017-04-30 02:07:31
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

県知事に妊婦や子どもの追加避難を拒絶された民主党政権は、このあと福島県民に県外への避難を呼びかけることをやめた。そして、福島県内に福島県外から寄せられる避難の呼びかけを、福島県庁がシャットアウトして、県民に伝えなかった。テレビ局も新聞も、福島県庁に従った。県民だけが知らなかった。

2017-04-30 02:16:21
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

6年遅れだし、私には何も代表できないけれど、お礼を言いたい。 原発事故発生直後に、避難者を迎えようと呼びかけ、準備してくれたのに、 福島県からの避難者が殆どやってこなかった全国の、いや、世界中の皆さんに。 みなさんの呼びかけ自体が、福島県内の住民には届かなかったのだ。

2017-04-30 02:32:11
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

時系列通りに並べると、私にとって最も重い話がここに来る。 2011年3月16日。福島県中通りと会津地方での、福島県立高校の合格発表が、例年通りに屋外で行われた。福島県の場合、原則的に発表から2時間以内に受験生自身が高校に行き、書類一式を受け取る。この年も原則通りに実施された。

2017-04-30 02:51:07
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2011年3月16日に、中通りと会津で、何の警告も防護呼びかけもせずに、福島県立高校の合格発表を行った段階で、福島県庁と教育委員会には、福島県民を被曝から守ろう、生命と健康を守ろうという意思がないということが、私の目には明白になった。県の公務員の多くには理解してもらえなかったが。

2017-04-30 03:07:25
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

今でも、福島県内で頑張っている人たちの多くは、その度合いに濃淡はあるだろうけれども、福島県庁が言っている「安全・安心」がある程度真実であってほしいと願っているだろうと思う。事実であるかどうかよりも「安全であってほしい」という思いがある。本当に危険なら言ってくれるという期待がある。

2017-04-30 03:16:55
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2011年3月16日の福島県立高校合格発表の際にも、多くの人々が「福島県庁や教育委員会が平常通りに、何の警告も防護の呼びかけも無しに実施するのだから、安全なはずだ」と思ったのだろう。 現実には、福島市では公式発表で毎時15μSvの空間線量があり、雨や雪が降っていた。危険だった。

2017-04-30 08:14:33
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

3月16日、空間線量が高く雨や雪が降っているという事は、放射性物質が雨や雪と一緒に降下しているということでもあるので、屋外に出るだけで多量の被曝をし、雨や雪に濡れるということはさらに多量の被曝をすることになる。原発事故に関する基礎知識がある人なら全員知っているレベルの話だ。

2017-04-30 08:19:48
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

しかし、福島県庁と福島県教育委員会は、2011年3月16日、中通りと会津の県立高校合格発表を強行した。会議で異論を出しても「県からの指示なので実行する」という答えしか返ってこなかった。 福島県庁と福島県教育委員会に、県民の生命と健康を放射性物質から守ろうという意思がないと判明した

2017-04-30 08:25:32
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

その合格発表の様子を、例年通りに報道する福島県内テレビ局、新聞社、ラジオ局の報道姿勢によって、これら組織メディアにも福島県民の生命と健康を守ろうとする意思がない事が判明した。県内メディアからニュースを受け取り報道した全国新聞やテレビ局にも、原発事故の被害を正確に伝えない事も判明。

2017-04-30 08:31:13
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

目の前での、高校受験者、保護者、高校在学者が、合格発表時に被曝する姿を目で見、防ぐことも警告を発することもできなかった私は、期待していた組織メディアもまた人間の被曝を気にしない方針で報道する様子を見た。実効性があるとは思えない自衛隊ヘリからの水の投下も見た。暴徒鎮圧用の放水も。

2017-04-30 08:48:58
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

一旦過酷事故が発生した場合、日本の武力組織や緊急組織では、事故を鎮圧できないことを、事故発生前に私は知っていた。しかし事故が起きたら。自衛隊や警察や消防署以外に期待できる組織はないので、それらの組織が、鎮圧の見通しもないのに、出動させられるだろうとも推測していた。その通りになった

2017-04-30 10:39:15
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

原発事故発生から約1週間。事故がこの後どのように推移するのかわからない頃のことだ。 絶望の中でも、私はとりあえず、事故原発から53kmの距離にあり、メディアの言葉や公的な発表では安全なはずの、自宅の周辺の様子を観察してみた。 少しずつ暖かくなる季節なのに、散歩する高齢者がいない。

2017-04-30 10:45:28
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

原発事故が発生した2011年3月の後半の我が家の周辺。 「健康の為」と称して、屋外を散歩する高齢者が全く見当たらなかった。 家同士の往来も減り、おしゃべりの回数も少なくなっていた。 多くの人が不安を感じていたようであり、同時にその不安を打ち明けることもできずにいたようだった。

2017-04-30 10:50:56