
武士と騎士と弓の話

現在日本では何故か武士に「飛び道具とは卑怯」なんて言わせますが、実際には「弓矢の家」というほど、飛び道具こそがメイン武器な人々で、飛び道具を「卑怯」と言っていたのは、実は西欧の騎士たちでした。西欧騎士にとって鎧の構造上弓は扱いづらく、値段も安かったため階級差を表せなかった為だとか
2017-05-17 22:35:30
「飛び道具とは卑怯なり」は、武士ではなく「騎士道」の言葉なんですね。なのでこの発想自体、明治になってから流入した思想ですね。
2017-05-17 22:36:36
@1059kanri そんな重装騎兵も、火縄銃が普及すると短銃を複数装備して、長槍の替わりにしたりしてるんですよね。長槍よりちょっとだけ遠い間合いから、一方的に攻撃できるというメリットがあったので。さすがに一時的なブームに終わりましたが。
2017-05-17 22:42:13
@WTR_SS41 「一騎打ち」はそもそもそういうものですね。しかもそれも稀に偶発的に起こる現象でしか無く、基本的には大勢の弓兵で敵を取り囲んで遠距離から殲滅、が鎌倉武士の基本戦術で
2017-05-17 22:46:05
@1059kanri 弓馬の家という表現や、騎馬武者に弓という装備が中世ではデフォルトでしたしね。早い段階で鉄砲にシフトできたのも、射撃武器に対する優位性を尊重する文化はあっても、それを使うことを忌避する傾向はなかったからではないかと思うのです。
2017-05-17 22:45:05
@1059kanri 槍がドンドン長くなったりしたのも、敵よりも遠い安全な間合いを確保という基礎的な戦術を忠実に守っていますし、戦国時代に入ると鉄砲を使った狙撃まで行われるようになったことなどを考えると、日本人は本来アウトレンジなんですよ。
2017-05-17 22:54:52
@1059kanri 鉄砲に関しては間断ない攻撃の継続という意味だと、射手と装填手に分かれて狙撃を行う組打ち鉄砲。薬莢の走りである早合とか、戦国時代における鉄砲戦術のイノベーションがすさまじい勢いで進んでいきますしね。
2017-05-17 23:00:24
@1059kanri そういや、何故か、飛び道具が卑怯扱いですな、「時代劇の侍」の間では(笑)。本郷先生も「平安の昔から武士は弓と馬!」と口を酸っぱくして言ってましたのに。本郷先生、自分の専門ではまともなことを(そこでツイートは途切れている)
2017-05-17 22:49:24
@dick_sakuma @da21t0rama3 坂本龍馬の「逸話」なるものは、だいたいは明治後に作られたものなので、その話の成立時期を見てからでないとなんとも。
2017-05-17 23:32:32
@1059kanri @da21t0rama3 なるほど ただ護身用にピストルを持っていたらしいので、幕末にピストルは普及していたと思いますが
2017-05-17 23:38:15
@dick_sakuma @da21t0rama3 当時の武士たちは別にピストルを卑怯だなんて思っていませんね。刀剣主義と見られがちな新撰組も、普通に銃の教練やっていましたし。
2017-05-17 23:41:10
@1059kanri @da21t0rama3 なるほど 有難う御座いました 新撰組って砲術訓練だけでなく、銃の訓練もやってたのですね
2017-05-17 23:53:50