- philosophyszk
- 40802
- 211
- 7
- 20
富岡製糸場を見学したぞ〜〜。富岡の女工さんの労働環境が 「労働時間7.5時間」 「日曜祝日休み」 「夏・冬休みそれぞれ10日間取得可能」 「衣食住タダ」 「医療費タダ」 「身分差に拠らない能力給」 「卒業後は指導官として各地に就職」 と聞いて現代の方が女工哀史してるとおもた。 pic.twitter.com/2ceFmbp12W
2017-06-25 17:10:44工場での労務管理方法なんて当時誰もわからなかったので、お雇い外国人の指示で仏式に則ったらしい。じゃあなぜ「女工哀史」「あゝ野麦峠」みたいなのが出てきたかというと、富岡製糸場を皮切りに各地で製糸場ができまくり、そこは労務管理がいい加減だったから……というのが本当のところみたいです。
2017-06-25 17:28:00ちなみに富岡製糸場の女工さんのほとんどが士族のお嬢様方だそうで、労働環境がそこそこいいぶん規律が厳しかったらしい。部屋で寝ころんでいただけで「だらしがない!」とメチャクチャ怒られた、という日記が残ってるらしい。
2017-06-25 17:39:16女工哀史とは…
綿糸紡績工場の女子労働者のきわめて悲惨な実態を描いた記録。
公式HP
元祖ブラック企業との話もあるのだが…
@SanaWind_26 FF外から失礼 浜島書店 新詳日本史P235にはこんな表がありました おそらく富岡製糸場は官営模範工場なので士族のお嬢さんたちがいるのだと思いますが、そのへんの紡績工場では貧しい農村から出稼ぎに来た女性たちが働いていました。 それだけ農村の生活が厳しかった、とも見れますね pic.twitter.com/HVGWXJhwP6
2017-06-26 00:41:44@Intel_Broadwell ありがとうございます!これは分かりやすいですねー。いつの間にか「富岡製糸場=女工哀史」なイメージが刷り込まれていたのでこんな現代の大企業の労働環境と遜色ない、模範工場とは思いませんでした。酷かったのは地方の小さな紡績工場だったんですねぇ。
2017-06-26 09:46:32