2017年5月31日

黒色中国さんの連休後日談2.... それは、今から七百年ほど前のこと。

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黒色中国 @bci_

…それは、今から七百年ほど前のこと。大陸の沿岸部には多くの倭寇が襲来し、殺人、放火、略奪などを繰り返した。日本側は南北朝時代で政治の乱れがあり、倭寇は増長し、明朝からの要請をうけるも、日本側では充分な取り締まりができなかった。そこで明朝は沿岸部に「衛」と呼ばれる防衛施設を設けた。 pic.twitter.com/vLGrhXosma

2017-05-30 19:37:44
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黒色中国 @bci_

「衛」は、「衛所」とも言う。本来は明朝の軍事制度で、我々にわかりやすい言葉にすると「屯田兵」か。基本は5600名で編成されているそうだ。この明軍の部隊が大陸の各所に置かれたが、倭寇の侵略に対抗するのは「沿海衛所」と呼ばれたりする。実は、これがその後の日本の歴史と深く関わってくる… pic.twitter.com/CSZJfLEjO6

2017-05-30 19:49:33
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黒色中国 @bci_

日本人に最もよく名を知られた「沿海衛所」は、「威海衛」だろう。大陸から東に突き出た山東半島の端っこに、現在は「威海市」と名を変えてある。威海衛は1398年に明朝が倭寇防衛のために設置し、それから約500年後…1890年に清朝の北洋海軍の本拠地となった。ただ、その5年後に… pic.twitter.com/uiLYeCXLkv

2017-05-30 19:59:04
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黒色中国 @bci_

日清戦争が始まり、「威海衛の戦い」で威海衛は陥落し、北洋海軍は消滅する。明朝が倭寇防衛のために作った軍事拠点は、清朝に受け継がれ近代化されたが、倭寇ならぬ日本軍の攻撃によって滅びたのである。一般的に日本人が知る「衛」の話はこれだけだが、実はその後にも、日中の歴史に「衛」は登場する pic.twitter.com/WrAU0IjHnR

2017-05-30 20:03:54
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黒色中国 @bci_

1937年8月9日に上海で、大山勇夫海軍中尉と斎藤與蔵一等水兵が中国軍兵士に殺害されたのを発端に、第二次上海事変が始まる。3万の中国軍が日本租界を包囲したところに、日本軍が救援に向かうのだが、その時の上陸地点は上海の北部…長江沿岸で、現在は「宝山区」と呼ばれる地域だ。 pic.twitter.com/0KFX8FbSnl

2017-05-30 20:13:13
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黒色中国 @bci_

この写真は先程の上陸地点の一番下。現在は公園となっている。日本人が中国に関わるにあたり、過去の戦争への理解は不可避である。特に私は第二次上海事変の戦跡巡りをライフワークの1つとしている。但し、上海での日本軍の上陸地点はここだけではない。もう1つ、上海のずっと南の方に有名なのがある pic.twitter.com/USe1YIGtBs

2017-05-30 20:20:43
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黒色中国 @bci_

1937年11月5日…日中両軍が膠着状態にあった最中、上海南方60kmの杭州湾から日本の第10軍が上陸した。第10軍は3.5師団…約10万の兵力が増派されたらしい。その後、動揺した中国軍の潰走が始まるのだが、この上陸地点の名を「金山衛」と言う。明朝が倭寇防衛のため設けた沿海衛所だ pic.twitter.com/QXo9V4yywt

2017-05-30 20:28:55
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黒色中国 @bci_

金山衛から上陸した日本軍は、それから南京攻略に移る。日清戦争と日中戦争…近代になって日本と中国が経験した2つの戦争はいずれも「衛」が大きく関わっている。ようするに、「衛」は中国がシーパワーからの防衛のために置いた防衛施設であって、地政学的な重要性は600年以上たった今も同じなのだ pic.twitter.com/iAUx3NveCo

2017-05-30 20:39:59
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黒色中国 @bci_

但し、600年以上、沿岸部でシーパワーの侵略を防御していた中国は現在、海軍力を整備し、空母を保有し、人工島や海洋プラットフォームなどを建設している。これは歴史的にみれば「衛」が外に向かって拡張されているのではないか…では、中国の海洋強国化を考える上で、まず私は600年前に遡りたい pic.twitter.com/bADCB72JVi

2017-05-30 20:47:55
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黒色中国 @bci_

「…というわけで金山衛に行きたいんだよ」 という長い話をかいつまんで、友人にした。彼は「お、おう…」と納得したが、しばらく考え込み、「それってマジで金山区にあるの?」と信じられない様子だった。一般的に上海で「金山区」と言えば、何の印象もない僻地、行ったことがない人がほとんどだろう pic.twitter.com/kIiA735DMe

2017-05-30 20:53:56
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黒色中国 @bci_

無論、友人も金山区に行ったことがなかった。でも、金山区は海に面した地域で走るのは気持ちいいだろう。高速道路を使えばさほど時間もかからない。彼にとって歴史的な話はともかく、クルマで走るのが好きだから断る理由もないはずだが、ちょっと心配そうな顔をしている。「…彼女は一緒に行くかな…」 pic.twitter.com/sYYjBXv37u

2017-05-30 21:02:20
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黒色中国 @bci_

家に戻り、友人が彼女に金山衛行きの話をすると、彼女は私を怖い目で一瞥した後で、友人に「私はそんなところ絶対に行かないんだからねっ!家で寝てる!」と半ば怒りながら言った。それから私に向かって「間諜!」とも言った。「どこ行っても構わないから、夜ご飯の時間にはちゃんと帰ってくるのよ!」 pic.twitter.com/ykZRLyFHjT

2017-05-30 21:08:56
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黒色中国 @bci_

