- JunNakagawaWork
- 629
- 0
- 0
- 3
「現代人の意識とマルクス唯物論との不離を説くが如きは形而上学的酔狂(すいきょう)に過ぎない。現代を支配するものはマルクス唯物史観における『物』ではない、彼が明瞭に規定した商品という物である」(小林秀雄、「様々なる意匠」)。
2017-05-04 16:27:54「例えば数字の如き謙虚な、清潔な記号もあるのだが、凡そ人間の使用する記号を傍若無人に宰領しているものは、無限に雑多な環境の果実である最も豊富猥雑な言葉という記号なのである。そこで世人が論理と呼ぶものは、実は論理そのものではなく議論というものを指す、と言ってもいい」(小林秀雄)。
2017-05-04 16:31:59「そして、議論が、全く正しいという事もためには、一つの言葉は明瞭に一つの概念を表すという頗(すこぶ)るたわいもない仮定が必要だ」(小林秀雄、「志賀直哉――世の若く新しい人々へ――」)。
2017-05-04 16:34:21「私は眼前に非凡な制作物を見る代わりに、極めて自然に非凡な一人物を眺めてしまう」(小林秀雄、「志賀直哉――世の若く新しい人々へ――」)。
2017-05-04 16:38:34「氏(=志賀直哉氏)が己れの実生活を、精緻に語り、しかも語られたものが実生活の結果たる告白となる事なく、実生活の原因たる希望となる事なく、人間情熱の独立した記号として完璧な表現となった点にあるのである」(小林秀雄、「志賀直哉――世の若く新しい人々へ――」)。
2017-05-04 16:42:29だから、志賀直哉氏の作品は、チマヂマとした「私小説」に堕落しなかったのでしょう。こういう性質の小説家は、近代・現代の作家のなかで類を見ないのではないでしょうか。
2017-05-04 16:44:26「『和解』の一章一章の見事な配列も、整然たる建築というよりむしろ作者の頭に最も自然に交代した諸風景の流れであろう。氏の文体の魅了は象嵌(ぞうがん)にない質量(マツス)にある、構成にない総和(ソンム)にある」(小林秀雄、「志賀直哉――世の若く新しい人々へ――」)。
2017-05-04 16:49:45小説家になることを憧れた文学青年であれば、志賀直哉の文体を筆写して「簡潔精緻な」文を真似ようとしたことがあるのではないでしょうか。しかし、彼の文体を真似ても、彼の「眼」を再現することは毛頭できないでしょう。彼が天才と称される所以でしょうね。
2017-05-04 17:02:33私は、若い頃から、志賀直哉氏の作品には共感を覚えたことが一度もなかった。私が共感してきた小説家は、有島武郎氏が三島由紀夫氏のように、「二元性」の相克に苦しんできた作家たちです。だから、「二元性」の生じる隙間のない志賀直哉氏に共感を覚えることがなかったのでしょうね。
2017-05-04 17:08:31私は、志賀直哉氏の作品(すなわち、志賀直哉氏自身)に憧れつつも、いっぽうで、反感 [ 嫉妬ではなくて、反感 ]――私がなりたいと思っても毛頭なれないような人物に対する反感――を覚える次第です。
2017-05-04 17:11:56私は、志賀直哉氏の天才に一礼しますが、敬意を払ったら離れます。そして、私の足は、はっきりと、三島由紀夫のほうに向かうでしょう。
2017-05-04 17:13:22「抽象論だ? 冗談言っちゃいけない。論理を極限までもって行かないから、あなたのような掛声ばかり騒がしい論文が出来上がるのである。抽象論なんてものはない。ただ、論理だけがあるのだ。抽象論などとびくびくしている人は、初めから論理なんてものに戯れないがいい」(小林秀雄)。
2017-05-04 17:16:44「なァにをいってるんだといいたいね。忿懣にたえんねえ。あそこまでいっちゃったんだよ、ウソでね。要は論理の本当の恐ろしさを気づかせてやりゃいい。守るべき自意識がないんだよ。ああいう連中に対して芸術を守るということは、自分の自意識(自尊心)を守る以外にない」(三島由紀夫)。
2017-05-04 17:21:51