差別感情があるからこそ差別語が生まれ、そして差別語というタブーはそこに潜在する差別感情の存在を逆説的に証明している。

米国に徹底的な差別語のタブーがあること、そのことが米国における差別感情の強烈さの証左なのだ。 形式的に単語を排除することで、なかったことにしているが、実はそのような作業が差別を顕在化させている、その皮肉に気づいていない。 ぼくが放送禁止用語に拘泥する態度を嫌いなのは、その政治的な正しさこそが差別感情の証左だからだ。
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岩田健太郎 K Iwata @georgebest1969

今書いている本のスケッチ。全然推敲してないので、乱文ですみません。 トランプ大統領がキューバとの関係を再度悪化させようとしている。この大統領は本当にオバマ前大統領のやったことを全否定するために存在しているような大統領だ。

2017-06-18 08:53:25
岩田健太郎 K Iwata @georgebest1969

このことは、米国に根強く残る差別主義と深く関係している。人種差別主義と、ミソジニー(女性差別主義)だ。トランプを大統領までにまつりあげた最大のエネルギー源は黒人嫌いと女性嫌いである。オバマとヒラリー・クリントンを全否定したい、という欲望がトランプをサポートしたのだ。

2017-06-18 08:54:12
岩田健太郎 K Iwata @georgebest1969

もちろん、米国民もメディアも表立ってはそれを認めはしないだろう。米国はポリティカリー・コレクトな国であり、あらゆる差別を形式的に否定するからだ。トランプ自身だって絶対に否定するだろう。しかし、ぼくは彼らの言動や仕草や目配せから、容易にその憎悪感情を読み取ることができる。

2017-06-18 08:54:46
岩田健太郎 K Iwata @georgebest1969

だからこそ、むしろ彼らは皮膚の色や性別で相手を差別するような言動を執拗に避ける。その執拗さこそが差別感情の裏返しなのだが。

2017-06-18 08:55:06
岩田健太郎 K Iwata @georgebest1969

ぼくの知人の女性医師(黒人)は、「黒い肌を黒い(black)と呼んで何が悪い。そのような呼称を拒み、African Americanなどというへんてこな呼称を付けることで差別をなかったコトにすること自体が歪んだ差別感情だ」と憤っていた。

2017-06-18 08:55:32
岩田健太郎 K Iwata @georgebest1969

白人はWhiteのままだし、彼らも遺伝学的なオリジンを考えるならば、African Americanであろうに。

2017-06-18 08:55:46
岩田健太郎 K Iwata @georgebest1969

そもそもニガー、ニグロ(negro)という呼称も黒いという価値中立的な単語である。それを差別語にしたのは差別感情だ。差別感情がなければnegroは中立的な「黒」に過ぎず、従ってスペイン語ではnegroは普通に黒という意味しかなくイタリア語ではnero、フランス語ではnoirだ。

2017-06-18 08:56:44
岩田健太郎 K Iwata @georgebest1969

マーティン・ルーサー・キング牧師が演説でWe negroと自身(ら)をニグロと呼んでいて昔驚いたことがあるが、驚くほうが間違っていたのだ。キング牧師にとって黒は価値中立的な色の一つに過ぎず、そこにいろいろ斟酌や忖度を加えているのはぼくらの差別感情だ。

2017-06-18 08:57:02
岩田健太郎 K Iwata @georgebest1969

差別感情があるからこそ差別語が生まれ、そして差別語というタブーはそこに潜在する差別感情の存在を逆説的に証明している。米国に徹底的な差別語のタブーがあること、そのことが米国における差別感情の強烈さの証左なのだ。

2017-06-18 08:57:18
岩田健太郎 K Iwata @georgebest1969

日本から米国に渡った女性の多くが日本と違って米国では女性蔑視が少なく「女性が活躍しやすい」社会だと褒める。そうではない。例えば米国の女性医師は他国と比べると給与が低く昇進もしにくい。米国の強烈なミソジニー、しかし表面的には女性蔑視的な発言ない。そのトリックに気づくか、気づかないか

2017-06-18 08:58:11
岩田健太郎 K Iwata @georgebest1969

米国の病院ではno blame, no shameといってカンファレンスとかで他のドクターを貶めることはしない。が、カフェテリアとかで散々陰口は叩かれているのである。

2017-06-18 08:58:29
岩田健太郎 K Iwata @georgebest1969

イギリス人とフランス人は何度も戦争しあっている「仲の悪い」国だ。しかし、実際には仲が良い。だから、彼らは悪口を言い合う。「イギリス人は毎日同じものしか食べない味音痴だ」「フランス人は毎日食事の時間に次の食事の献立のことを考えている食い物バカ、フロッグイーターだ」。

2017-06-18 08:58:49
岩田健太郎 K Iwata @georgebest1969

この軽い罵り合いの許容こそが彼らの仲の良さの証左である。その証拠に、日本人は隣国の悪口を(匿名のSNSでないかぎり)絶対に言わない。怖くて言えない。仲が悪いからだ。

2017-06-18 08:59:06
岩田健太郎 K Iwata @georgebest1969

いじめられる、といじられる、は「め」がないだけで大きく意味が変わる言葉だ。前者は対象者を不快にし後者は対象をも愉快にする。「いじり」は質の高いコミュニケーションで、それこそが仲良さの証ですらある。両者の区別は極めて困難で紙一重だ。しかし、いじることといじ「め」ることは大きく異る。

2017-06-18 09:00:08
岩田健太郎 K Iwata @georgebest1969

ぼくが放送禁止用語に拘泥する態度を嫌いなのは、その政治的な正しさこそが差別感情の証左だからだ。形式的に単語を排除することで、なかったことにしているが、実はそのような作業が差別を顕在化させている、その皮肉に気づいていない。

2017-06-18 09:00:29
岩田健太郎 K Iwata @georgebest1969

故・三遊亭圓歌は吃音者であり、それを治すために噺家になった。彼は自分をネタにしてそれをいじった。「あたしにはどもりがあって」という「どもり」は落語の中では自然な言葉で、園歌がそれを言ったからといって誰かを差別しているわけではない。当たり前だ。

2017-06-18 09:00:53
岩田健太郎 K Iwata @georgebest1969

しかし、NHKの中継などではそれを「吃音」と言い直すことを強いられる。落語にいきなり医学用語が出てくるから、ぼくらはその不自然さにむしろ注目してしまう。差別のリプロデュースである。

2017-06-18 09:01:22
岩田健太郎 K Iwata @georgebest1969

眼の不自由な人のために本を朗読、録音するボランティアをしていた人が、ある小説に「めくら」という単語があり、この単語を政治的に正しい用語に治すよう要請された。なんと残酷な話だろう。これによって、朗読を聴いた人は原典に何が書かれているかを構造的に知ることができなくなってしまったのだ。

2017-06-18 09:02:11
岩田健太郎 K Iwata @georgebest1969

ときどき、相手を貶める「差別語」を口にしても人間関係が崩れない。その単語が差別語にならない。その「いじり」が「いじめ」に転じない。ここが目指すところである。言葉を変えて、政治的な正しさを保証しても問題はまったく解決しないし、それがむしろ問題を闇に葬って「なかったこと」にしてしまう

2017-06-18 09:02:37
内田樹 @levinassien

@georgebest1969 むかし、「座頭市」をテレビで放映したとき、オリジナルの「このドメクラ」という台詞がPC的配慮により、全部「口パク」にされていました。この言葉を口にした連中はそのあと激怒した市さんに全員叩っ斬られてしまうのですが「こういうことを言うと天罰が当たりますよ」というメッセージはどこへ。

2017-06-18 09:40:19