雨の日に切歌と調がクリスと一緒に帰る話
「降ってるね」 「そデスね……」 手のひらを天に差し出して確かめるまでもない。 午後から怪しくなり始めた雲行きはいよいよ日の光を遮り、地面からは湿り気とともになんとも言えない独特の匂いが立ち昇ってくる。 雨の降り始めだ。 1
2017-06-24 14:00:00昇降口ではその日の授業を終えた多くの生徒達が出入りしている。 時折途切れることはあるが、こんな所でアテもなく立ち止まっている者はいない。 帰るなり、部活動なり、あるいは学生らしい放課後の寄り道といった目的のために自然と足を動かしている。 2
2017-06-24 14:03:00「急なトラブルには困ったものデス。せっかくの放課後だというのに」 「でもここで帰るのはつまらない。ぜったい楽しもう」 「もちろんデス!んー……なにか、なにか……」 こんな調子で深刻になりすぎないよう振る舞うものの、二人が自由に使える時間は同年代の若者達に比べてはるかに少ない。 3
2017-06-24 14:06:01今日はその数少ない自由時間のはずだったが、しとしと雨の空模様。 人々で賑わう街を歩き、クラスメイトが話題にしていた甘いものを二人で食べ、ついでに後回しになっていた日用品のまとめ買いにもいこうか。 そんな他愛もないしかし贅沢な時間の使い道が、今こうして潰えかかっている。 4
2017-06-24 14:09:00もしこのまま何も出来ずに帰ってしまうことになれば、前々から計画していただけに落胆は決して小さくないはず。 だが、短気にならず、表情にもそのまま出さないぐらいには二人とも大人びていた。 5
2017-06-24 14:12:01そうこうしているうちに二人の横をまた何人もの生徒が通り過ぎていった。 これ以上この場に留まっているのも時間を無駄にしすぎる。 どうにかして取り返したい。しかし代わりとなるものは……。迷いながらいよいよ観念して鞄から折りたたみ傘を取り出そうとした切歌の手が、不意に止まった。 6
2017-06-24 14:15:00「あっ!」 色とりどりの雨傘と何人もの背中に遮られ見落としていたものが視界に映り込んだ。 「そうだ調!こういう日にしかできないことをすれば良いんデスよ!」 まるでお日様の笑顔!そのまま鞄へ傘を押し込み、調の手を取った。 7
2017-06-24 14:18:00咄嗟のことだったが調も握り返すと、すぐに切歌の視線を追った。 すると見間違えるはずもない後ろ姿を見付け、ささやかなたくらみを理解した。 二人にとって頼もしくも小さなあの背中だ。 8
2017-06-24 14:21:00楽しもうと心に決め、過ぎていく時間に抗っていた二人の足が勢い良く前に出た。 今、二人の間には差すべき傘が無いのだ。 少しでも濡れない為には、駆け出すしかない。 「クリス先ぱーい!」「待って欲しいデース!」 「お?」 9
2017-06-24 14:24:01通学用なのだろう。本人が私服などで好んでいるブランドに比べると幾分落ち着いたデザインの赤い傘が振り返る。 雫を浮かべた傘は見ようによっては一輪の花のようでもあり、雨越しに伺えた表情はどこか物憂げで触れがたい印象を放っていた。 10
2017-06-24 14:27:01だがそんなことはお構いなしだ。 「一緒に入れてください!」「お願いデースッ!」 二人は何人も生徒を追い越し、まるで飛び込むような勢いで突っ込んだ。 11
2017-06-24 14:30:01騒がしいが、もはや馴れたものだ。 慌てて追ってきた後輩を目の前にすると、クリスは大きく息を吐いた。 こんな雨の日にはそれに見合う雰囲気にひたるつもりでいたが、この晴れ晴れとした性格を前にするとそんな気持ちは引っ込めないといけない。 その切り替えだ。 12
