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三浦介 @miurano_suke 2017-06-24 17:09:41
先日la_cometa_rossaさんとのやり取りに関わって史料を漁っていると、「宮下八幡宮天文二十四年棟札」(『北会津村史2』)に「富田美作守藤原滋実」と署名があるのに気付いた。
三浦介 @miurano_suke 2017-06-24 17:11:11
蘆名家家臣の富田滋実と言えば「左近将監」として知られ、実際天文22年に比定される6月29日付「富田滋実書状」(『白河市史5』805)では「左近将監滋実」と署名しているのだが、この後棟札にある天文24年9月29日までのどこかで、左近将監から美作守に通称を変えたということになる。
三浦介 @miurano_suke 2017-06-24 17:12:07
このことからすると、これまでは滋実の先代と思われる盛実が永正3年に「富田美作守盛実」と署名しており(『福島県の古代・中世文書』127-10)、滋実の次代と思われる氏実が美作守を称し、氏実の子とされる隆実が将監を称していることから、
三浦介 @miurano_suke 2017-06-24 17:12:31
富田一族は将監と美作守を交互に称するしきたりなのかと思い込んでいたがそうではなく、一代の内で始めは「左近将監」を称し、後に「美作守」に変えるという慣習だったのだと考えねばならない。
三浦介 @miurano_suke 2017-06-24 17:12:56
つまり「美作守」として知られる氏実もそれ以前に「左近将監」であった可能性が高く、隆実も蘆名家が健在であったならいずれは「美作守」になったのであろうと考えられる。 もしかしたらこれで富田氏の書状の人物比定が変わってくるかも…。
三浦介 @miurano_suke 2017-06-24 17:13:31
そして同時に閃いたのだが、この「官途」→「受領」と通称を変える慣習は富田氏に限らず蘆名家の重臣(少なくとも宿老格)に共通するものだったのでは?ということ。
三浦介 @miurano_suke 2017-06-24 17:13:59
佐瀬大和守常藤と佐瀬中務丞氏常が別の通称であるにも拘らず同じ花押を用いていることは、(常藤と氏常が同一人であっても別人であっても)この系統の佐瀬氏においては「中務丞」→「大和守」と通称を変える慣習だったということを示唆しており、この考えを補強するものと言えるのではなかろうか。
三浦介 @miurano_suke 2017-06-24 17:14:23
そうだとすると例えば俗に言う「四天宿老」の平田氏も、左京亮だったり周防守だったり本によって違っているわけだが、平田氏においては「左京亮」→「周防守」となる慣習だったのかもしれない。
三浦介 @miurano_suke 2017-06-24 17:14:45
この考えに沿って洗い直せば、混沌としている蘆名家の家臣の人物比定や系譜関係が少しは整理できるかもしれない!(^_^)
三浦介 @miurano_suke 2017-06-24 17:15:06
ちなみに松本氏についてはまだわからないが、越後方面の取次を務めていた傍流とされる松本氏については「右京亮」→「伊豆守」の可能性が考えられる。
三浦介 @miurano_suke 2017-06-25 13:50:37
昨日の呟き一部間違えてたので訂正。 twitter.com/miurano_suke/s…
三浦介 @miurano_suke 2017-06-25 13:55:01
佐瀬常藤と氏常が別の通称であるにも拘らず同じ花押を用いていることは、この系統の佐瀬氏においては「中務丞」→「大和守」と通称を変える慣習だったということを示唆しており、この考えを補強するものと言えるのではなかろうか。
三浦介 @miurano_suke 2017-06-25 13:55:45
そしてこの考えに則れば常藤の活動期が永禄年間まで、氏常の活動期が天正年間ということからも二人が別人で、氏常は常藤の後継者と考えてよいのではなかろうか。
三浦介 @miurano_suke 2017-12-13 12:05:04
以前、戦国期の蘆名家の家臣には官途名→受領名と通称を変える慣習があったかもと述べたが、蘆名盛隆の側近的な家臣だったと思われる須江氏も須江大隅と須江弾正左衛門が同時期に活動していることから弾正→大隅守に変える慣習だったのかもしれない。 そして鵜浦氏は左衛門尉→甲斐守か。
三浦介 @miurano_suke 2017-12-13 12:05:49
で、気になるのはそういう慣習だったとして如何なるきっかけで通称の変更が行われたのかということ。 ぱっと思いつくのは家督の継承時か…。或いは家督継承はまだだけど、後継が育ってそれに官途を譲るということもあり得るかな。
三浦介 @miurano_suke 2017-12-27 21:27:56
結構前に気付いたことだが『伊達氏重臣遠藤家文書・中島家文書』の8(天正5年比定)「須江光頼書状」では署名が「須江弾正左衛門尉光頼」とあるのに対し、天正10年比定の「福島県の古代・中世文書」の144-12「須江光頼書状」(上杉家文書)では「須江大隅入道光頼」とあった。
三浦介 @miurano_suke 2017-12-27 21:28:11
やはり蘆名家家臣の須江氏は弾正左衛門→大隅守と名乗りを変える慣習だったと考えてもよさそうかしら。
三浦介 @miurano_suke 2017-12-27 21:35:40
すると問題は『伊達氏重臣遠藤家・中島家文書』の7に登場する「須弾(須江弾正左衛門であろう)実光」。書状の内容が御代田合戦に関わる物と思われることから天正8年か9年の物と比定できるが、これは光頼の子に当たると考えていいのかしら…。
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