- miurano_suke
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@aizuyakata 蘆名氏は他の有力大名(特に伊達氏)と較べて支配体制が未熟、且つ脆弱で、伊達氏に滅ぼされたのは必然と言われている。 その「脆弱さ」の典型例としてよく挙がるのが天正10年、宿老の富田氏実が上杉景勝から越後堀越の地を与えられていることである。
2016-01-31 22:48:15@aizuyakata 大石直正氏はこれを二人の大名への「重属」(豊田武編「東北の歴史」)と評し、当時珍しくないとしながらも、蘆名氏の場合「直接の重臣にまでおよんでいる点が注意される」と、これが蘆名氏に特別に見られる事象のように記している。
2016-01-31 22:54:22@aizuyakata しかし近年丸島和洋氏の研究によれば、このような事象は蘆名氏に限らず諸大名家によく見られることで(伊達氏においても小梁川宗朝が蘆名氏から知行をあてがわれている)、懐柔や調略ではなく、
2016-01-31 23:02:20@aizuyakata その大名家との外交取次を担当することに対しての「取次給」であることが明らかにされた(丸島氏『戦国大名の「外交」』)。蘆名家宿老富田氏実は、当時、上杉家中の上条政繁や直江兼続と書状のやり取りを行っており、蘆名家の上杉家担当取次であったと思われる。
2016-01-31 23:07:55@aizuyakata そして、景勝による堀越宛行によって富田氏実との間に主従関係が生まれた様子は全くない。よってこのケースも「取次給」と考えるのが自然だろう。
2016-01-31 23:13:55以前呟いた上杉景勝より蘆名家臣富田氏実への知行宛行について、「年報三田中世史21号」所収、渡辺勝己氏による「戦国期越後上杉氏の対外交渉と取次」に記載があった! 素晴らしい。蘆名に興味ある方は是非ご一読を。
2016-02-18 16:34:04以前呟いた上杉景勝より蘆名家臣富田氏実への知行宛行について、「年報三田中世史21号」所収、「戦国期越後上杉氏の対外交渉と取次」の著者は「渡辺勝己」氏とtweetしてしまいましたが正しくは「渡辺勝巳」氏でした。大変失礼致しました。お詫びして訂正致します。
2016-02-22 21:14:25