2017-06-24 14:33:01「なんだよお前ら天気予報見てなかったのか!?」 急な出来事ではあるがクリスは不機嫌になることもなく先輩として気さくにこれに応えた。 「いえいえ。私はてっきり調が傘を持っているものだとばかり」 「切ちゃんこそ。いつでも差し出せるように用意していると思っていたのに」 13
2017-06-24 14:36:01確かめ合うまでもない。互いになすりつけているように聞こえるが、これは相通じ合う二人の息の合ったアドリブだ。 「ああ、もう!二人ともおんなじじゃねーか!」 「「うう……」」 クリスは二人の芝居にはどうやら気付いていない様子だ。 14
2017-06-24 14:39:01「ほら……もっと入れよ。肩濡れるぞ」 そう言ってクリスは愛用の傘をほとんど二人に押しつけた。普通なら一人用、二人なら我慢しなくてはならない広さしかない。 「それはダメ!クリス先輩が入れなくなる」 「いいんだよ。こういう時にはカッコつけさせろ」 15
2017-06-24 14:42:02三人のうち誰かの背中は傘から外に出ている状態が続く。 二人にしてみればほんの小さな遊びのつもりだっただけに、こうなっては申し訳なさを感じてくる。 「もっとぎゅうぎゅうに詰めれば!」 「クリス先輩をはさんでくっつけば完ペキなのデス!」 16
2017-06-24 14:45:00「……なんだこれ!なんなんだこれッ!」 「完璧」「完ペキデース!」 結局、二人はクリスを挟んで密着。その上、二人が一本の傘を掴むことで落ち着いた。 顔と顔が近いし、外側の肩が少しばかり濡れるし、途中で通り過ぎて行った親子には何か笑われたようにすら思う。 18
2017-06-24 14:51:00あまり速く歩けないし、人とすれ違うのも大変だった。面倒で仕方がない。 それなのに、クリスはあることに気が付いた。 「ところで今日はやたらと笑ってるな」 「そうデスか?」「きっと楽しいから」 楽院での生活こと、授業のこと、先生のこと、クラスメイトのこと……。 19
2017-06-24 14:54:00普段の倍近くかかって歩いた今日この日の道のり。そこでは絶えず誰かが話し、賑わい、笑っていた。 途中あんまりにもハイペースで盛り上がり、喋り疲れてしまった程だ。 20
2017-06-24 14:57:00やがて三人はある交差点までやってきた。 そのことに気が付くと切歌の口数は目に見えて減り、それから名残惜しそうにこう切り出した。 「……方向も違うしここまでで大丈夫デス!」 「ありがとうございました!」 振り返れば短い時間のことだったが、なんと密度の高い帰り道だったろう。 21
2017-06-24 15:00:00「そっか。帰ったらすぐ着替えとけよ。風邪なんか引くんじゃねえぞ」 「はい、先輩も。それじゃまた」「ごきげんようなのデス!」 調は礼の後に小さく、切歌は元気に大きくそれぞれ手を振り背を向けた。 クリスの目の前でまた手を繋ぐと、二人ははじめにそうしたのと同じように走り出した。 22
2017-06-24 15:03:01こういう時、クリスは最後まで見届けようとするので、適当なところで角を曲がることにした。 それからすぐにペースを落として数歩進むと今度こそ切歌は鞄の底から折りたたみ傘を取り出した。 今度は二人の肩が触れた。くすぐったくて自然と少し笑いがこぼれた。 23
2017-06-24 15:06:01「クリス先輩いて良かったね、切ちゃん」 「デスデース。こんなことが出来るのも一年間だけデスからね!」 話題の甘いものはまた別の日にも行けるだろう。 24
2017-06-24 15:09:00だが、雨の日に二人がクリスと一緒に三人で帰れるタイミングは次にいつ訪れるか分からない。 こんな帰り道の想い出は、そう簡単には手に入れられないだろう。 二人の繋いだ手を離さないよう、雨はしとしと降り続けた。 25
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