旧約聖書のレビ記第18章22節には同性愛を禁じている聖句がある『あなたは女と寝るように男と寝てはならない。これは憎むべきことである』同性愛を禁じるには深い理由があるameblo.jp/lopnur68/entry…
2017-06-15 08:23:08キリスト教では隣人愛が最高の律法ですし、ユダヤとしても創世記19章のソドムとの関連が指摘されているレビ記20章13節を同性愛のみに向けるのは、申命記1章13-17節に抵触します。 twitter.com/seishonoyogen/…
2017-06-15 14:26:01旧約聖書のレビ記第18章22節には同性愛を禁じている聖句がある『あなたは女と寝るように男と寝てはならない。これは憎むべきことである』同性愛を禁じるには深い理由があるameblo.jp/lopnur68/entry…
2017-06-19 20:23:08@hosotaka 新約聖書のマタイ22:36~には神を愛しなさいとあります。そしてヨハネ14:14~には神を愛するなら戒めを守りなさい、とあります。神を愛し、戒めを守り、そして自分を愛するように隣人を愛する。ただそれを行ないたいだけです。
2017-06-24 00:06:14@seishonoyogen ローマ人への手紙3章28節には、「人が義と認められるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。」とありますよ。
2017-06-24 00:10:34@seishonoyogen また、同性愛(homosexuality)という単語は、19世紀末にできており、聖書が成立したのが1世紀ころですから、時代背景を無視しては正確な聖書読解できないのです。
2017-06-24 00:11:34@seishonoyogen また、あなたが示したレビ記第18章22節は、創世記19章5節との関連が指摘されておりますが、大半の同性愛者はソドムに住む者のようなことはないので、申命記1章17節に基づき不当と言えます。
2017-06-24 00:17:31@hosotaka 時代背景を無視してはいけないと思いますが単語があったかどうかはそれほど問題ではないと思います。行為があったかどうかだと思っています。そして聖書の読解は字面だけでなく心での理解が必要だと思っています。御霊を通しての理解が大切だと思います。時代背景の詳細を理解するのは困難だからです。
2017-06-24 00:24:00@seishonoyogen 私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です。 ガラテアの手紙2章21節
2017-06-24 00:24:34@seishonoyogen 行為があったかどうかだとしても、律法の行いによる義ではなく、信仰の義がキリスト教であり、害を与えてもいない同性愛者がいるならば、許容する以外ないのでは?
2017-06-24 00:25:36@seishonoyogen 「時代背景を無視してはいけないと思いますが単語があったかどうかはそれほど問題ではない」と神学を事実上否定していて、どうして神様に良き忠実なしもべとおっしゃってもらえるのでしょうか?
2017-06-24 00:29:52@seishonoyogen 小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実(ルカ16:10)
2017-06-24 00:30:26@hosotaka それで言うと信じているのに戒めは守らない、という矛盾が生じてしまうのではないかなと思います。ちなみに私は同性愛の方々を非難しているのではなく、戒めを守れるように色んな方法があるのでは?と考えています。もっと発想を変えるとかっていう議論がされても良いのでは?と思っています。
2017-06-24 00:32:29@seishonoyogen 律法を行うことによっては、誰一人神の前に義と認められないから、イエス・キリストによる贖いによる信仰の義としているのがキリスト教なのに、どうして、あなたは、「戒めを守れるように色んな方法があるのでは?」と考えているのか?
2017-06-24 00:41:20@seishonoyogen 信じているが、律法の行いによる義が達成できない人は、神の恵みとイエス・キリストの贖いによって、価なしに義(信仰の義)が与えられないのでしょうか?
2017-06-24 00:44:19@hosotaka 聖書は色んな言語に翻訳される過程でそのニュアンスも変化するものだと思ってますので行為そのものがあったがどうか、が私は問題だと思っています。神学を否定したりもしていません。例えば時代背景を全部あるいは深く理解して聖書を読むとなると莫大な時間と知識が必要になると考えています。
2017-06-24 00:49:49@seishonoyogen 神学を否定していないのであれば、どうしてあなたは信仰による義ではなく律法の行いによる義人はおらぬのに同性愛者に律法の行いを求めたり、そのような論を拡散するのか? できないことを求めたり、神学として無理のあることを拡散することは、隣人愛に適うことでしょうか?
2017-06-24 00:53:34@seishonoyogen 行為があったとしても、律法の行いによる義人はおらず、神の恵みとイエス・キリストによる贖いによる義が信じる人すべてに何の差別もなく与えられるのですから、結論は同じです。
2017-06-24 00:55:59@hosotaka 害を与えていようがいまいが同性愛者を否定はしません。私たちには選択の自由があるのでそれを阻害する事はできません。ただ、もしその人が同性愛が罪であると自覚し助けを求めたとき、もっと色んな方法で助けれるのではないかな?という事に私は関心があるのです。
2017-06-24 00:57:07@hosotaka ヤコブの手紙2:17には行ないの伴わない信仰は死んだものである、と書かれています。私は神の戒めを守ろうとする時、神からの助けが与えられると信じています。人一人ではできない事が多いですけど神からの助けがあれば戒めを守れると思っています。
2017-06-24 01:09:26@seishonoyogen まず、克服することではないと考えています。そもそも、なぜ、同性愛者が同性愛という属性の一部を克服しないといけないのですか?
2017-06-24 01:20:16@seishonoyogen それに、ヤコブの手紙のその箇所は、生活に困っている兄弟・姉妹への支援を意味しており、同性愛についてではありません。
2017-06-24 01:21:31