たとえそれが自分の子どもであれ、恋人であれ、近親者であれ、その人のために自分の命を犠牲にしてもよいと思える自分がいることは、合理性ではないだろう。
2010-03-24 14:47:42逆に言えば、論理性というのは、自分の損になる行動はしないという前提があるように思える。論理のおもむくところでられば、息をとめて自殺できたというギリシアの哲人がいたともきくので、すべての論理がとはいえないのかもしれない。
2010-03-24 14:49:26愛とは狂気だ。10ヶ月も腹を膨らませ、死ぬ思いをさせられ、そのあと十数年にわたって養育しなければならない非経済、非合理を強制させられながら、それを愛だと言える。
2010-03-24 14:55:38[B!] @kenjikatsu はしかなんですね。私も実体験として愛は狂気だと、失礼ながら特に女性の愛は狂気だと。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%BB%E7%96%B9 麻疹 - Wikipedia
2010-03-24 15:22:48@Hiroette TAの言葉で言えば、負のストロークでもストロークとして受け入れるということなのかもしれません。 RT えー、ちょっとしかるっていうニュアンスが違うような。。みたいな突っ込みはもう沢山来たんでしょうね(笑)。。RT 女性は、わざとしかってほしいときがあるらしい。
2010-03-25 01:51:16@Hiroette 子供のこころ、大人のこころ、親のこころの3つが人のこころの中にあります。そして、相手によってそれぞれのこころが対応しあうという考え方です。子供どうしだとけんかになるし、養う親こころどうしてもうまくいかない。大人こころだけだとぎすぎすしてしまう。
2010-03-25 08:44:38@Hiroette 親のこころと子供のこころがかなりしっくりくるのですが、大人の理性からみれば依存的ともいえるわけです。まぁ、人と人との関係はどっかで変態的なものがふくまれているものなので、依存的でも仕方ないと私は思っています。
2010-03-25 08:45:59@Hiroette ストロークとは、抱きしめてあげるとか、髪をなでてあげるとか、ほほえんであげるとか、あなたのことを認識しているよというサインをなげてあげることです。負のストロークとは、正のストロークがもらえないときに、病気になったり、わるいことしたりして、注意を呼ぶことです。
2010-03-25 08:47:22@Hiroette あー、それはあるかもしれません。幸せすぎて見えなくなっているものとかありますよね。 RT あとはもらえてるのに、もらってる事を感じるアンテナが壊れていてわからない、とか、脊髄反射的にあげる一方でもらえない状態について異常を感じないとか、いろいろあるのかなー。
2010-03-25 23:42:13