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2010年3月26日

「弱い主体に同一化したい」男性についてのメモ

前島賢の『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』 (ソフトバンク新書)の200ページに書かれている、「『イリヤ』などの諸作品の読者には、強いヒーローではなく、弱い主体に同一化したいという、いささか奇妙な欲望を指摘できる。」という箇所を受けて、あれこれ考えていたこと。 「深夜の一騒動」(http://togetter.com/li/6632)というまとめも、若干関係ある。
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@mado_m

「オトコ同士でカフェに行ったり、映画を見たり――若者男性の“中性化”が増殖中 (1/2)」(http://j.mp/b28k0R)という記事を見ながら、いろいろと考えていた。

2010-03-26 06:57:08
@mado_m

実感として、確かにこういう感じはする。昨夜ずんだくんとの会話の中で、男性の女性化みたいな話もいちおうしているし、ここ最近見かけたある議論の中で、私はそういうものを強く感じた。加えて、先日旅行行ったときにも。

2010-03-26 06:58:20
@mado_m

特にこれを気にするようになったのは、前島賢の『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』(ソフトバンク新書)の中の、男性が弱い主体に同化したがるみたいな文章(まあ元はミキさんのポストで知ったわけだが)から ――いや、或いは『レイプレイ』の表現規制辺りからでもある。

2010-03-26 07:00:16
@mado_m

「『何かあったら母親のせい』問題」(http://j.mp/a92sP1)と、これが私の中で結構繋がっている。というか、さっき考えていたら、偶然、実感として繋がった。

2010-03-26 07:02:22
@mado_m

少なくともここ数年、社会が母系化、母性の全面化みたいなものを割と感じているが、それもある面では「何かあったら母親のせい」問題にも根付くものなのだろう。しかし、してみると思うのは、結果的に教育に関してはまだまだ母親のみが(女性が)責任を負いがちであるかもしれない、ということだ。

2010-03-26 07:04:22
@mado_m

予備校に通っているときに、とある先生が、「これからの時代は男性が男性性を獲得するのが難しくなる」と仰っていて、何故かと訊くと、「女性は母親(的存在)の女性性を継承すればいいが、男性は母親を離れた上で、父親(的存在)から男性性を獲得しなければならない」。

2010-03-26 07:06:05
@mado_m

社会の母系化によって、おそらくは男性が母親を離れないケースが増えているのではないか、とまたしても実感としてある。「何かあったら母親のせい」というのがまた、その束縛を助長している気がして、仮に男性=父親が子供の教育に積極的に関わるならば、この事態は避けられたのではないのだろうか。

2010-03-26 07:08:26
@mado_m

つまりは男性の獲得されるべき(べきは括弧付きだ)男性性は、次第に難しくなってきており、その結果として男性の中性化、女性化が引き起こされているのではないか。故に、弱い主体に同化することに対して、男性としては心理的な抵抗なく、行えてしまうのではないか。

2010-03-26 07:10:30
@mado_m

そうなると、少し気になるのが、屈折したマチズモ(?)の由来である。どことなく、中性化した男性は女性蔑視的な気がする(しかし、これは印象でしかないので外している気もする)。きちんと獲得できなかった男性性の怨嗟、とでも言うべきなのかもしれない。

2010-03-26 07:17:44
@mado_m

或いは、弱い主体に同化したはずの男性は、しかし社会的には男性性を獲得した「男性」として見なされ、振る舞うことを強要される。その結果として引き起こされるのが、(男性性をきちんと獲得してない)男性と同じく弱い主体である女性に対して、嫉妬のような、不平等感ではないのだろうか。

2010-03-26 07:21:37
@mado_m

だからこそ、その不平等感を解消するために、女性に蔑視的な視線を持つ男性は、さらなる弱い主体を所有しようとする。私の中では、このサイクルは『いじめの社会理論』(内藤朝雄、柏書房)を少し思い出す。

2010-03-26 07:28:06
@mado_m

同集団内(同じ「弱い主体」という認識)の中に生じた差異(ジェンダー)に、集団(攻撃する際は徒党を組んでいることが観測範囲内では多い)で共同体を擬似的に刹那的に構築し、そこからはみ出した者(つまり特権を得ている女性)に対して、共同体の秩序・倫理に従って「いじめ」を行う。

2010-03-26 07:31:59
@mado_m

この場合の「いじめ」は直接的な暴力というよりかは、支配欲、「全能具現」に基づく間接的なものなのだろう。「いじめ」を「祝祭」的に、瞬時のノリ、ゲーム感覚的に集団で構築することで、責任を回避・分散することが可能となり、結果的に「いじめ」のコストはどんどん下がっていく。

2010-03-26 07:36:29
@mado_m

私が思うに、このサイクルを内面化してしまったのが、女性蔑視的な、弱い主体と自認する男性であると思われる。彼らは、すでに直接的(ネット含む)な共同体構築を経ずとも、すでに内面にそのような多数からなる共同体を持っている。

2010-03-26 07:39:12
@mado_m

こんなものか。そういや以前、この辺からネオテニーなんかを考えたことがあったけど、難しいんだよなあ。そこまでいくと、私の興味からは決定的に離れていくから。

2010-03-26 07:47:14
@mado_m

こういうことを考えるのは、どうしても弱い主体に同化したがるような類の男性諸氏が私には非常に気持ち悪く映ってしまう、という単純な生理的反応を、どうにかして論理的に考えようという気持ちからなのだが、しかし大分外しているとは思う。私の実感でしかないから。

2010-03-26 07:49:30
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