折鶴蘭の少女 226 藍斗は紅茶好きな反面、コーヒーにも多少のこだわりがあった。もっとも、極端に苦いものや味の濃いものは苦手だった。 「飲み干すと、何か起こるかも」 予想しつつ、キョーカもカウンターへ足を進めた。 「その本……読んでもいいですか?」 227へ
2017-06-05 17:18:23227 藍斗が恐る恐る雅に確かめた。 「うん、どうぞ」 雅の快諾に背を押され、藍斗は、本の頁をめくった。内容は、倒産しかかった炭鉱が異世界に繋がるという筋のようだ。 「つまらないファンタジー小説の出来損ないみたいです」 藍斗は慈悲の欠片もないコメントを述べた。 228へ
2017-06-05 17:19:26228 「あれ、でもあたし、聞き覚えがある」 キョーカが顔をしかめて首を傾げた。 「どこで!?」 図らずも、雅と藍斗が声を合わせた。 「良く覚えてない……何かの時代劇フェアの展示会だった。ように思う」 「コーヒー飲んだら思い出すかもよ」 雅が冗談めかして言った。 229へ
2017-06-05 17:20:27229 だからというのでもないだろうが、キョーカもカウンターの前に座り、コーヒーカップをつまんだ。 「じゃあ、私も」 藍斗がキョーカにならい、こうして三人はカウンターに並んで座った。クリームを入れた小さな銀色のポットもあり、藍斗は中身を自分のコーヒーに注いだ。 230へ
2017-06-05 17:21:43230 三つの手がカップを傾け、濃い目のコーヒーが少しずつ減っていく。薬効というほど大袈裟ではないにしろ、いささか疲労に覆われかけていた頭には良く効いた。 「ねえ、この升気って人……」 キョーカが言い終える前に、突然雅と藍斗の姿が消えた。キョーカも例外ではなかった。 231へ
2017-06-05 17:22:45231 床が突然、カウンターごとまとめて下に下がり、一同は地下に放り出された。落ちた先は柔らかいクッションか何かで、二、三回バウンドしたものの、誰もどこにもケガはなかった。 「キョーカパイセン! 藍ちゃん! ケガはない!?」 「はい、大丈夫です」 「あたしも」 232へ
2017-06-05 17:23:34232 幸運にも、一同は懐中電灯を手放してはいなかった。コーヒーカップも本もどこかにいってしまたものの、周りを確かめるのには差し支えない。 「何これ……」 懐中電灯のスイッチをつけるなり、雅は呻いた。三人は、巨大なトンネルの中にいた。ただし、床はコンクリートでも 233へ
2017-06-05 17:24:22233 石でもない。ゴム製のベルトコンベアだ。 「何とか、お店まで……」 と、口を開きかけた藍斗をよそに、ベルトコンベアががくん、と三人を揺さぶり、かなりの速さで動き始めた。悲鳴を上げる暇もない。立ち上がるのさえままならない状態が続き、時ならぬ苦行は数十分続いた。 234へ
2017-06-05 17:25:07234 そして唐突に終わった。ベルトコンベアの終点は、即ち落下であった。比喩ではなく物理的に一同は落ちた。その先は、大きな船の甲板に設けられたトランポリンだった。三人は、傷つくことなく大きくバウンドし、何度かそれを繰り返す内に収まった。 「みんな、大丈夫?」 235へ
2017-06-05 17:26:02235 雅が、大して痛くもない腰をさすりながら聞いた。 「大丈夫です。でも髪がめちゃくちゃです」 藍斗は常にロングヘアを手入れする女の子だった。 「まあ、何とか」 キョーカは淡々と答えた。 落ち着いて状況を確認すると、自分達が貨物船にいるのが確かめられた。 236へ
2017-06-05 17:26:58236 貨物船は、岸壁に横づけされている。辺りの匂いから、海なのは明白だ。海面から上甲板までは七、八メートルはある。埠頭から上甲板までは三、四メートルか。運動経験のない人間が飛び下りるにはためらう高さだ。船橋は、舳先から見て、一同の後ろにあった。 237へ
2017-06-05 17:27:40237 即ち今立っている甲板は船の前部にあたる。それらとは別に、埠頭には、長く突き出た四角形の巨大なパイプのようなものがあった。それは、末端で折れ曲がり、さっき跳び跳ねたトランポリンの上で途切れていた。 「いったん岸壁に……」 言いかけた雅は身体ごとがくんと揺れた。 238へ
2017-06-05 17:28:25238 船が動き出し、港が揺れ始める。いや、揺れているのは船で、港は少しずつ小さくなり始めた。飛び降りるかどうかためらう内に、船は岸壁から大幅に隔たってしまった。 「こ、この船、誰が動かしてるの?」 無意味と知りつつ言わずにはいられない雅であった。 239へ