朝早く起きて、金山衛に向かう。出発の時から小雨が振っていたけど、南に向かうにつれて雨は強くなった。友人は運転しながら、「彼女は絶対行かないとは思ったけれどね…そもそも上海にも興味がないし…」。労働節の休暇期間中だが、高速道路は意外と空いていた。こんな時に金山衛に行く人は稀なのか… pic.twitter.com/xOYT0pvspM

2017-05-30 21:15:44
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黒色中国 @bci_

このあたりは青浦区か。「上海」と聞くと、ずっと高層ビルが建ち並んでいる大都会…と思っている日本人が少なくなかったりするのだが、あれは中心部の一部だけだ。中心部からクルマで走って1時間と経たない内に、こんな風景が広がっている。郊外も含めて広く見ると、上海は大きな田舎でもある。 pic.twitter.com/R9PIv0265F

2017-05-30 21:20:07
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黒色中国 @bci_

「金山卫」…「卫」は「衛」の簡体字である。619年前に明朝が設立した倭寇防衛の拠点の名称がいまだに地名として残り、高速道路の標識にもなっている。「倭寇」の側の末裔としては、ちょっと感動したw。 pic.twitter.com/fN9rPpCyOY

2017-05-30 21:25:56
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黒色中国 @bci_

南へ、南へ、南へ…クルマはずっと走り続ける。雨は強くなったり弱くなったりしながら、我慢強く降り続いている。今日は一日中降りそうだ。その時に、ふと思いついたのだが、いま私が走っている高速道路は、80年前に日本軍が通ったルートに近いはずだ…日本軍の通過した地域を逆行していることになる pic.twitter.com/HFviNM5Pj5

2017-05-30 21:29:57
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黒色中国 @bci_

このあたりは金山衛の高速道路降り口の手前あたり。たぶんこれは農家だろうか。この建物は新築だろうが、浙江省あたりでは、このように白い壁で黒い瓦の家を建てる。この地域には、80年前にも似たような家が建っていたのだろう。杭州湾から上陸して、南京を目指す日本軍もこのような光景を見たのか… pic.twitter.com/R8ZXfQ7Kz0

2017-05-30 21:34:20
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黒色中国 @bci_

中国にいると、中国人から戦争の話をよく聞かされる。私の村が襲われた、オジサンが日本兵にやられた…そんな話を何度も聞かされた。その度に嫌な思いをしたのだが、いま私はその「起点」に、真っ只中に向かっている。たぶんこの地域の人々は、いまでも生々しく日本との戦争を記憶していることだろう。 pic.twitter.com/0CYgoZBgsq

2017-05-30 21:41:44
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黒色中国 @bci_

金山区金山衛鎮人民政府…ようするにお役所である。とりあえずここで記念写真。門衛がこちらをちらっと見て、怪訝そうな顔をした。連休の雨の日に朝っぱらからやってきて、鎮政府の写真を撮ってるアイツは一体なんなのだ…というところだろうか。私も、私は一体何をやっているんだろうか…と思った。 pic.twitter.com/pPSvVNkdsH

2017-05-30 21:46:28
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黒色中国 @bci_

そこからほどなくして、目的の場所に着いた…みたいだ。カーナビゲーションではこのあたりらしいのだが…いまいち自信が持てない。80年前に、日本軍の本格的な大陸侵攻が始まった上陸地点…本当にここなんだろうか… pic.twitter.com/2KY6BFtXtQ

2017-05-30 21:50:51
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黒色中国 @bci_

友人も不安になりだした頃、沿道に「銘記歴史緬懷先烈」(歴史を心に刻み、英霊を追想し)、「珍愛和平開創未来」 (平和を大切にして未来を創ろう)とスローガンが掲げられていた。ここだ。間違いない。 pic.twitter.com/VvmfvKYKNR

2017-05-30 21:57:20
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黒色中国 @bci_

想像以上に真新しい祈念館なので驚いた。歴史を紐解くと、最初に出来たのは1984年…確か威海衛の日清戦争祈念館も同じ頃だったか…当時中共では抗日戦争を国家的に記念する事業が始まったのか。その後数度拡張を続け、戦後70周年の2015年を迎えるにあたり、2014年に今の形になったそうだ pic.twitter.com/69hMjCpzVh

2017-05-30 22:04:13
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黒色中国 @bci_

日本で「反日記念館」と呼ばれる中国の抗日戦争記念館は、その多くが「愛国主義教育基地」で、展示には中共の歴史観や教育の方針…党のプロパガンダが一貫して反映されている。だから、これらの展示を細かく観察することで得られる有益な情報は少なくない。3年前にリニューアルされたなら尚更だろう。 pic.twitter.com/8tD3UsDjH7

2017-05-30 22:10:36
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黒色中国 @bci_

金山衛が明朝によって設立されたのは600年以上前のことである。その頃を思わせる古めかしい建物がある。当時からこんな立派な建物があったかは不明だが、万里の長城を作るのに比べたら、これぐらいは簡単なものだろう。たぶんこの城楼に見張りの兵を立てて海を睨ませ、倭寇の襲来に備えたのだろうか pic.twitter.com/HfPMAwdBUN

2017-05-30 22:18:15
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黒色中国 @bci_

「冥」…いや違う、サンズイがある。「溟鎮」だ。金山衛の古称らしい。見慣れない字なので調べると「意思是小雨蒙蒙;或通“冥”」(小雨がもうもうとしている様子、あるいは「冥」に通ず)とある。冥府魔道の冥だ。ここは東側の「ここに地終わり海始まる」場所でもある。中国流に書けばこうなるのかな pic.twitter.com/fgHB2kvshZ

2017-05-30 22:24:05
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