佐藤正美Tweet_201704

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佐藤正美 @satou_masami

小林秀雄氏は、「(作品・作家の)豊富性」「(宿命の)主調低音」という語を(彼の前期の評論文で)好んで多々使っています。「豊富さ」を或る観点から抽象しても、その抽象は一側面でしかない。

2017-04-11 12:29:16
佐藤正美 @satou_masami

勿論、作品を鑑賞するためには、「解析」のやりかたを使わざるを得ないのですが、小林氏の言うように、「解析の眩暈の末」、「作品のほうから来る(徂徠流の『格物致知』)」まで じっくりと一対一で [ 作品を個性として ] つきあわなければ、「主調低音」を聴くことはできないでしょう。

2017-04-11 12:33:57
佐藤正美 @satou_masami

作品(および、それを「解釈」した私の思想)を「解析」しつつも、「解析」仕切れない限界点において、「新しい思想の断片が私を見る」という現象でしょうね――「私」が見るのではない。亀井勝一郎氏も同じような意見を述べていて、亀井氏は「招魂」という ことば を使っています。

2017-04-11 12:37:37
佐藤正美 @satou_masami

小林秀雄氏・亀井勝一郎氏の やりかた が浪漫的で「古い」やりかただと思う人たちがいるかもしれないのですが、人から生まれた物を人の精神に戻すには、この やりかた をおいて他にない、と私は思っています。

2017-04-11 12:40:44
佐藤正美 @satou_masami

われわれが感じる「時代の雰囲気」は風景ではないのであって、「時代の雰囲気」が「事実」として記述されるためには、それぞれのひとの意識に現れる形を外的に構成するしかないでしょう。たとえ、意識のうえに、なんらかの像が浮かんだとしても、「構成されない」表象は「事実」にはならない。

2017-04-11 12:44:41
佐藤正美 @satou_masami

小林秀雄は、この点を、以下のように見事な一文で撃ち抜いています――「スタンダアルはこの世から借用したものを、この世に返却したに過ぎない」。私は、この一文を読んで身震いしました。芸術は――否、芸術に限らず、およそ、ひとが営む しわざ は――、この一言に尽きるかもしれない。

2017-04-11 12:49:19
佐藤正美 @satou_masami

道元禅師は、仏法を「眼横鼻直」という一言で記述なさいましたが、小林秀雄氏の言は、ひとの営み(の有様)を一言で言い尽くしていると思います。そして、その営みのなかに、芸術では芸術特有の わざ があるし、政治には政治特有の わざ がある、ということでしょうね。

2017-04-11 12:53:17
佐藤正美 @satou_masami

「人はこの世に動かされつつこの世を捨てる事は出来ない、この世を捨てようと希う事は出来ない。世捨て人とは世を捨てた人ではない、世が捨てた人である」(小林秀雄、「様々なる意匠」)。

2017-04-11 12:55:40
佐藤正美 @satou_masami

「諸君の精神が、どんなに焦燥(しょうそう)な夢を持とうと、どんなに緩慢に夢みようとしても、諸君の心臓は早くも遅くも鼓動しまい。否、諸君の脳髄の最重要部は、自然と同じ速度で夢みているであろう」(小林秀雄、「様々なる意匠」)。小林秀雄氏が持つ「逞しさ」の源なのかもしれない。

2017-04-11 12:59:25
佐藤正美 @satou_masami

「芸術の性格は、この世を離れた美の国を、この世を離れた真の世界を、吾々に見せてくれる事にはなく、そこには常に人間情熱が、最も明瞭な記号として存するという点にある」(小林秀雄、「様々なる意匠」)。

2017-04-11 13:02:54
佐藤正美 @satou_masami

「人は芸術というものを対象化して眺める時、或る表象の喚起する或る感動として考えるか、或る感動を喚起する或る表象として考えるか二途しかない。(略)しかし芸術家にとって芸術とは感動の対象でもなければ思索の対象でもない。実践である」(小林秀雄、「様々なる意匠」)。

2017-04-11 13:06:54
佐藤正美 @satou_masami

「作品とは、彼にとって、己れのたてた里程標に過ぎない。彼に重要なのは歩く事である。この里程標を見る人々が、その効果によって何を感じ何処へ行くかは、作者の与り知らぬところである。詩人が詩の最後の行を書きおわった時、戦の記念碑が一つ出来るのみである」(小林秀雄、「様々なる意匠」)。

2017-04-11 13:12:42
佐藤正美 @satou_masami

三島由紀夫氏は、かれの著作「『われら』からの遁走」のなかで、「作品」のことを次のように言っています――「過去の作品は、いはばみんな排泄物だし、自分の過去の仕事について嬉々として語る作家は、自分の排泄物をいぢつて喜ぶ狂人に似ている」。

2017-04-11 13:24:54
佐藤正美 @satou_masami

おそらく、三島由紀夫氏が言った「作品=排泄物」は芸術家の本音でしょうね。芸術家に限らず、およそ、なんらかの「フォルム」を作ろうとしている人たちは、三島氏が言ったのと同じ気持ちを抱いているでしょう [ モデルの定則を作る仕事に就いている私も、同じ気持ちを抱いています ]。

2017-04-11 13:29:53
佐藤正美 @satou_masami

「人間は生涯を通じて半分は子供である。では子供を大人とするあとの半分は何か? 人はこれを論理と称するのである。つまり言葉の実践的公共性に、論理の公共性を附加する事によって子供は大人となる」(小林秀雄、「様々なる意匠」)。

2017-04-11 13:32:47
佐藤正美 @satou_masami

「『人間喜劇』を書こうとしたバルザックの目に恐らく最も驚くべきものと見えた事は、人の世が各々異なった無限なる外貌をもって、あるがままであるという事であったのだ。彼には、あらゆるものが神秘であるという事と、あらゆるものが明瞭であるという事とは二つの事ではないのである」(小林秀雄)。

2017-04-11 13:36:23
佐藤正美 @satou_masami

先に引用した小林秀雄氏の文のなかで、「バルザック」をウィトゲンシュタイン(「哲学探究」)と読み替えても、あながち的外れにはならないでしょう。

2017-04-11 13:39:36