戦国蘆名氏の権力中枢と、途中で存在感が薄れる佐瀬氏のこと

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三浦介 @miurano_suke

永禄9年、伊達氏との和解に際して出された蘆名家宿老4人の連署起請文(「福島県史7」99-102)は富田、佐瀬、平田、松本の俗に言う四天宿老が署名している(因みに四天宿老が揃ってる文書は現状これが唯一)。

2016-11-05 23:06:30
三浦介 @miurano_suke

@miurano_suke 実際にこの時期はこの4氏の名が文書にもよく表れるし、この起請文の重要さを思えば、4氏が蘆名氏の中枢権力を構成していたと思われる。

2016-11-05 23:07:24
三浦介 @miurano_suke

@miurano_suke 然るに天正14年に蘆名氏から白川氏に送られた起請文の署名は金上、富田、平田、針生の4人。翌15年、白川氏を継いでいた佐竹義重次男、義広を蘆名氏の家督に戴くに当たって再び蘆名氏から白川氏に出された起請文も署名は針生、平田、富田、金上。

2016-11-05 23:07:51
三浦介 @miurano_suke

@miurano_suke 2年続けて同じ面子、そして内容の重大性からしてこちらも署名者4人が時の蘆名氏のトップだったのは間違いないと思われる。

2016-11-05 23:08:28
三浦介 @miurano_suke

@miurano_suke すると(所謂四天宿老の)松本氏は天正12年の謀叛で没落したとして、佐瀬さんはどうした? 詳細不明。天正13年の平田氏範のように家中抗争に負けて失脚(氏範は程なくして復帰したが)した…という可能性は今のとこ低そうな気はするけど、

2016-11-05 23:10:39
三浦介 @miurano_suke

@miurano_suke ざっと見たところ佐瀬苗字の人物の文書上、外交取次としての終見は天正6年…上記天正14年の起請文中に「佐瀬外記」なる人物が登場しては居るが、明らかに蘆名家中での存在感は薄くなってる。どうしてなんだろう?

2016-11-05 23:11:10
三浦介 @miurano_suke

@miurano_suke 天正14年と15年の連署起請文は「白河市史 5巻」972、984を参照しました(=゚ω゚)ノ

2016-11-05 23:12:51