こうの史代 特別講義「原作者が語る『この世界の片隅に』」 #この世界の片隅に #こうの史代 6月28日(水)@神戸芸術工科大学(by田中義晃さん)

2017年6月28日に行われた上記に行かれた田中義晃‪ ‪@Nor8Gbcnuzo8csf ‬‬さんのツイートのまとめです。随時更新中。
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しりあがり寿 @shillyxkotobuki

神戸芸工大、「原作者に聞くこの世界の片隅に。」終了しました。どんな質問にも真摯に答えてくださったこうのさん、こうのさんを見いだし今回の場を設けてくださった中村さん、2時間の間ご静聴いただいた皆さん、ありがとうございました。 pic.twitter.com/oFtSfcdExF

2017-06-28 18:24:35
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神戸芸術工科大学 @kobe_du

本日、まんが表現学科特別講義「原作者が語る『この世界の片隅に』」(講師:こうの史代氏、聞き手:中村公彦氏・しりあがり寿教授)が開講され、学内外より大勢の聴講者が参加しました。 pic.twitter.com/aj2zHZOt2k

2017-06-28 18:46:16
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田中義晃 @Nor8Gbcnuzo8csf

講義でお聞きしたことを書かせていただきます。 ・片渕監督は遠くに光っている光だった。監督から声をかけてもらい、「(監督からも)こっちも見えているんだ」と思った。 ・映像化、実写ではこの役者さんがやってくれたらいいなとか思ったりするが、

2017-06-28 23:12:25
田中義晃 @Nor8Gbcnuzo8csf

アニメーションはあんまり考えたことがなかった。(近いだけにかえって想像できない) ・映像化されるなら細切れで連続でなると思っていた。 ・映画、作品として観るより、意味が分かるのだろうかとハラハラして観た。作品を編集さんに見てもらう時に「意味が分からない」と言われることがある。

2017-06-28 23:15:05
田中義晃 @Nor8Gbcnuzo8csf

しりあがり先生は、見せるとだいたい字がよめないと言われるとのこと。 ・本格的なストーリー漫画を書いたのは中二か中三ぐらいで、『セロ弾きのゴーシュ』を書いたが、猫が出てくる時点で挫折。次に西部劇、こちらも終わりどころがわからなくなってやめた。最後まで書いたのは時代劇。

2017-06-28 23:16:24
田中義晃 @Nor8Gbcnuzo8csf

・プロになる、仕事にするという意識はなかった。宮沢賢治が好きで、賢治は生きている間は一本しか小説が売れてなかったので、その時はそういうもんだと思っていた。 ・手塚治虫、白土三平、藤子不二雄にあこがれていた。ドラえもん、怪物くん、ハットリくんがアニメになっていた頃。

2017-06-28 23:27:28
田中義晃 @Nor8Gbcnuzo8csf

・漫画をあんまり読ませてもらえない家だった。それで、買って読んだりしてたが、すぐお小遣いがなくなってしまうので、自分で書こうとなった。 ・同世代で漫画を書くひとのなかでは浮いていたのかもしれないが、その時は、まわりに書くひとがいなかったので分からなかった。

2017-06-28 23:38:54
田中義晃 @Nor8Gbcnuzo8csf

大学で漫研に入った時に分かった。 ・サークルにいた時、滝田ゆうに影響を受けた。 ・大学を中退して二十歳の時に上京した。まわりには漫画家になると言っていたが、あんまりそういうつもりはまだなかった。宮沢賢治の呪縛からか、漫画で食べていくということで何かを失うような気がした。

2017-06-28 23:50:45
田中義晃 @Nor8Gbcnuzo8csf

・最初の一年ぐらいアルバイト。花屋さんとコーヒー屋さん。 ・漫研の先輩のとだ勝之さんがデビューし、アシスタントに。普通は2年ぐらいだが、居心地がよくて5年やった。少年漫画で価値観が違って茂樹になった。 ・アシスタント時代、まわりは「(読者が)最初に出会う漫画を書きたい」、

