【連雀庵、とある日】

ささささん(@sasasa3397)の創作キャラである黄連雀夢人さん(https://www65.atwiki.jp/dangeroussscc/pages/30.html)をお借りして少々書いてみました。
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東和瞬 @honyakushiya

古書の街、神田に無数と立ち並ぶ古書店の内、偶々抜き出した一軒が此度の舞台となる。 寺院に対する門前町のようなものだ。 ダンジョンと共に生まれ育っていた神田の町にひそりとたたずむ、すなわち彼の座すところ。そこは古びた小さな建物で、号するところを連雀庵といった。

2017-06-01 23:54:40
東和瞬 @honyakushiya

いわゆる近代の比較的古い本――セコハン本というが、より古い本は大小もさまざまなモンスターや他種も多様な罠に護られる。 時に当局から禁書/焚書指定を受けた危険な書物から自我を持つインテリジェンス・ブックに至るまで数多の稀覯本を求めて本好きという人種はペーパーナイフに代わり剣を取る。

2017-06-01 23:55:40
東和瞬 @honyakushiya

逆説的だが、そういったものは恭しく迷宮の本棚に収められ、化粧絶ちもされていない無垢なままに置かれていることが多いという。 それを求めるが故か、店内は一般的なダンジョン外とは異なり喧騒とは程遠い。精々が読書の際、めくられる紙擦れの音だけだ。静寂が支配している。

2017-06-01 23:56:12
東和瞬 @honyakushiya

青年期を過ぎ去り幾らか歳を経た頃合いだろう店番の男もポイズン・シルバーフィッシュが大量に発生する中、日々駆除に追われるひとりであった。 毒紙魚と訳される外来種は字が示す通り雑魚である。けれども文中を泳ぎ回る影は不快であるし、万が一空中に飛び出して眼中に入ってしまっては危ない。

2017-06-01 23:56:35
東和瞬 @honyakushiya

顔色の悪いその男は新調された眼鏡を盾として紙魚の駆除に没頭していた。 だからだ、流行らない書店の軒先を越え、躊躇もせずに訪ねてきた客の影に気づくのが遅れてしまうのは。

2017-06-01 23:57:35
東和瞬 @honyakushiya

「ごめんください」 男が顔を上げる。 果たしてそこにいたのは久方ぶりの客である。セーラー服の上から雷除けのコートを掛けた少女だった。 手に取って漉いてみたくような艶やかな、かみの毛がふわと台の上にかかった。男は一瞬心奪われた不貞を恥じ入ると奥の方を振り返り、最愛の妻の後姿を想う。

2017-06-01 23:58:08
東和瞬 @honyakushiya

瞳に宿す色素はきわめて薄い。異国の風情。事実、同国人ではないのだろう。 ダンジョン街に異邦人があることはけして珍しくはないのだが、古書を求めるのはそうそうはいない。 探索に役立つアイテムを求めるためか、それとも紙の匂いに釣られたためか、黄連雀夢人はその両方であると当たりを付ける。

2017-06-01 23:58:33
東和瞬 @honyakushiya

「池水瑠璃之助の『紅塵秘抄』と薄田泣菫(すすきだきゅうきん)の『人と鳥蟲』はありますか? それと、山田浅右衛門の懐紙があるといいのですが」 「ええ、ありますよ。少々お待ちを」 腰を上げ、見知った店内の大路を歩む。両方という推理は当たっていたが、少々修正を加える必要がありそうだ。

2017-06-01 23:59:04
東和瞬 @honyakushiya

冒険者――それも堂に入ったビブリオマニアであろう。 防刃の用途で用いるマジックアイテムまで求めるとは、若年でありながら深い知識を感じさせた。 目当ての本までは、そう遠くはない。案内ついでに向き直ると、客はつうと、積み上げられた本の埃を人差し指の腹を用いて撫ぜているところだった。

2017-06-02 00:00:37
東和瞬 @honyakushiya

戯れだろう。女学生にはよくあることである。 「紙魚退治には埃取りがよいと聞きました」 「そうですね。それはよいことを聞きました」 嘘か真か、どちらにせよ男には手が回るはずもなかった。ただ、黄連雀夢人、彼の方が少しばかり誠実だった。 「少々お待ちください」 女学生、待ったをかける。

2017-06-02 00:01:05
東和瞬 @honyakushiya

カチ、コチ、時計の音。 時間を見ようとしたのだろう。少女は懐から本を取り出し、そして――。 「今は十二時二十三ページ――?」   死番虫(デス・ウォッチ)が飛び出してくる――!

