吉田健一、「東京の昔」 読書メモ

「東京の昔」で気に入った箇所をてけとーに写経(抜き書き)していくメモ。ハッシュタグついてないものは関連した自分の感想とか連想とかそういうの
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m_um_u @m_um_u

これは本郷信楽町に住んでいた頃の話である。当時は帝大の前を電車が走っていたと書いても電車も帝大も戦後まであることはあったのだからそれだけでは時代を示したことにならない。 #tokyo_memories

2010-03-27 08:37:33
m_um_u @m_um_u

それならば日本で戦前だとか戦後だとかいうようなことになると誰も夢にも思っていなかった時代ということにして置こうか。 #tokyo_memories

2010-03-27 08:38:22
m_um_u @m_um_u

兎に角帝大と電車が出たのだからこれが文久三年と言った大昔でないこと位は解る筈である。どうもその頃はその電車が通っている道も砂利道だったような気がする。 #tokyo_memories

2010-03-27 08:39:36
m_um_u @m_um_u

それだから春になって温い風が吹き始めると埃が立ち、そのために電車通りに並ぶ古本屋の店先の本がざらざらした。 #tokyo_memories

2010-03-27 08:40:55
m_um_u @m_um_u

別に昔の時代はよかったというのではなくて(中略)帝大の前を電車が春風に砂埃を上げて走っていた頃に就て一つだけ言えることは生活が楽だったということである。 #tokyo_memories

2010-03-27 08:42:51
m_um_u @m_um_u

当時は一円を百で割った一銭というものがあってこれがいまの十円銅貨の倍はある大きさのどうかの形で人から人へと手渡されて一円はお札だった。 #tokyo_memories

2010-03-27 08:45:06
m_um_u @m_um_u

その上に五円札、十円札というのがあって十円札が猪と呼ばれていたのは覚えているが一円札の別名が何だったかはもう思い出せない #tokyo_memories

2010-03-27 08:45:10
m_um_u @m_um_u

それよりも五十銭銀貨がギザ一でそのことが記憶に残っているのはこの方が手に入れやすうて結構使いでがあった為と思われる。 #tokyo_memories

2010-03-27 08:46:45
m_um_u @m_um_u

そのことから暮らしの話に戻って例えばその頃は横浜までコーヒーの粉を仕入れに行ってこれを東京の懇意な喫茶店に卸して廻っても一日三、四円、どうかすると五、六円にもなった。 #tokyo_memories

2010-03-27 08:48:30
m_um_u @m_um_u

それが盛り蕎麦が七銭の時代にである。 #tokyo_memories

2010-03-27 08:49:01
m_um_u @m_um_u

要するにどうにでもこうにでも暮らしは立ってその一時の稼ぎでも何日でも、或は運がよければ何ヶ月でも懐手をして生きて行けたから定職がないことに自然なったが初めに書いた通り住所不定ではなかった。 #tokyo_memories

2010-03-27 08:50:26
m_um_u @m_um_u

昨日、川崎大師駅にいったら「行ったことのある光景」としておぼろげにおぼえてた。あそこが地図の空間的にどのような位置にあったのか、というのは当時わかっていなくておーざっぱに「横浜の近く」って感じだったんだけど、場の雰囲気のようなものは覚えているものなのかなぁ、って。

2010-03-30 05:30:41
m_um_u @m_um_u

ちょうど同じ時期、かなまら祭りを見に行ったし。 一方で吉田健一の「東京の昔」を読みながらこの作品のテーマ(のようなものがあるとしたら)「場の記憶」のようなものなのだろうなぁ、って。あの当時の東京にしかなかった独特の場の雰囲気とその記憶。アウラと一言にいってもいいけど

2010-03-30 05:32:33
m_um_u @m_um_u

たしか保坂が「カンバセイション・ピース」で目指していたのもそれだった。「家に宿る記憶」のようなもの。 そういった明示化し難いもの≠「語りえぬもの」を直接的にではなく外枠から浮かび上がらせていくことに小説というか文学的なもののひとつの意義があるのかな、とかおもう

2010-03-30 05:34:55
m_um_u @m_um_u

保坂のあとがきかなんかのなかで「吉田健一的なもの」な話がでていて、それをたどって吉田に行き着いたのだから両者のテーマが共通してくるのは当然と言えば当然なんだけど、「ステータスなんかに関係のないなんてことはない会話」のほうがメインかと思っていて「場の記憶」のほうは気付かなかった

2010-03-30 05:37:53
m_um_u @m_um_u

拡張現実(AR)なエアタグで「場・空間にまつわる記憶を明示化→アーカイブしていこう(いくだろう)」みたいな話があるけれど、明示化されることに反対に失われるものもあるのかなぁとか思ったりする。 センチメンタリズムだろうけど

2010-03-30 05:41:03
m_um_u @m_um_u

小説なんか読んでてもあらすじ全部っていうか自分にとっての印象的な場面がキーになって残って、それは「におい」によって記憶が喚起されるのと似ていて、 そういうのはわりとホロスコープっぽい

2010-03-30 05:47:27
m_um_u @m_um_u

人によるところもあるのかもだけど、けっきょく記憶に残るのは物語というよりもそういう雰囲気の全体だったりする。 「あの小説のあの場面の食い物うまそうだったな」とか「あの草原でひなたぼっこしてるシーン好き」とか

2010-03-30 05:50:41
m_um_u @m_um_u

ホロスコープではなくホログラムだな QT @m_um_u: 小説なんか読んでてもあらすじ全部っていうか自分にとっての印象的な場面がキーになって残って、それは「におい」によって記憶が喚起されるのと似ていて、 そういうのはわりとホロスコープっぽい

2010-03-30 06:55:04
m_um_u @m_um_u

砂利が敷かれたばかりとただの泥道の中間くらいが砂利道の見どころである。その辺ならば道は一応平たくなっていて歩き易くてその上を懐手をして行けば天気の日にはまだ土から頭を出している砂利の灰色が土の茶色とこっちの目には馴染みの配合をなし、 #tokyo_memories

2010-05-19 22:27:31
m_um_u @m_um_u

それが雨の日か雨上がりならば砂利も泥も妙な具合に光って雨の道の観念を完成する。 #tokyo_memories

2010-05-19 22:28:15
m_um_u @m_um_u

もしその辺の当時は勿論木の電信柱に自転車が立て掛けてあったりすればそれで文句なしに雨の日の東京というものが出来上がって筆太に書いた下駄屋の立て看板とともにここは東京だという思いに人を誘わずにはいなかった。 #tokyo_memories

2010-05-19 22:29:26
m_um_u @m_um_u

それは夜鳴き蕎麦の笛の音や羅宇屋の汽笛や晴れた日に空を舞う鳶と同様に東京の一部をなしていたので人口が何百万だとか東京市がいつの間にか東の京都に変ったとかいう泡沫の現象と違ってこういうものが東京であり、 #tokyo_memories

2010-05-19 22:31:26
m_um_u @m_um_u

その為に東京が東京という町だったのでその空を舞う鳶がいなくなったのならばその代わりになるものが出来ない限り居間の東京は東京でもなければどこの町とも呼べるほどのものでさえもない。 #tokyo_memories

2010-05-19 22:32:30
m_um_u @m_um_u

「冷えますね、」と勘さんが呟いた。その頃の東京は確かに寒かった。最近の冬がそれ程でもないのに就ては地球全体がそうなのだとか色々な説が行われているが大事なことはその頃冬になるといやでも冬ということを思わずにいられない位寒かったことなので #tokyo_memories

2010-05-19 22:36:21
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