- hironakayuriko
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3)すぐに、「自分の」評価を下し、すぐに「自分の」意見を述べてしまう。「自分の」意見を述べる前に、福沢諭吉自身が『学問のすすめ』の中で何を言おうとしているのかの読み込みが足りない。
2011-03-14 01:52:154)そもそも「自分の」意見と思えるものも、先人の形成した文化の中で培われてきたものだ。テキストを読むことと「自分の」意見を述べることとは、特に異なる作業ではないことを理解する必要がある。
2011-03-14 01:52:557)さらに気になったのは、「ここは賛成する」、「ここは同意できない」というように、まるで会議の議論をするかのように「自分の」意見を言う文体が多かったこと。
2011-03-14 01:54:509)テキストは「同意」「非同意」を巡って心理主義的にアプローチすると、何も見えてこない。というのもテキストは心理主義的には声を上げない。いつも沈黙しているからだ。
2011-03-14 01:55:4511)これは、死者の声を拾うような孤独な作業だ。しかし、その声こそ騒々しく、どんな〈現在〉の〈対話〉よりも活発で質の高いものである。それがわかることが〈テキストを読む〉ということだ。
2011-03-14 01:59:2612)わかったところだけを剽窃しても、読んだことにはならない。すべての言葉は和音として〈一つの音〉を出している。〈全部〉が鳴ることによって〈一つの音〉を出している。その〈一つの音〉から一つ一つの言葉、文節、行、段落が存在している。
2011-03-14 01:59:5413)何が書いてあるのか、というテキストの〈像〉への参照性なしには、個々の言葉への言及はほとんど意味をなさない。〈引用〉とはその像の理解なしには意味のないもの。〈像〉を離れれば、すべてはご都合主義の引用でしかない。
2011-03-14 02:00:2515)芦田賞の合田知世(「怨望」について)さん、2位の三崎奈津美(「政治」について)、3位の椎名日奈(「真実」について)は、それぞれ、主観的でもなく客観的でもなく、福沢の言葉の和音をそれなりに表現できていたように思う。おめでとうございます。
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