三善晃の音楽が…

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owoめえめえやぎさん尺玉メッタ打ち @owo_yagi3bokujo

三善晃の音楽が劇的に聞こえるのは、彼の思い入れや、表出の力ではなくて、「音(音楽言語)の力」(「日本語そのものの力」のような)をとらえているから。 単に情緒を表出していたら、あんなふうにはならない。もちろん、そこまで行けるのは彼の思いの強さの部分もあるかもしれないが。

2017-05-18 05:36:29
owoめえめえやぎさん尺玉メッタ打ち @owo_yagi3bokujo

「違いをつける(見出す)」の累積によって「大きな意味」を作り上げるのが多くの古典的な作品のあり方だが、三善は壊れるまで差異の累積を聞き出す。 (この「違い」は、法律の仕組みのように人の思いに従って組み上げられるものではなく、あらゆる「意味」の前段にあるもの。)

2017-05-18 05:56:25
owoめえめえやぎさん尺玉メッタ打ち @owo_yagi3bokujo

小さな差異の累積の飽和は、「ちょっとした(目の前に置けるような)無意味」だが、完全に飽和したかと思うほどの「無意味」は、ほとんど「「この自分」というもの」の無化に近づく。 それが、彼の作品が「死」と関わって語られる大きな理由なのではないか。

2017-05-18 05:57:06
owoめえめえやぎさん尺玉メッタ打ち @owo_yagi3bokujo

それを彼の「単なる感情表出」に囲い込んで考えてしまうのは、「考えた」になっていない。「聴いた」にもなっていない。 その程度の「意味」の批判は、単に「別の意味に囚われている」に鈍感なだけになってしまう。 作品の完成度を、職人的な技術の錬磨のみに見出すことも同じ。

2017-05-18 05:58:50