個人的メモ 隙と予断と主観だらけの『九戸政実のイメージ』語り・愚痴つき

タイトル通り。何の参考にもなりません。
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帆船ハッカ @kotosakikotoko

九戸政実のキャラクターイメージって江戸初期から『非業の最期を遂げた悲劇の武将』『大軍に寡兵で立ち向かった勇将』として描かれてきたようで、例えば奥浄瑠璃として語られた九戸軍記では、政実を高慢な悪人として描きながら、その善戦を見事に描き、その悲惨な末路の鎮魂として物語は語られる。

2015-02-01 03:04:32
帆船ハッカ @kotosakikotoko

こういった軍記では、九戸を悪しざまに言いながらも本文の内容は同情的で、民衆の九戸に対する感情がそこに反映されている、というのはよく言われることで、二戸地域に、こういった九戸へのシンパシーが脈々と存在したのは確かなんだろうと思う。

2015-02-01 03:05:13
帆船ハッカ @kotosakikotoko

一方で、九戸と敵対した三戸南部氏の史書である南部信直一代記・信直記やその類本でも、九戸側の勇戦、そして落城の悲劇にも行を費やし描かれていて、この頃既に『非業の武将』であり『勇将』であるという九戸政実(及びその周辺)のイメージが広く受け入れられていたことがわかる。

2015-02-01 03:08:57
帆船ハッカ @kotosakikotoko

ついでに言うと、信直記は政実を『(弟実親を家督とすることで)領内我心ノ儘にナラント微笑』とか、『大望大き』い人物とか野望家だとかは書いていても、それを除くといたってシンプルな(同情的とすらとれる)描写をしているのは面白いなぁと思う。

2015-02-01 03:10:17
帆船ハッカ @kotosakikotoko

一方で『武勇に高慢し』『我儘なる振る舞い』『己を知らぬ愚人』といったマイナスイメージは既に江戸初期成立の九戸軍記で生まれているし、もちろん南部家に対する『不忠者』というイメージもある。奥羽永慶軍記なんかは『東夷の愚鈍』とまで言うてる。九戸政実はそれらのイメージで語られてきた。

2015-02-01 03:12:44
帆船ハッカ @kotosakikotoko

現代の九戸政実像っていうのも、実はこれらのイメージの延長線上にある。天を衝くまでのフィクションにおける九戸政実って過去のイメージから脱却するものではなかったと思う。史学方面ですら、こういったイメージにとらわれていたりするし。

2015-02-01 03:14:26
帆船ハッカ @kotosakikotoko

そんな中で、天を衝くに繋がる作品として渡辺喜恵子先生の『南部九戸落城』は面白い作品だなぁ、とは思う。この作品は地元の目線を通すことで従来の九戸政実をイメージをひっくり返そうとしていて、そのあり方は天を衝くでも取り入れられている部分かなぁ、と。

2015-02-01 03:16:38
帆船ハッカ @kotosakikotoko

高橋克彦の凄味というのは、東北に息づく反中央感情や怨念をベースにしながら、九戸政実を、陸奥の隅に生まれながら奥羽全体・将来までを視野に入れ、中央の理不尽に怒り、損得抜きで在地の為に戦ったヒーロー、という人物として見事なまでに立たせたところにあるのかなぁ、と思う。

2015-02-01 03:18:25
帆船ハッカ @kotosakikotoko

それはまさに従来のイメージをひっくり返すキャラクター造形だったんだと思う。旧来のイメージと地続きでありながら、『現代の』東北人が抱く中央への反感を掬い取り、物語の上で昇華した。これは創作家としての彼の勝利だと思う。

2015-02-01 03:19:36
帆船ハッカ @kotosakikotoko

ただまあ、今の九戸政実のイメージってこの『天を衝く』の政実のイメージが強くなっていて、あくまで『物語の中の』九戸政実なんだけど、それが史実の九戸政実とイコールで結ばれちゃう傾向があるのは、どの武将にもありがちだけどまあ起こっちゃってる。それ自体は悪いとは思わないけど。

2015-02-01 03:21:44
帆船ハッカ @kotosakikotoko

ただ、史実の政実は『奥羽の為に戦った』みたいな殊勝な人間じゃなかったと思うし、九戸の戦いも『京儀を嫌う』要素があったのは事実とはいえ、その内情はもっとグッダグダだったと思う。史実の九戸が本当に『奥羽の為に』戦ったかと言えば疑問なわけだし。

2015-02-01 03:23:04
帆船ハッカ @kotosakikotoko

あと天を衝くでは政実を美化するあまり、他を貶める構造を物語がとっているのは残念だなぁ、と。アレの悪影響はかなりある。ご本人はそんなつもりはない、と弁明してはいるけれど、そうならせめて自分の作品と史実は分けていただけませんか、とは言いたくなる。

2015-02-01 03:24:36
帆船ハッカ @kotosakikotoko

信直記の記述のあり方もそうだし、あとかつての敵である福岡御給人たちが寄進者となり千体仏を奉納した例を見ても、九戸に対する敬意、っていう意識は、なにもかつての旧臣・旧領民だけではなく、三戸を含めた南部の者達が広く持っていたと考えるのは自然だと思うの。

2015-02-01 03:25:42
帆船ハッカ @kotosakikotoko

それをいわゆる旧領の者達だけの、二戸地域の人達だけの物であるかのように扱うのも、少し違くねえかなぁ、と。 かつて二戸は『南部の中の南部』と呼ばれ、南部と九戸、両方を誇っていた、という話もある。それを『今』の人々が都合よくスポイルするのは、とても残酷な話ではないかとも思うの。

2015-02-01 03:29:11
帆船ハッカ @kotosakikotoko

近年見つかった『奥州南部九戸軍記』だと、九戸を英雄視した書き方をしているそうなのだけれども、その論文は図書館に無かったんだよなぁ。

2015-02-01 12:36:53
帆船ハッカ @kotosakikotoko

政実のマイナスイメージが広まったのって大概奥浄瑠璃とか語り物系の九戸軍記がかなり一役買っている気がしてならん。藩政時代には南部氏を悪く描けないから、政実を悪役に描くしかない、という事情は確かにあるから仕方のないことなのかもしれないけど。

2015-02-01 12:34:26
帆船ハッカ @kotosakikotoko

『史実の歴史人物像』を周知したい、今までのイメージを塗り替えたい、と思うならなおのこと『伝承や物語で生成された歴史人物像』を明確に知らないといけんなぁ、と思ったり。史実とフィクションの切り分けもそうだけど、どんな面をどんな切り口見せるかを考える時に、過去は無視出来ないよなぁ、と。

2015-02-01 17:22:35
帆船ハッカ @kotosakikotoko

彼らが時を経るにつれてどんな『属性』を付与されていったのか、その背景にはどんな理由があったのか、現代ではどうなのか、それを知らなきゃ、既存のキャラ性を超す人物像は(史実であれ伝承であれ)書けんのではないか、と九戸さんのこと書きながら思ってた。

2015-02-01 17:25:12