2017-06-29 00:01:25
田中義晃 @Nor8Gbcnuzo8csf

自分は、「最後に出会う漫画を書きたい」と思った。 ・投稿している時が人生で一番つらかった。個性がないと残っていけない、自分の個性とは…? ・おばあさんが面白いと言っていた絵本『ありがたやのよへい』(よへいはどうやら脇役らしい)を書こうとしたことが転機。わくにとらわれないで書こう。

2017-06-29 00:11:34
田中義晃 @Nor8Gbcnuzo8csf

・これは誰かが形にする前に自分がやらなくてはいけない。今にも誰かが形にしそうに見える。そういう感覚にとらわれる時がある。『夕凪の街』がそうだった。 ・『夕凪の街』、テーマがテーマなので出ないかも→コミティアで見てもらう。これには、

2017-06-29 00:19:49
田中義晃 @Nor8Gbcnuzo8csf

被爆二世のかたに直に声をかけてもらいたいという思いがあった。(『桜の国』の構想) ・『夕凪の街』、最後死ぬのが嫌だった。だから、これがうけてもその期待にはこたえられないというのがずっとあった。 ・語る壁を乗り越えるべきだと思った。

2017-06-29 00:40:52
田中義晃 @Nor8Gbcnuzo8csf

語ってくれるひとはそれなりに自分の壁を乗り越えて語ってくれていたんだということに気がついた。 ・震災に関して、今この時代に生きているのにそれを知らん顔で通り過ぎることはできないように思った。

2017-06-29 00:55:16
田中義晃 @Nor8Gbcnuzo8csf

・(原爆・戦争・震災)自分の作品によって他のものに触れてみようというきっかけのように思ってもらえればいいかなと思っている。 ・『夕凪の街 桜の国』を書いた時に広島以外のかたの反響に驚いた。よそのひとが広島のことをこんなに知ろうとしてくれているのに、

2017-06-29 01:02:56
田中義晃 @Nor8Gbcnuzo8csf

わたしは、よその地域の戦災について知ろうとしたことは果たしてあったのだろうか…そういう勇気を持ちたいなと思った。自分が生まれ育った街でない街の戦災を書こうと思った。そうやって『この世界の片隅に』の構想を練り始めた。

2017-06-29 01:11:57
田中義晃 @Nor8Gbcnuzo8csf

・『この世界の片隅に』、長くなるとダラダラするので2年ぐらいと決めていた。自分が得意だったショートストーリーの積み重ねというやり方で、今度は戦時中の生活を書いてみたいという気持ちがあった。

2017-06-29 02:05:20
田中義晃 @Nor8Gbcnuzo8csf

・戦時中なりの言葉づかいに気を配った。(敵性語を使わないようにしたり) ・冒頭の人さらいは、あそこまでではないにせよ、子どもから見たらああいう人がいたのではないかと思って書いた。座敷わらしも同様で、ほんとは実在の何かではないか…そういうものを盛り込んだ。

2017-06-29 02:10:30
田中義晃 @Nor8Gbcnuzo8csf

・『君の名は』『シン・ゴジラ』と『この世界の片隅に』が震災後の作品としてセットで語られることが多いが、漫画は震災前に書いているので、もし、同じように感想を持つようにできていたとしたら、それは時代が変わったということ。作品じゃなく受け手が変わった。

2017-06-29 02:16:31
田中義晃 @Nor8Gbcnuzo8csf

・時代が、書いた当時とは違う。今書けばまたちがうものになる。 ・若い人に、好きなものを沢山見つけてもらいたい。好きなものを見つける時、遠くに、自分の行く手に星が見つかったような、そういう気持ちになる。それが沢山あれば道が明るくなってきて自分の道を照らしてくれる。

2017-06-29 02:25:36
田中義晃 @Nor8Gbcnuzo8csf

以上、ざっくりですが、講義の何分の一かでも伝わって、何かを感じとっていただけましたらさいわいです。 要点のまとまらない文章を長々と読んでくださってありがとうございました。

2017-06-29 02:29:25
田中義晃 @Nor8Gbcnuzo8csf

あらためてちょっと見ただけで誤字があることに気づきお恥ずかしいかぎりです。 お見苦しい点多々ありましたが申し訳ありません。

2017-06-29 02:36:59