2017-06-05 17:29:23239 「分からないです。でも、あそこにハッチがあります」 開いたままのハッチがぽかんと口を開けている。 「雨が降りそう……」 キョーカが空を見上げた。まるで、『出港』そのものが、天気の女神の機嫌を著しく損ねたようだ。 「中に入ろうか」 雅が確かめるまでもなく、 240へ
2017-06-05 17:30:40240 小粒ながら雨が一同の髪に指跡をつけ出した。否応なしに、ハッチまで早足に歩き、次々と中に入った。すると、壁に密着した梯子段があり、それを伝った。船内は大して揺れておらず、それでいて、分厚いガラスに仕切られた丸い船窓にはひっきりなしに雨が当たっては流れていった。 続く
2017-06-05 17:32:35折鶴蘭の少女 241 梯子段を降りきると、オレンジ色の床があり、大人三人分ほどの幅で廊下として前後に伸びていた。梯子段のすぐそばには、プラスチック製の案内板が壁にネジ留めされている。矢印が三つあり、上は前部上甲板、向かって右は貨物室、同じく左は資料室とある。 242へ
2017-06-06 19:26:33242 「貨物室に行ってもしようがないよね」 雅は言った。こんな異常な事態で、何を積んでいようと役立つものがあるとは思えない。 「資料室に行きますか」 藍斗が促し、三人で資料室を目指した。途中、内壁沿いに幾つかドアかあったものの、いちいち確かめずに歩いた。 243へ
2017-06-06 19:27:40243 残り体力が充実しているとは言いがたい以上、目的を絞って確実にこなすのが鉄則で、全員がそれを弁えていた。 資料室のドアは、廊下が折れ曲がる角口にあった。ドアそのものにプレートがあったのですぐ分かる。雅は、警戒を途切らせないよう集中しつつ、ゆっくり開けた。 244へ
2017-06-06 19:28:23244 廊下よりも明るい光が室内から漏れ、顔をしかめる。 「今日は、雅さん。そして、藍斗さんにキョーカさんも」 柔らかい、ゆったりした挨拶をかけられ、かえって一同は反応に困った。なるほど、資料室というだけあって、書類棚とファイルに埋め尽くされた部屋ではある。 245へ
2017-06-06 19:29:01245 部屋の奥にはカウンターがあり、役場で目にしたのと同じ型のデスクトップパソコンがあった。その向こう側には、いましがた挨拶をしてきた女性が、背もたれつきの回転椅子からたったところだ。染めていないひっつめ髪をしており、リクルートスーツに近い薄緑色の制服を身につけ、 246へ
2017-06-06 19:30:01246 胸ポケットには折鶴蘭を挿している。まだ若いが、学生というには年を重ねている容姿だった。 「今日は。失礼ですが、どなたですか?」 刺々しくならないよう、注意深く雅は尋ねた。 「申し遅れました。私はりおんと申します。当船の事務長と資料室長を兼務しております」 247へ
2017-06-06 19:31:11247 優雅とさえ言えるほどに、丁寧な回答だった。 「私達は、友人を探す内に、この船に間違って乗ってしまいました。申し訳ありませんが、一度港に戻って頂けないでしょうか。それと、無線が通じるなら警察に連絡をお願いしたいです」 「そのお友達とは、この方ですか?」 248へ
2017-06-06 19:32:13248 カウンターの向こう側から、りおんは、一体の人形を出した。雅が拾ったものと全く一緒だ。 「な、何故同じものが……」 絶句した雅に代わり、藍斗が絞り出すように言った。 「冗談です。半分は。失礼しました。佐宮さんは当船においでです。ご本人の自由意志ですので念のため」 249へ
2017-06-06 19:33:40249 矢継ぎ早に驚愕の事実が……本人の主張が正しければだが……明かされた。 「佐宮さんが、どうしてこの船に乗るようになったんですか?」 藍斗が質問した。 「当船は第三幸天丸と申します。今から60年前に海難事故で沈没しました。その時、佐宮さんが生まれたのです」 250へ
2017-06-06 19:34:45250 「はあ?」 キョーカが露骨に首をひねった。佐宮は未成年である。第三幸天丸は海難事故に会ったのではないのか。 「佐宮さんは、今も生まれ続けています」 「クローン人間とでもいうのですか?」 雅が質した。 251へ
2017-06-06 19:35:34