武田氏滅亡刊行記念講演会@市ヶ谷

5/14 平山優先生の勝頼研究の軌跡
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日光81 @nikko81_fsi

単著としては極めて数が限られる武田勝頼本。出版社が売れないだろうと二の足を踏むなど… #武田氏滅亡刊行記念講演市ヶ谷

2017-05-14 14:20:31
日光81 @nikko81_fsi

小林計一郎『武田軍記』(1965)を除いて勝頼時代の概説書はしばらくなかった…天正三年~以降の武田徳川抗争の歴史を語る書物はなく… #武田氏滅亡刊行記念講演市ヶ谷

2017-05-14 14:25:15
日光81 @nikko81_fsi

そんな中で『武田氏年表~信虎・信玄・勝頼』ができた。あれホント役立つもん… #武田氏滅亡刊行記念講演市ヶ谷

2017-05-14 14:27:08
日光81 @nikko81_fsi

武田勝頼への評価について。大正時代の山路愛山『徳川家康』か。打切将棋に喩え、織田徳川北条を敵に回したこと、協調性がなく金山の採掘が枯渇…しかし、1935年に勝頼決して侮る可からずと寄せるが、信玄もあの状況だったら無理だ、との流れ。 #武田氏滅亡刊行記念講演市ヶ谷

2017-05-14 14:38:24
日光81 @nikko81_fsi

謙信は進取の気性に富む数奇者とし、信長は勝頼を危険視し日本に隠れなき弓取と評したり、甲陽軍鑑は強すぎたる大将、頭が切れる弁舌豊かだが向こう気が強いとする。しかし江戸に入った本阿弥の証言が面白い。甲陽軍鑑が元ネタで語っているそう。 #武田氏滅亡刊行記念講演市ヶ谷

2017-05-14 14:48:07
日光81 @nikko81_fsi

それでも本朝廿四孝の主人公になるくらい、一定の評価があったはず。江戸時代では家を潰したことに対する倫理観からみたネガティブ評があったにせよ。しかし愚将になっていくのはなんと…戦後。ドラマや小説の描かれ方があんまり…ただひとり新田次郎のみ再評価に熱心 #武田氏滅亡刊行記念講演市ヶ谷

2017-05-14 14:52:08
日光81 @nikko81_fsi

研究者では上野晴朗氏が再評価に取り組むも、なかなか相手にされなかった…学歴がないと認められない間口が今より狭かった時代…つらい… #武田氏滅亡刊行記念講演市ヶ谷

2017-05-14 15:01:22
日光81 @nikko81_fsi

平山先生の勝頼論考は95年の歴史群像で武田氏滅亡主因は長篠大敗後遺症としたもの。骨子となる『諏方勝頼から読み解くべき』というのは、上野晴朗氏に基点があるそう。しかしそこには贔屓があるとの批判を柴辻俊六氏から受けてから、武田氏滅亡の執筆方針が定まった #武田氏滅亡刊行記念講演市ヶ谷

2017-05-14 15:07:17
日光81 @nikko81_fsi

ご両親の故郷ということもあり、景徳院で色んなことを見聞きし、夏休みの自由研究で…自由研究はわたしも武田氏、信玄公への入り口だから…感慨深い。そこから上野晴朗氏との出会い。連絡とってアクセスしていろいろ質問。それがすごい…そこが違う…#武田氏滅亡刊行記念講演市ヶ谷

2017-05-14 15:15:48
日光81 @nikko81_fsi

高校時代の書き留めた草稿が今になって役立つとか。家臣団辞典にも役立ったことも多数とか!平山少年すごい! #武田氏滅亡刊行記念講演市ヶ谷

2017-05-14 15:17:39
日光81 @nikko81_fsi

幻の『天目山の戦い』こだわり続ける性格上の問題…判る気がする… #武田氏滅亡刊行記念講演市ヶ谷

2017-05-14 15:21:28
日光81 @nikko81_fsi

章立てに過去の草稿が活きてる様子がおもしろい…タイトルには先生の関心のあるものから拝借されてるのもまたおもしろい。 #武田氏滅亡刊行記念講演市ヶ谷

2017-05-14 15:25:49
日光81 @nikko81_fsi

真田丸の考証役に決まってからは、『真田信繁』はじめ、天正壬午を先に出し…それからも執筆と講演の嵐。特に『真田信之』研究が少なく史料集めから…で大変だったらしいよ。 #武田氏滅亡刊行記念講演市ヶ谷

2017-05-14 15:33:53
日光81 @nikko81_fsi

そこからの武田氏滅亡再開。10月から1月の怒濤の日々… #武田氏滅亡刊行記念講演市ヶ谷

2017-05-14 15:40:18