2017-06-02 00:01:34
東和瞬 @honyakushiya

「しまっ――」 少女にとっての時計代わりはこの書であった。それを落としてしまった。上を向き、バラバラと開かれる頁。 カチ、コチ、顎が軋む音。紙を食み、本を刳り抜くその虫は平面上を泳ぐ紙魚とはまた異なる。 勿論、古書店にとっては紛うこと無い大敵であり――。

2017-06-02 00:02:19
東和瞬 @honyakushiya

幻覚の中、泳ぎ出す文字列に惑わされていたその男にとっては極々慣れ親しんだ実体であった。 魔人能力が暴走していた時は、益体の知れない夢虫を叩き潰そうと虚空を切ったその手だ。 明確に、害虫を叩き潰していた。

2017-06-02 00:02:57
東和瞬 @honyakushiya

「申し訳ありませんでした」 蟲が紙を食む時間が常に一定であることを利用した時計は、数奇者の間で一時期流行ったという。 結局は三十年も前に廃れたが。少女にとっても大した思い入れはなかったらしく、二の口告げず謝罪が返ってくる。

2017-06-02 00:03:39
東和瞬 @honyakushiya

ちらりと目に入った数列の意味を吟味する余地なくぱたり、本は閉じられしまわれる。 「いえ……。本はこちらです。お会計を済まされるならこちらへ」 勘定台の傍ら、踏み台を兼ねた角椅子に客を導くと黄連雀夢人は定位置へと戻った。

2017-06-02 00:04:09
東和瞬 @honyakushiya

会計にあたり、G(ゴールド)とG(ギル)の間に取り違えがあったりもしたが、少女が一度離席して、近くの預り所で換金を行うことで事なきを得た。   彼女が息を切らせて戻って来た時、使い古された黒電話がリン、リンと繰り返し鳴きだした。鈴虫のような風情となるには季節はまだ遠い。

2017-06-02 00:05:28
東和瞬 @honyakushiya

受話器を鳴りやませ、即売会のやり取りを済ませる。一分と目は離していなかったはずだが、気付けばその角椅子は彼女にとっての終の棲家のようになっていた。 声をかけるは躊躇われたが、満面の笑顔を向けられればなぜだか狼狽えてしまう。 めくられる手指の繊細さと瞳の動きは文学少女のそれである。

2017-06-02 00:07:09
東和瞬 @honyakushiya

「この本は大久保純の『日夜ひとつがたり』です。近影を拝見いたしますに、よおく似ていらっしゃいますね、黄連雀夢人先生(・・)?」 無論格段に隠す手管を弄したわけではないので、作家として名を呼ばれたとて驚く筋合いはないのだが。 自意識も過剰に膨むまい。おそらくは己のファンであろう。

2017-06-02 00:08:45
東和瞬 @honyakushiya

近頃は任せきりの上、鏡を覗き込む趣味もないがなるほど、彼女の口を借りれば似ているのかもしれない。 娘は私の顔と大久保氏の写真を突き合わせ、まるで同じく画家の先生が描いたようだと妙なことを言う。 気鬱な顔立ちの作家と言えばそうかもしれないが、それを言うならこの子も誰ぞやに似ている。

2017-06-02 00:09:52
東和瞬 @honyakushiya

「サインをいただけませんか、先生。今日会ったばかりの私に、出来れば八十五年後くらいまでには残りますようお気持ちを込めて」 八十五とはなんのことか。お気持ちというに、なにかが思い出されたが差し出された著作を見るに、鮮明に思い起こされる。 あれは現にありつつ無我夢中となった話である。

2017-06-02 00:11:03
東和瞬 @honyakushiya

だから。夢人は万感の念を込めて万年筆を走らせた。 訊く。 「宛先は、なんと」 娘に熱が籠った、瞳の色まで明々としている、そんな気がした。 焦げたにおいがする、辿っていくと娘の装束に差し込まれた一本の煙管。ふぅと、息を吐いたのは誰だったか。 「一服、駄目でしょうか?」

2017-06-02 00:12:06
東和瞬 @honyakushiya

息に色はなく、私が問い返す前に客は答えた。 「カラス。キーラ・カラス。それが私の名前ですが……、先生が書き留める前に少しおはなしをしませんか?」 願わくば、この印象が末永く残りますように。黄連雀の鳥が鴉に――。 そこまで言って区切った。

2017-06-02 00:13:00
東和瞬 @honyakushiya

余韻のつもりだろうか、口さの無い娘の言いたいことはわかっている。 なにかと永遠を求めたがる年頃だ。 けれど、娘は少し泣きたくなったのだろうか。だから何も口に出しはしない。 黄連雀とカラスの間に衝立をかけるようにして、本を置く。開いたままだから丁度翼を開く様な塩梅、それで目隠しだ。

2017-06-02 00:14:30
東和瞬 @honyakushiya

奇しくも開かれた頁は鴉の目潰しの話だった。

2017-06-02 00:15:02
東和瞬 @honyakushiya

「優れた作家は優れた読者を心の内に飼っているとおっしゃるのに、ああ駄目。先生は鳥籠などなくても読者を縛り付けることが出来ているというの?  それとも帰巣本能とでもいうの。私は数多ある読者の一人でしかないというのに、嗚呼この思いはけして叶うことは無いのですね!」 娘は、逃げ出した。

2017-06-02 00:15:38